第90話:消しゴムの向き
5時間目の自習時間。一番後ろの窓際から最も遠い席は、前に座るクラスメイトたちの背中に隠れて、教壇に立つ先生からは二人の手元が絶妙に見えにくくなっている。宮本蓮は、ノートに数式を書き写しながらも、視界の左端からじっと注がれている視線に気づいていた。隣の席の白石真白は、国語の分厚い教科書を机の上に立てて自分の顔を隠しながら、ケースに入った消しゴムを蓮のノートの端へとそっと滑らせてきた。
その白いケースの余白には、丸っこい可愛らしい文字でこう書かれていた。
『宮本くん、ひま。勝負しよ? 今から私がこの消しゴムを筆箱の中に隠すから、ケースの「Mona」の文字が上を向いてるか、それとも下を向いてるか当ててみて』
蓮は先生が黒板に向き直ったのを確認し、素早く自分のノートの切れ端に『下』と書き込んで真白に見せた。真白が蓮を引っ掛けようと、あえて裏を返して不自然な向きで仕舞うと考えたからだ。文字だけの静かな戦いだが、蓮の心臓は小さく鼓動を刻んでいた。
しかし、真白が筆箱のチャックをそっと開けて手を開くと、消しゴムの文字は普通に『上』を向いていた。
「ザンネン。普通に上で入ってました」
真白は声を出さずに口の形だけでそう言うと、勝ち誇ったように目を細めた。
「またストレートかよ……」
深読みしすぎて自滅した蓮はがっくりと肩を落とした。真白はマフラーに顔を深くうずめて、今日も勝てた喜びを一番後ろの席で小さく噛み締めていた。




