第86話:砂浜の宝探しと見えない手のひら
波打ち際でのスリリングな度胸試しを終えた二人は、少しだけ水際から離れた、乾いた砂が広がるエリアへとトコトコと戻ってきた。
傾きかけた冬の太陽が、砂浜全体を長い影とともに黄金色に染め上げている。風が吹くたびに波の音が低く響き、遠くの水平線がゆっくりと茜色に溶け始めていた。
蓮が少し濡れてしまった足元を気にしていると、隣を歩いていた真白が、急に楽しそうにしゃがみ込んだ。彼女はベージュのコートの裾が砂につかないよう上手に抑えながら、指先で何かを探すように砂の上を優しく撫でている。
「ねえ、宮本くん。カバン持ちの勝負ばっかりじゃ、宮本くんも悔しいでしょ? だから、海編の第4ラウンドとして、今度は宮本くんにも勝つチャンスがある『宝探し勝負』をしようよ」
真白はマフラーに顔をうずめながら、砂の中から見つけた、波に削られて丸くなった小さなガラスの破片――シーグラスを指先でつまんで蓮に見せた。夕暮れの光に透けたそれは、まるで小さなエメラルドのように綺麗に輝いている。
「宝探し勝負? シーグラスを見つけるってことか?」
「そう! 今から制限時間は3分。この周りの砂浜で、どちらがより『綺麗なシーグラスか貝殻』を見つけられるか競うの。審査員はお互いね。もし宮本くんが勝ったら、さっきのカバン持ちの約束はナシにしてあげる。でも、私が勝ったら……今日の帰り道、駅前のカフェで私が頼むメニューを、宮本くんがメニューを見ないでピタリと当ててね。はい、勝負スタート!」
真白はそう言うと、すぐに近くの砂を真剣な目で凝視し始めた。
(カバン持ちをチャラにするチャンス……! これは何が何でも勝たないと!)
蓮は俄然やる気になり、首元のチャコールグレーの手編みのマフラーをきゅっと締め直して、砂の上に目を皿のようにして走らせた。
学校の一番後ろの席での一筆書き勝負や、お昼休みのおかずの奪い合いとは違い、今回はこの広大な砂浜のすべてが勝負の舞台だ。真白がどれだけずる賢いルール詐欺を企もうとしても、落ちている物の美しさという、純粋な結果だけで勝敗が決まる。
(綺麗なやつ、綺麗なやつ……。真白さんはさっき緑色のシーグラスを見つけてたから、僕はもっと珍しい色のやつか、形の整った綺麗な貝殻を見つければ勝てるはずだ)
蓮は砂浜を歩き回り、風に吹かれて集まった小石の山を丁寧にかき分けた。
1分ほど探したとき、乾いた砂の隙間から、ほんのりと紫色に透き通る、小指の爪ほどの小さなシーグラスが顔を覗かせているのを発見した。
(よし……! 紫色はかなり珍しいだろ。形も丸くて、傷一つない。これなら絶対に勝てる!)
蓮はそれを指先でそっと拾い上げ、手のひらの中に大切に隠した。
ちょうどその時、真白が「うーん、なかなか良いのがないなあ」と呟きながら、トコトコと蓮の近くへと歩み寄ってきた。彼女の手元は、コートのポケットの中に隠されていて、何を見つけたのかは全く分からない。
「宮本くん、もうすぐ3分経つよ? 何か良いの見つかった?」
真白は蓮の正面で立ち止まり、上目遣いでじっと蓮の顔を覗き込んできた。
「……見つかったよ。今回は自信あるからな。真白さんのほうこそ、大したやつ見つけられてないんだろ」
蓮が少し勝ち誇ったように言うと、真白はふふっと不敵な笑みを浮かべた。
「どうかな? じゃあ、お互いに見つけたものを、せーので手のひらを開いて見せ合おうよ。……じゃあ、せーの!」
真白の掛け声とともに、蓮は『紫色のシーグラス』を乗せた右手をパッと開いて差し出した。
「どうだ! 紫色だぞ! めちゃくちゃ綺麗だろ!」
蓮がドヤ顔で言うと、真白は「わあ、本当に綺麗……」と一瞬だけ驚いたように目を見開いた。しかし、彼女は自分の右手を蓮の前に差し出したものの、その白い手のひらは、ぎゅっと握られたまま開かれなかった。
「え? 真白さん、手を開いてないじゃん。何隠してるんだよ」
蓮が不思議そうに言うと、真白は握りしめた手のひらを蓮の目の前に突き出しながら、ニヤニヤといつもの意地悪な笑みを浮かべた。
「私の手のひらの中にはね……宮本くんが見つけたその紫色のシーグラスよりも、ずーっと価値があって、ずーっと特別な『宝物』が入ってるんだよ」
「はあ? 価値があるって何だよ。ダイヤの指輪でも拾ったって言うのか?」
「ううん、ダイヤじゃないよ。……私の手のひらの中に入ってるのはね、『宮本くんの手』だよ」
真白はそう言うと、ぎゅっと握っていた自分の右手をパッと開き、そのまま蓮の差し出していた右手を、上から包み込むようにして優しく握りしめた。
「え……っ!?」
蓮の思考回路が、一瞬で完全にフリーズした。
真白の小さくて白い手のひらが、蓮の少し冷え切っていた右手をそっと包み込んでいる。布地越しではない、彼女の肌の微かな温かさと、柔らかさが、ダイレクトに蓮の手のひらへと伝わってきた。
「はい、私の勝ち。私は砂浜で一番の宝物を捕まえちゃったから、宮本くんの負けね」
真白は蓮の手を握ったまま、マフラーの奥から、いたずらっぽく、だけどこれまで見たこともないほどに真っ赤に染まった頬を覗かせて、クスクスと嬉しそうに笑った。
(っ……!?!?!?)
蓮の全身の血流が一気に頭頂部へと駆け上がり、顔がこれ以上ないほどに熱くなった。胸の奥の鼓動が、静かな波の音を完全に消し去ってしまうほどの激しいビートを刻み始める。
恋人同士という明確な関係にはあえて踏み出さない、ただの隣の席の友達。その曖昧な距離感のまま、真白はいつもこうして、蓮の想定を遥かに超えた方法で、彼の心の最も柔らかいところを鷲掴みにしていくのだ。
「な、何言ってるんだよ真白さん! これ、ただの反則だろ! 手のひらの中には何も入ってなかったじゃんか!」
蓮は慌てて手を引き抜こうとしたが、掴まれた彼女の手のひらがあまりにも柔らかく、そして温かくて、なぜだか強く振り払うことができなかった。
「反則じゃないよー。何を持ってるかは私の自由だもん。……それにね、宮本くんの手、すっごく冷たくなってたから、温めてあげようと思っただけだよ?」
真白は潤んだ瞳で蓮を上目遣いにじっと見つめ返した。その耳たぶは、夕日のオレンジ色を吸い込んで、これ以上ないほどに真っ赤に染まっていた。いつもは完璧に蓮をからかうはずの少女が、自分の仕掛けた大胆な行動のせいで、自分自身も限界寸前まで照れてしまっているのだ。
「……もう、本当に敵わないな、真白さんには」
蓮は真っ赤になった顔を隠すように、首元のチャコールグレーのマフラーに顔を深くうずめ、観念したように小さく呟いた。蓮の手のひらの中にあった紫色のシーグラスは、二人の合わさった手の隙間で、静かにその温もりを共有していた。
冬の終わりの、誰もいない黄金色の砂浜。
からかわれて悔しいはずなのに、繋がった手のひらの温かさと、隣で照れながら笑う彼女の存在が、蓮の胸の奥を、冬の寒さを完全に忘れさせてしまうほどの優しく愛おしい熱で、どこまでも満たしていくのだった。
「よし、勝負は僕の負けでいいよ。……じゃあ、駅前のカフェ、行こ?」
蓮が照れ隠しに先を歩こうとすると、真白はそっと手を離し、「うん、行こっか、宮本くん!」と、いつもの楽しそうな足取りで蓮の少し斜め前をトコトコと歩き出すのだった。




