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魔王さまが、人間ぽいのを拾ったみたいです。  作者: 冬野ゆすら
魔王が逃げて、何が悪い?
15/25

14 ……おにいちゃん、だあれ?

前作と方向が変わっています。もう少し、もう少し時間がほしいよぅ……(;;)

「え、部屋違うの?」

「…あら、アヴィ。私の下着姿、見たいです?」

「いやいやいやいやいや見たいとかじゃないですごめんなさい忘れて下さい別の部屋歓迎ですっ」

 呆れた目で二人を見る勇者を気にもかけないやり取りに、周囲は笑う。もちろんイーリスも、アヴィにそんな意図がないことをわかっていてのやり取りである。


「あ、忘れてた。フェネクス、これ」

 レディからだと、勇者は無造作に取り出した扇を渡す。縁にほわほわが付けられたそれは、貴族の女性が持つような豪奢な造りである。何のつもりかと疑問を抱きつつも、イーリスはそれを受け取った。


「伝言だ。”妖皇宮では、それにふさわしい淑女としてお過ごしくださいね”だとさ」

「――っ」

 ぴき、とイーリスが硬直する。ほんの一瞬であったためか、何かしらの術がかかったのだと気づいたのは、本人だけである。発動したのは勇者だが、自覚もしていないだろう。解けなくはないが、と内心で考える。正直、面倒なのだ。解く方法はあるし、術が使えなくなったわけでもないようだし、何か起きるまではこのままでも問題はない。それに下手に解いて、それがレディに――妖皇宮の女主人に知られたら、もっと厄介だ。部屋のことがなければ別にかまわないけれど。


「――フェネクスさま?」

 ああ、とイーリスは微笑んで見せる。人目もあるし、術のことは言わないほうがいいだろうと。


「――この扇にふさわしい装いにするかどうか、考えただけですよ。ほら、行ってらっしゃい。夕方までにはお暇しますよ」

 送り出したアヴィは、どこか腑に落ちないという顔で首を傾げていた。まあ、無理もない。何しろまだ、昼を回っていないのだ。

 でもね、とフェネクスは呟いた。


「――苦行、ですよ。たぶんね?」

 何も知らぬ少年を何食わぬ顔で修行の場へ送り出し、そして気づいた。勇者は彼について行ったようだ。確かに、男性がこの場に残ることは出来ないが……さて、どうなるか。

 そんなことを考えたところへ、声がかけられた。


「フェネクスさま、始めさせていただいても?」

「……ええ、どうぞ。出来る限り手早く、お願いしますね?」

 心得ておりますとの返事とともに、数人の女性がイーリスに張り付いた。腕を上げさせたり下ろさせたり、ポーズを取ったと思ったらすぐに採寸が終わり、次の箇所をと次々に計っていく。確か、とイーリスは古い記憶を辿ってみる。採寸と言うのは、せいぜいが数値を書き留める助手がいるくらいで、一人仕事のはずだ。こんなに大勢でやっていたら却って無駄が出るのではないだろうか。


「わたくしどもも、日々進歩しております。お客様をお待たせしないためには、これくらいでないと間に合わないのでございますよ」

「…それはそれは」

 ご愁傷様というべきか、素晴らしい進化だと褒めるべきか、他人事として感心するイーリスである。そして滞りなく進んだ採寸は覚悟したほどの時間もかからず、すぐに一息つくことになった。が。


「……なんですか、それ」

「布見本でございます。お好きな色をお選びくださいませ」

 にっこりと笑う仕立て屋に、イーリスは盛大な溜息を吐いた。実際の布が張られている以上、分厚くなることは不思議ではない。重量もあるし、人間の女性なのだから、一人で一冊を持ってくるのが限界だろうという理由もわかる。だが、それが何冊も何冊も何冊もあるのは、どういうことなのか。


「皆様、とても研究熱心でいらっしゃいますから……」

 そう呟く仕立て屋に走った影を、イーリスは見なかったことにした。下手に突くと自分に跳ね返ってくるだろうことに気づいたためだ。何しろ、自分もその一人だし。

 髪を弄りながら、布をめくっていく。好みは赤、それも艶のある深紅…なのだけれど。


(……似合いませんね、今の私では)

 苦笑して、それを諦める。ドレスラインも、好みとしてはマーメイドラインなのだが…それもやはり、今の自分――十六、七の子供に見える姿では、似合わない。であれば、それくらいの子供で似合うものがいい。若々しさを強調するのなら、いっそ膝を出してもいいか?


「妖魔の皆様は、冒険がお好きですね」

「……?」

「魔王の皆様のご年齢は、知られておりますよ」

「……?」

 仕立て屋の言の意味がわからず、イーリスは首を傾げた。わからないまま生地を捲る作業に戻り、しばし。


「――あ、若作りと言いたいのですね」

 ぷくくく、と背後に控えた娘たちから答えが返された。目の前の仕立て屋は、澄ました顔でにこりと微笑むだけである。大した勇気だなとイーリスが笑った。何しろ自分たちは、術を使う。思うだけで発動するそれは、ときに本人が意図しない形で現れてしまう。今、もしも自分が不快に思ったら何が起きていたか…ああいや、起きないのか。ここも妖皇宮の一部なのだから。そう考えると、ちょっと不愉快である。なので、後は全て押し付けてしまうことにした。


「デザインはミモレ。そう、無地の勿忘草色でまとめてくださいな。素地は白に近いくらいの淡い色がいいですね。寒い時期ですし、袖はプリンセスを。ああ、肘から下はレースにしてくださいね。襟はスクエアに、あまり胸を強調しない程度で。後は、お任せします」

 一息に言い切ったフェネクスに目を白黒させた仕立て屋だったが、すぐに笑みを浮かべた。


「はい、承りました。デザインの詳細はお任せいただくということでよろしいですか?」

「ええ、お好きに。流行には疎いもので、恥をかきたくありませんから。ああ、それと装飾品は不要です、持ち合わせがありますから」

 承知いたしました、と深く頭を下げる彼女に倣い、娘たちも腰を折る。それを横目に見ながら、イーリスは立ちあがった。

 今の妖皇宮がどんな世界か、彼女たちに聞いてみようかと思わなくもなかったが、何分――女である。女の世界である。職業女性の世界である。となると視野が広いか狭いかの二者択一になる場合が多く、前者は圧倒的に少ない。まあ少なくとも、アヴィと引き離された今、やることではないだろう。で、あるなら。


「明日、仮縫いをお持ちします。この時間に、お越しください」

「――承知しました。では、明日」

 顔を上げずに告げた彼女を振り向くことなく、イーリスは部屋を出た。


   ※ ※ ※


「ま、向こうもしばらく掛かるだろうから、気楽にしろよ」

「はぁ……」

 気楽にと言われても、難しい。何しろイーリスの態度からして、仲がいいはずがないであろう相手なわけで。おそらくは自分のことも知られないほうがいいのだろうなと思うと、下手なことは喋れない。そう、うっかりあれをやってしまうと、面倒だ。そんなふうに考えたアヴィだったが、幸か不幸か採寸は意外なほど指示が多く、下手に喋ると聞き逃しそうだと口を噤んでおくことにした。勇者もそこはわかっているのか、特に話しかけては来ない。

 ただ、それが小半時ほど続いた時点で閉口に変わり、小一時間が経ったころには――妖魔が成長しないと言うのはいいかもな、二度とこれ、やらなくていいってことだし。と達観するまでになっていた。イーリスの言っていた「苦行」の意味がわかったような、そんな気もする。


「さあ、採寸は終了いたしましたよ」

 ぱっとアヴィの顔が明るくなる。それを見た勇者がにやりとわらって、アヴィが慌てて顔を作った。


「まだだぞ?」

「え?」

 どかん、と差し出されたそれを、アヴィは初め、図鑑と思った。いやに分厚い図鑑だなと思ったところで中身を開かれて、うわあと感心する。


「さ、どうぞ。こちらからお選び下さいな。布見本でございますよ」

「選ぶ?」

「はい、ご衣装のお色と生地と、お好きなものをどうぞ」

 うげ、と引きつつ思わず勇者を見る。遠い目をする彼は一言。


「うん、まあ頑張れ?」

 同じ思いをしたことがあるのだろうなと、アヴィはちょっとだけ親近感を抱いた。だが、手伝ってはくれないらしい。好感度はマイナスである。

 幸いだったのは、初めての夜会服ということである程度、生地と色を絞り込んでもらえたことだろう。男性の場合、本来は黒が正式なのだが、妖皇宮では許されないから、と。


 ――何よ、そんなの。この国は妖魔の国、人間たちの決まりにあわせる必要なんてないわ。せっかく見目麗しい男が揃ってるんだから、着飾りなさい。ただし、女性を同伴するのではなくて、女性に同伴するのだということを忘れない程度に、ね。


 それが、初代の発言で命令らしい。”妖皇宮の仕立て屋”も、それを通すための意地の賜物であり、いつしかそれが妖皇宮――エレーミアを訪れたことがある証となって、皆がこぞって欲しがる。しかし注文は受け付けておらず、実際に妖皇宮へ訪れた者にしか作らないため、数はさほど、出回らないのだとか。女性用の仕立てもしているのは、男性が着飾ったときに見栄えせず、哀れな思いをする者が少なくないからという理由には呆れるしかない。

 微妙な思いをしつつ生地に触れ、色を見る。数が多すぎて、それを着る自分など想像すら出来ない。


「宜しければ、こちらもご覧ください。ベロアという生地でございますよ。さほど派手にはなりませんから、初めての方でしたら、こちらがお勧めですね」

 材質は毛織物(ウール)で、光沢に違いがある。勧められたのは、見た目は深い色で艶があり、光の加減でそれが変わる生地である。ただ問題は、それだけでも十色ほど示されているという点だろう。わかるかそんなもの、と投げ出したい気分である。せめてイーリスが隣にいれば、助言なり丸投げなり出来るのに、と呟く。


「いや、無理だろ。奴ならお前に選ばせるぞ、間違いなく。…あー、でもどんな色のドレスかはわかるから、多少はあわせやすいかな」

「あわせる?」

「そりゃそうだろ、同伴者のドレスに合わせなくてどうするよ?」

 うげ、である。まさかそういう理由だったとはまったく考えなかったのだ。ただ着たきり雀になるのがあれだから、イーリスのおまけだから。その程度に受け取っていたのに。


「おまけなのは違いないが、おまけってのは、主役にくっついてないきゃ、だからな?」

 それなりに気を使うのだと勇者は口の端を上げた。


「どうされます、従者殿。…フェネクスさまのドレスに併せて、こちらで見繕いましょうか?」

「あ、それなら……」

 任せると言い掛けて、アーヴェントは口を噤む。なんとなく。なーんとなく、それだとイーリスが納得しない気がする。今の勇者みたいに、嫌な笑みを見せられそうな気がする。たぶんそれだけで、何も言わないだろうとは思うけれど。

 たぶんその確信が正しいのだろうと思いつつ、徒に布を捲る。ぱらぱらと頁を捲るかのようにしてみても、さすがに布だけあって、けっこう重い。そしてどれだけ繰り返しても、ぴんと来ない。


「……よし」

 イーリスがどんなドレスを選ぶかなど、わかるはずがない。こちらがおまけなのだから、要は彼女の引き立て役になればいいわけで、だったら派手にする必要はない。

 手鏡を借りてあれやこれやを始めたアヴィがどんな色を選び、どんなデザインにしたのかは、出来上がってのお楽しみである。


「ああいう発想はなかったんだよなぁ。今までの奴らもセンスはあったけどさ?」

「へぇ、そうなんだ」

 話が終わって解放されると思いきやそれはなく、勇者に引き回されることになったアヴィとしては、その辺りはどうでもいい。早く解放してくれ、出来ればイーリス迎えに来てくれと切実に願っているが、適えられる気配はないままである。無理やり振り切って逃げることは出来そうだが、何しろどうやって先ほどの部屋へ来たのかすら覚えていないし、逃げ出しても確実に迷子である。たぶん、勇者に見つかるほうが早いだろう。そうなるととっとと満足してもらっての解放を待つしかない。話を聞いてる分には面白いので、退屈さを感じないのが幸いだ。


「まあ俺はさ、国へ帰ったりしてるから目にする機会はあるわけだ。けど奴ら、基本的には国から出ないしな」

「ん? 出ないの?」

「出ないなあ。てか、出る奴は出ずっぱりで滅多に帰ってこないんだよ。隊商(キャラバン)やってたりするしな」

「へ?」

 実はエレーミア妖皇国は加工品の輸出で外貨を得ていたり、世界各地から職人見習いを受け入れていたりする。その反面、政治の中枢に人間は関われず、せいぜいが妖皇宮の仕女や侍従、先ほどの”妖皇宮の仕立て屋”だとか、”妖皇宮の料理人”程度らしい。


「料理人かよ」

「ああ、料理人だ。奴ら別に、食事は必要ないんだけどな。お前もそうだろ?」

 うみゅ、とアヴィは頷いた。確かに空腹を感じなかったし、そんなようなことをイーリスも言っていた気がする。


「なんで無駄なことするかねぇ。食べられない子供たちだって少なくないのにさ」

「ん?」

「俺の国はさ、孤児院がけっこうあるんだよ。国境近くとか、けっこう魔物が出るんだよな。何人か、ここで引き取って面倒みたいって言っても許可が出ないんだ」

「引き取る? 勇者が?」

「あー、実際にはまあ、仕女たちに頼むことになるかな。必要な費用は俺が稼いでくるって言ってんだけどさ」

 簡単に言うなあとアヴィは苦笑する。けれどまあ、実質的にはエレーミア任せにするということだし、それは許可が降りるはずもないだろう。やるならつれてきて一緒に暮らすとか、そういうことくらいやってのけなければ。たぶん、事後承諾でなし崩しに。


「魔王さまってのは得だよなー、許可も何もいらなくて自由にやってんだから。いいよな、お前もフェネクスに拾われたんだろ?」

「へ?」

 立ち止まった勇者が扉を開け放つ。風がアヴィの頬を撫で、陽の光が降り注ぐそこは、長閑な田舎の村のようである。


「ここが”箱庭”さ。拾われて妖魔は、とりあえずここで暮らすことになってる。ま、住むところでも探して来いよ、明日また、迎えに来てやるからさ」

 え、と振り向いたその先で扉が閉まり、掻き消えた。壁に埋もれたということではなく、壁そのもの――いや、建物すらも、周囲には見当たらない。何が起きたのか――いや、それは分かるが。


「どういうことだよ、おい!?」

 荒らげた声に応えはない。勇者どころか、見渡す限り、誰もいる様子はないので当たり前か。

 箱庭で飼い殺し――つまりはそういうことか、とアヴィは半眼になる。だからイーリスが強引に……って、あれ?


(……盟約の意味、ないよな?)

 いきなり放り込まれただけだし、「迎えに来る」と言っていたし。そう言えば仮縫いが明日には出来るから、細かい直しに立ち会う必要があるとか聞いたし、そういう意味でも飼い殺しには値しない……の、か?

 ちょっと考えてみるが、そもそも勇者の意図がわからないし、本当にここが箱庭なのかもわからない。とりあえず、誰か住民を探してみるかと、アヴィは歩き出した。

 本当に、長閑な田園風景である。風は冷たいが、心地いい。土の上を歩くのは気持ちいいし、何より楽である。帰り道に不安がなくて訪れたのなら、どれほど気に入ったことだろう。

 もう少し人がいてくれれば、ここまで不安にはならないだろう。そう思ったのは、歩き飽きたころである。家々には生活感があるのに、人っ子一人、猫の子一匹いないのだ。犬もいないし鳥も見ないし馬も牛も、要は生き物が何もいないのである。

 アヴィの足が速くなる。それが不安から来た恐怖だと、認めたくはないけれど意地も張れない、誰もいないここで張る意味もない。


(ああもう女体化なんかじゃなくてあの地図教えろってんだっ!)

 小走りになりながら内心で悪態をつく。下手に声に出したら叫びそうで、さすがにそれはいるかもしれない住人にどう思われるかわからないから、自重した。でも本当に、どうしてあんな術なんだ、ほかにももっとあるだろ、おい!


「ふきゃっっ」

「おわっ!?」

 何もない路の真ん中で、アヴィは誰かにぶつかった。誰もいなかったはずのそこに、尻餅をついてびっくりした顔の少女がアヴィを見つめている。

 十二、三だろうか。村娘風の衣服ではあるが小奇麗で、ちょっとしたお出かけ用のような、まあ野良着には見えない格好だ。くるりと内向きにカールした髪はやわらかい藤色で、もう少し大人びて見えてもいいはずだが、かえって幼く見えている。

 で、アヴィはというと流石に体格差のおかげかひっくり返ることはなく、なんでこんな感想をさっきからと不審に思いつつも手を差し出した。


「ごめん、大丈夫?」

 誰もいなかったはずなのにという一言はとりあえず、飲み込んでおく。そもそも人を探して彷徨っていたのだから、出会えたことに文句を言う必要はない。

 大丈夫だよ、と少女はその手を取って立ち上がった。


「……おにいちゃん、だあれ?」

「おれ? えっと……アヴィ、だよ」

「アー・・・ヴィ?」

 少女相手に名乗れという気にもならず、アヴィは応えた。少女がちょっと顔を顰めて呟く様子がかわいくて微笑ましい。


「いや、アヴィ。な? 伸ばさないよ」

「アヴィ」

 そう、と頷いたアヴィの周囲で火花が散った。少女があれ、という顔でアヴィを見る。


「……今の、盟約術?」

「んー、内緒。でもおにいちゃん、どうしてここにいるの? お兄ちゃんにここ、必要ないよ?」

「どうしてっていうか、勇者に放り込まれたから?」

 でいいんだよなあと考えつつ応えたアヴィに、少女の顔が険しくなる。


「また余計なことしたぁ……」

 うわとアヴィが引くほどの恨みがましい声で少女が呟く。勇者が呪われてそうだなとか、これで呪えるならそれこそ方法教えてほしい、おれも呪いたい。などとアヴィは内心でそれに賛同する。でも、ちょっとこのかわいい少女に呪われたところで、何がおきるのだろう?


「後で、叱っておくね。お兄ちゃん、ここに住むつもり、ないよね?」

「ここって、箱庭? それは流石にないけど。おれ、フェネクスの従者だし」

「え? フェネクスくんの?」

 ぶふ、とアヴィは思わず噴出した。フェネクスくん、と来た。フェネクスくんである。フェネクス、くん。似合わねぇ。でもこの子にそう呼ばれてる彼を想像すると、困ったように微笑む顔が浮かんできて、必死で笑いを噛み殺す。


「そっか。だから余計なことするんだ」

「――余計なことって、盟約?」

「え?」

 きょとんとした顔で少女が首を傾げた。いやだって妖皇さまが、とアヴィは慌ててそれを口にする。


「箱庭に囲い込むために、無理やり盟約しかけてくるから、それの防止にって……え、あれ? え?」

 一瞬で少女の顔の向きが変わってぷくっと膨れた頬が、アヴィの予想が正しいことを告げていた。


 ――すぐに会うことになるから、楽しみにしておくといい。……あれを見るとまあ、代行くらいはと思うだろうさ。


 確かに、と納得した。納得して、慌てた。だってそれはつまり、目の前の少女が?


「やりたくてやってるわけじゃないんだけどね」

 拗ねた様子なのに、その少女はちょっとだけ大人びて見えた。もしかして、こちらが素なのだろうかと思わせる顔だ。そんな少女が差し出した手を、アヴィは反射的に受け取った。


「出してあげる。ここ、迷宮だから」

 迷宮、と口の中で繰り返したところでふわりと身体が浮いた。拗ね顔はいつの間にやら笑みに変わっていた。年相応のかわいい笑顔だ。こんな子供が国を統べているのかと、少しだけ可哀想になるほどの。


「あたしと会ったこと、フェネクスくんには内緒にしてね?」

 その声を最後に、周囲の景色が様相を変えた。中庭――あの迷路庭園だ。だが、ラースの温室とはずいぶんと離れている。


「アヴィ」

「え?」

 回廊の窓から顔を覗かせたのは、お供にデカラビアを連れたイーリスだった。

   

   ※ ※ ※


 仕立て部屋を出たイーリスは、待ち構えていたデカラビアに捕まった。


「箱庭が開きましたよ。追わなくてよろしいの?」

「え?」

 そんなはずは、とイーリスが足を止め、己の徽章を見た。だが何の変化もない。デカラビアの徽章はと言えば、…それも、変化はないようだ。

 デカラビアはそんなイーリスの様子に、気づいていなかったことを悟る。


「一瞬だけでしたから。ラースも気づいていませんでしたが、確かに光りましたよ」

 箱庭への扉は、開かれるとき魔王全てに知らされる。閉じるまではその光が開門中であることを示し、徽章持ちだけは出入りが自由になる仕組みだ。だが、一瞬だけということは、誰かがこじ開けた可能性が高い。誰がも何も、そんなことをするのは勇者くらいだが。


「追わなくてよろしいの?」

「――どこに出るか分かりませんから、迂闊には追えませんよ」

 箱庭は、一つの町程度の広さを持つのだ。丘あり谷あり湖ありと変化に富んでいるし、中では興図が効かないから歩いて探すことになる。それに加えて、扉を開くには相応の妖力を要求されるものだから、正直なところ、今のイーリスには荷が重い。少なくとも彼の地にいれば、危害を加えられることもないし、盟約は既に自分との間に成っているから問題もない。…いや、まあ自力で彼が戻ってこられるのかという問題が残るのだが。


「……でも、何のために?」

「そこですわね。フェネクスさまの配下であることなど、予想がつくでしょうに」

「…そもそも、配下だとはっきり告げてあるんですよねぇ……」

 あら、とデカラビアは口元を扇で覆った。そう言えばと彼女を見ると、温室にいたときと違ってドレス姿である。いつもあの白衣姿でうろついているだけなのに、今日はどうした風の吹き回しだろう?


「妖皇陛下のお守りですもの。打ち合わせの予定でしたのに、空振りしたところですよ」

「ま、妖皇さまですからねぇ」

 夜会をすっぽかしたことはないものの、約束の時間に現れないことは珍しくない。文官たちは心得ているから、それで問題のないように予定が組まれているし、極端なことを言えば当日に大まかな打ち合わせが出来ればそれで済むから、いつものこととも言えた。


「え、あら?」

「…陛下がご不在? 先ほどラースが、箱庭へ視察だと言っていましたが」

 二人は同時にそれに気づいた。そもそも箱庭は、三代目妖皇陛下が作り上げたものである。勇者にも開けられるとは聞いたが、開いていたならそもそも開ける必要がない。繋がる扉を開くだけで済む。

 つまりは、そういうことだ。


「……まあ、問題はありませんよ。でもそれなら、迎えにいったほうがよさそうですね」

「……しっかりとお話しておきますわ。でもとりあえずは」

 にっこりとデカラビアが笑い、中庭を示した。庭園の中に、ぽつんと佇むアヴィがいる。

 

「彼、ですわね?」

「おや、自力で帰ってきましたか」

「手間が省けましたね。――ところでフェネクス。…気持ち悪いのですけれど?」

 彼女のいうところを正確に理解して、フェネクスはちょいちょいと扇を示す。アヴィをからかうためなら兎も角も、今は好き好んでやっているわけではない。


「……相変わらず、無意味なことがお好きですわね」

 そういう彼女の声に、扇の主への敬意は欠片も感じられなかった。

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