第78話:男子たちの追及と隣の席の視線
朝のホームルームが終わり、1時間目の授業が始まるまでのわずかな休み時間。
一番後ろの席の居心地の良さに少しだけ息を抜いていた宮本蓮の元に、案の定、不穏な足音が近づいてきた。椅子をガタガタと言わせながら現れたのは、クラスの男子グループである木村と高尾だった。
「よお、蓮。新学期早々、一番後ろの特等席をゲットして調子良さそうだな」
木村が不敵な笑みを浮かべながら、蓮の机の横に飾るように掛けられていたチャコールグレーのマフラーに目を留めた。
「ん? なんだよ。席はただのくじ引きの結果だろ」
蓮が何気なく答えると、高尾がそのマフラーをじっと凝視し、それから自分の顎に手を当てて「ふーむ」とわざとらしい声を上げた。
「なあ、蓮。そのマフラー、冬休み前まで使ってたネイビーのやつと違うよな? 新しいやつか?」
「あ、ああ……まあ、新しいやつだけど。それがどうしたんだよ」
蓮は内心でギクリとした。まさか朝一番で男子たちにマフラーの変化を気づかれるとは思っていなかったのだ。
「いやさ、その編み目。なんかこう……機械で大量生産されたやつにしては、微妙に不揃いっていうか、温かみがあるっていうかさ」
木村が顔を近づけ、マフラーの繊維を観察するように目を細める。
「手編み、だよな? これ」
高尾のその決定的な一言に、蓮の背筋が跳ね上がった。
「っ……! た、ただの手編み風のデザインだよ! 最近そういうの売ってるだろ!」
蓮は慌ててマフラーをカバンの中に押し込もうとしたが、木村がそれを素早く手で制した。
「嘘つけ! お前、嘘つくときいつも左側を見るんだよ。なあ、誰にもらったんだよ? もしかして、冬休みの間に彼女でもできたのか?」
「彼女なんていないって! 本当にただの……」
「えー? 何の話をしてるの、木村くんたち」
不意に、すぐ左隣の席から鈴を転がすような声が響いた。
ノートを開いて授業の準備をしていたはずの白石真白が、いつの間にかこちらの会話に聞き耳を立てていたらしい。彼女は机に肘をつき、手のひらで顎を支えながら、いたずらっぽく細めた瞳で男子たちを見上げた。
「あ、白石さん! いやさ、蓮のこの新しいマフラー、どう見ても手編みなんだけど、本人は頑なに認めないんだよ。白石さんなら、いつも隣にいるんだから何か知ってたりしない?」
高尾が味方を得たと言わんばかりに真白に話を振る。
蓮は心の中で(真白さん、余計なこと言わないでくれ……!)と必死に無言の視線を送ったが、真白の唇の端は、楽しそうに吊り上がっていった。完全にいつものからかいモードの表情だ。
「うーん、手編みかあ。確かに、よく見るとすごく一生懸命編んだ感じがするよね。宮本くんにすっごく似合ってるチャコールグレーだし」
真白はわざとらしく蓮のマフラーを覗き込み、それから蓮の顔をじっと見つめてきた。
「だろ!? やっぱり手編みだよな! 蓮、白石さんもそう言ってるぞ! 正直に吐けよ、どこの女子に編んでもらったんだよ!」
木村が蓮の肩を揺さぶる。蓮の顔は、すでに限界突破寸前まで赤くなっていた。隣にいる本人が編んだ張本人だなんて、クラスの男子にバレたら、明日からの学校生活が冷やかしの嵐になるのは目に見えている。
「だから、違うって言ってるだろ……!」
蓮が必死にポーカーフェイスを維持しようと冷や汗を流していると、真白がクスッと小さく笑って、男子たちに向けて人差し指をチッチッと横に振った。
「木村くんたち、宮本くんをいじめちゃダメだよ。そのマフラーね、実は……私が冬休みの間に編んだやつなんだ」
「「ええええええっ!?!?!?」」
木村と高尾の声がハモり、教室内の一部の生徒たちが驚いてこちらを振り返った。蓮の思考回路は完全にフリーズし、心臓がバクバクと防報を鳴らし始める。
(な、何言ってるんだよ真白さん!? 自分からバラすなんて、どういうつもりだ!?)
蓮が泡を食って真白を見ると、彼女はさらに楽しそうに目を細めて言葉を続けた。
「……っていう冗談だったら、木村くんたち、どうする?」
「え……じょ、冗談?」
木村が拍子抜けしたような声を出す。
「うん、冗談だよ。私が宮本くんにマフラーなんて編むわけないじゃん。ねえ、宮本くん?」
真白は上目遣いで、蓮の瞳の奥をじっと覗き込んできた。
からかいのトーン。だけど、その奥にある彼女の瞳は、蓮がどんな反応をするかを値踏みするような、深い響きを持っていた。
(あ、危ねえ……! 冗談にしてカモフラージュしたのか……!)
蓮は生唾を飲み込み、なんとか声を絞り出した。
「ほ、ほら見ろ! 真白さんの冗談に決まってるだろ! あいつが僕にマフラーなんて編むわけないじゃんか。……ただの通販のやつだよ、通販!」
蓮が必死に話を合わせると、木村と高尾は「なんだよ、白石さんの冗談かよー。心臓に悪いな」「蓮のやつ、一瞬ガチで焦った顔してたから騙されたわ」と笑いながら、自分たちの席へと戻っていった。
男子たちの背中が遠ざかり、周りの生徒たちの関心も薄れていく。
蓮は椅子の背もたれに深く体を預け、大きく溜め息を吐き出した。冷や汗でブレザーの背中が少し張り付いているような気がした。
「……心臓に悪いから、あんなスリリングな冗談やめてくれよ、真白さん」
蓮が顔の赤みを隠すように、カバンの中にマフラーを丁寧に仕舞いながら小声で言うと、隣の真白は、開いたノートの余白にさらさらと文字を書き、それを少しだけ蓮の机の方へと滑らせてきた。
蓮がその文字を盗み見ると、丸っこい可愛らしい文字で、こう書かれていた。
『宮本くん、さっき本当に焦ってたね。木村くんたちに「本当だよ」って言っちゃおうかと思った。』
(っ……!)
蓮は慌てて自分のノートの端に返事を書いた。
『絶対にやめてくれ。そんなこと言ったら、僕たち付き合ってるとか、そういう変な誤解をされるだろ。ただの隣の席の友達なんだから』
「付き合ってる」という単語を文字にするだけで、自分の指先が熱くなるのを感じた。恋人同士になるような明確な一歩はお互いに踏み出さない。それが二人の間の心地いい距離感のはずだ。
真白は蓮の文字を読むと、一瞬だけペンを動かす手を止めた。
それから、少しだけ寂しそうな、だけどすぐにいつもの愛らしい笑顔に戻ると、ノートに大きく文字を書き足して戻してきた。
『そうだね。ただの隣の席の、マフラーをプレゼントしちゃうお友達、だもんね。』
真白はそう書かれた文字の横に、昨日蓮のノートに描いたあの下手くそなペンギンのイラストを小さく書き足した。
そして、ノートを引っ込めると、真白は自分のチェック柄のマフラーに顔を深くうずめ、蓮の方を見てにやっと意味深に笑った。マフラーに隠しきれていない彼女の耳たぶが、暖房のせいだけとは思えないほど、ほんのりと赤くなっているのを蓮は見逃さなかった。
結局、男子たちの追及は真白の機転(という名のからかい)によって煙に巻かれたが、蓮は自分が彼女の手のひらの上で完全に転がされていたことを再び確信するのだった。
ただの隣の席の友達。その曖昧で焦れったい名前のまま、二人の間を流れる空気は、冬の寒さを一瞬で忘れさせてしまうほどに、優しく、そしてどこまでも温かい熱を帯びていくのだった。




