第99話:歩道の白線
学校からの帰り道。
冬の終わりの少し冷たい風が吹き抜ける中、歩道の端に引かれた一本の白い線の上を、白石真白が両手を広げてバランスを取りながら、トコトコと平均台を渡るようにして歩いていた。
周囲の街灯がぽつぽつと灯り始め、家路を急ぐ人々の足音が遠くから響いている。夕方の風は冷たく、グラウンドの隅に残った雪がサラサラと音を立てて風に舞う中、蓮は彼女の少し斜め後ろを、二人の長い影を見つめながら歩いていた。
「ねえ、宮本くん。今日の勝負は宮本くんの勝ちだったけど、最後に帰り道の『おまけの勝負』、しない?」
真白は白線の上を歩きながら、振り返らずに声を弾ませた。
「何の勝負だよ。もう駅は目の前だぞ、早く歩こうぜ」
「いいじゃん、すぐ終わるよ。ルールは簡単。私がこの白線の上を歩きながらね、右側と左側のどっち側に最初に足を踏み外すか、宮本くんが当てるの。もし宮本くんの予想が当たったら、明日の朝、私が購買のパンを本当に奢ってあげる。でも、もし外れたら……明日の朝の登校中、私がもらったあのチャコールグレーのマフラーを、宮本くんが自分の手で私の首に優しく巻き直してね。はい、どっち?」
真白は両手を広げてバランスを取りながら、楽しそうに足を動かしている。
(またあの罰ゲームか……! 本当に最後まで諦めないな、あいつは)
蓮はカバンのストラップをぎゅっと握りしめ、彼女の足元をじっくりと観察した。
真白の体は、左側に持っているスクールバッグの重みのせいで、ほんの少しだけ左側に傾きかけている。普通に考えれば、バランスを崩して『左側』に足を踏み外すのが最も自然である。
(……いや、待てよ? これはあいつの罠だ。僕が『左』って答えるのを見越して、あえて右側にわざと一歩を踏み出して『ハズレ、右でしたー!』って笑うに決まってる。真白さんのこれまでのずる賢いパターンを思い出すんだ。あいつは僕が勝手に深読みして自爆するのを待っている!)
真白のこれまでの行動パターンを総動員し、蓮の脳内コンピューターがフル回転を始める。
(だったら、あいつの予想のさらに上をいってやる!)
蓮は意気込んで、真白の背中に向かって言い放った。
「……右側だろ! 真白さん、左に傾いてるように見せかけて、僕が左って答えた瞬間に、わざと右側に一歩を踏み出すつもりなんだろ。そのずる賢い後ろ姿を見れば全部分かるぞ!」
蓮が自信満々に答えると、真白は蓮の答えを聞いた瞬間、ピタリと動きを止めて器用にバランスを立て直した。そして、わざと右側に大きく一歩を踏み出して白線から下りてみせた。
「はい、大正解。普通の右側でしたー! 宮本くん、本当に私のことよく見てるね」
「よし! 勝った!」
蓮は心の中でガッツポーズをした。ついに、真白の裏の裏をかいた心理戦で、連続の勝利を収めたのだ。
「うん、宮本くんの勝ち。……でもね、宮本くん」
真白は白線から下りると、くるりと振り返り、マフラーに顔を深くうずめながら、蓮の顔を上目遣いにじっと見つめてきた。その瞳には、勝負に負けた悔しさなんて微塵もなく、どこか本当に嬉しそうな、深い優しさが宿っていた。
「なんで私が右側に下りたか、分かる?」
「え? 僕が右側って答えたからだろ?」
「違うよ。宮本くんが、私の後ろ姿をあんなに一生懸命にじーっと見て、どっちに下りるか真剣に考えてくれてたのが、影で丸見えだったから。だから、宮本くんの言った通りの場所に下りてあげたんだよ?」
真白はそう言うと、歩道の上に伸びる二人の長い影を指差した。夕日に照らされた二人の影は、どこまでも優しく寄り添うようにして伸びていた。
「っ……!?!?!?」
蓮の心臓が、再びうるさいほどの音を立てて暴れ出した。顔が一気に熱くなり、胸の奥がドクンと波打つ。
勝負には勝ったはずなのに、彼女のストレートな言葉の破壊力の前に、蓮は完全に言い返す言葉を失ってしまった。結局、勝っても負けても、彼は彼女の言葉一つで簡単に照らされてしまうのだ。
冬の終わりの帰り道。
勝負に勝って嬉しいはずなのに、二人の間にある静かな空間は、冬の寒さを完全に忘れさせてしまうほどに、優しく、そしてどこまでも温かい熱を帯びていくのだった。
「……本当に、敵わないな、真白さんには」
蓮が真っ赤になった顔を隠すように、首元のチャコールグレーのマフラーに顔を深くうずめ、観念したように小さく呟くと、真白はマフラーの奥から、満足そうな最高の笑顔で、蓮のことを見つめ返すのだった。




