第93話:教科書をめくる指
国語の単調な授業が始まってから20分が経った。
先生の抑揚のない音読の声と、黒板にチョークが当たる規則正しい音だけが、午後の眠気を誘うように教室内を支配している。
宮本蓮は、一番後ろの席の静けさの中、ノートに板書を書き写しながらも、視界の左端からじっと注がれている視線に気づいていた。隣の席の白石真白は、国語の分厚い教科書を机の上に立てて自分の顔を隠しながら、ノートの切れ端を蓮の机へとそっと滑らせてきた。
蓮は先生が黒板に向き直ったのを確認し、素早くその紙切れに目を落とした。
『宮本くん、ひま。勝負しよ? 次のページをめくるとき、私が右手の人差し指と親指、どっちを先に教科書に触れさせるか当ててみて。当たったら宮本くんの勝ちでいいよ。』
(また始まった……。本当に授業中だというのに懲りないな、あいつは)
蓮は小さく溜め息をつき、自分のノートの切れ端に素早く文字を走らせ、真白に見えるように少しだけ傾けた。
『親指。普通、ページをめくるときは親指が先に紙に触れるだろ。今度こそ僕の勝ちだな』
蓮は自信を込めて答えた。本や教科書をめくる際、紙の端を掴むために親指が先に触れるのが、人間の最も自然な動作だからだ。
真白は蓮の文字を読むと、一瞬だけニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
やがて先生が「じゃあ、次のページへ進むぞ」と言った瞬間、蓮は真白の手元を凝視した。
しかし、真白は普通のめくり方をしなかった。彼女はわざと右手の中指と親指でページを挟むようにして、人差し指をピンと立てたまま、教科書をさらりとめくってみせたのだ。
新学期最初の紙が蓮の元に返ってきた。そこにはこう書かれていた。
『ザンネン。正解は中指でした。人差し指でも親指でもないよ。宮本くん、私の引っ掛けに簡単に引っかかっちゃうね』
「そんなの選択肢に無かったじゃんか!」
蓮は声を出さずに口の形だけで猛抗議した。ルールの隙を完璧に突かれた形だ。文字だけの静かな戦いだが、蓮の顔は悔しさでじんわりと熱くなっていく。
真白はそんな蓮の表情を特等席で楽しそうに見つめながら、ノートの端に小さなペンギンの絵を嬉しそうに描き足し、マフラーに顔を深くうずめてクスクスと笑っていた。
結局、授業中の短い戦いでも、蓮は彼女の手のひらの上で転がされただけだった。
付き合うとか、特別な関係になるとか、そんなことよりも、この一番後ろの席で、先生の目を盗んでくだらない勝負を仕掛けられ、それに本気で悔しがって言い返す。そんな二人の、いつも通りの「照れたら負け」のからかい合いの日常こそが、何よりも愛おしい時間なのだった。
「次の休み時間の勝負こそ、僕が絶対に勝つからな」
「ふふ、お望みなら、いつでもかかってきてね、宮本くん」
真白は教科書の陰から、満足そうな最高の笑顔で、前方の黒板を見つめるのだった。




