第72話:冬休みの初詣と白い息
大晦日の喧騒が去り、新年の穏やかな光が街を包み込む元日の午後。
宮本蓮は、実家近くの少し小高い丘の上にある神社の境内で、寒さに身を縮こまらせながらそわそわと足を動かしていた。
終業式の夜、真白から宣言通り『明日、初詣一緒に行かない?』というメッセージが届いた時は、スマートフォンの画面を二度見してしまった。木村たちも誘うのかと思いきや、送られてきた集合場所と時間には、二人の名前しか書かれていなかった。つまり、二人きりの初詣である。
(……いや、落ち着け。あいつのことだ。新年早々、僕をからかってからかい初め(・ ・ ・ ・ ・)をしたいだけに決まってる。変に意識したら負けだ)
蓮はマフラーを口元まで引き上げ、自分にそう言い聞かせた。
境内は初詣に訪れた地域の人々で適度に賑わっており、出店から漂ってくる綿菓子や焼きそばの甘辛い匂いが、冷たい空気に混ざり合っている。
「お待たせ、宮本くん!」
不意に後ろから聞こえた鈴を転がすような声に、蓮の肩がびくりと跳ねた。
振り返ると、そこに立っていたのは、いつも見慣れた制服姿ではない真白だった。
白いダッフルコートに、淡いピンク色のニット帽。首元にはいつものチェック柄のマフラーを巻き、足元は歩きやすそうなブーツを履いている。普段のお団子頭ではなく、帽子から覗く髪が少しゆるく巻かれていて、いつもよりぐっと大人びて見えた。
蓮は思わず言葉を失い、彼女の姿をじっと見つめてしまった。
「……あ、う、うん。おはよ、じゃなくて、あけましておめでとう」
「あけましておめでとう、宮本くん! ……ねえ、何そんなにじっと見てるの? もしかして、私の私服姿が可愛すぎて見惚れちゃった?」
真白はトコトコと距離を詰めると、コートのポケットに両手を入れたまま、いたずらっぽく小首を傾げた。
「な、見惚れてないよ! 普段と雰囲気が違うから、ちょっとびっくりしただけだろ!」
蓮は慌てて視線を斜め下に逸らした。
しかし、彼女が動くたびに、冬の冷たい風に乗って、あの甘いシャンプーの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。心臓が朝一番からうるさいほどのビートを刻み始めていた。
「ふふ、そういうことにしておいてあげる。じゃあ、お参りしに行こ?」
二人は並んで本殿へと続く参拝客の列に並んだ。
歩くたびに、厚手のコート越しではあるものの、真白の肩が蓮の腕にカサカサと触れ合う。その度に蓮は緊張で背筋が伸びそうになった。
「ねえ、宮本くん。新年最初の勝負、しない?」
列が進むのを待ちながら、真白がマフラーを少し下げて話しかけてきた。
「また勝負かよ。お正月くらい普通にお参りさせてくれよ」
「いいじゃん、お正月だからこそだよ。ルールは簡単。今からお参りするときにね、お互いにお願いごとを心の中で唱えるでしょ? その後、私が『どんなお願いごとをしたか』を宮本くんが当てるの」
真白は楽しそうに目を輝かせている。
「はあ? 人のお願いごとなんて分かるわけないだろ。完全に超能力の領域じゃんか」
「そんなことないよ。ヒントはね、今日の勝負の勝敗に関係すること。もし宮本くんが当てたら、帰りにあそこの出店で売ってる大判焼き、私が奢ってあげる。でも、外れたら……宮本くんが私に奢ってね」
(今日の勝負の勝敗に関係すること……?)
蓮は眉をひそめて考えた。真白のことだから、きっと『今年も宮本くんをたくさんからかえますように』とか、そういう意地悪なお願いに決まっている。これなら勝機はあるかもしれない。
「……分かった。その勝負、乗った」
「よし、決まりね。あ、ちょうど次、私たちの番だよ」
二人の前の参拝客が退き、本殿の前に並んだ。
蓮は賽銭箱に五円玉を投げ入れ、大きな鈴の紐を引いてガラガラと音を立てた。そして、二礼二拍手一礼の作戦に則り、目を閉じて胸の前で手を合わせる。
(今年も、真白さんにからかわれっぱなしじゃありませんように。一回くらいは、あいつを言い負かせられますように……)
蓮がそう願いを込めて目を開けると、隣の真白はまだじっと目を閉じ、熱心に手を合わせていた。少しだけ動く長いまつ毛と、寒さでほんのり赤くなった鼻先が、冬の柔らかな日差しに照らされて、なんだかひどく綺麗に見えた。
真白がゆっくりと目を開け、手を下ろす。二人は本殿の前を離れ、境内のはずれにある大きな木の下へと移動した。
「さあ、宮本くん。私の『お願いごと』、何だと思う?」
真白がコートのポケットから手を出し、期待に満ちた瞳で蓮を見つめた。
蓮はフッと言い返すような不敵な笑みを浮かべた。
「簡単だよ。真白さんのことだから、きっと『今年も宮本くんをたくさんからかって、いっぱい困らせられますように』だろ? どうだ、当たったろ」
これ以上ないほど完璧なプロファイル。蓮は勝利を確信して胸を張った。
しかし、真白は蓮の答えを聞くと、一瞬だけ驚いたように動きを止め、それからマフラーをぐっと鼻先まで引き上げて、ぷいっと顔を横に向けてしまった。
「……ハズレ」
「え? ハズレ? 違うのかよ」
「全然違うよ。私はそんな意地悪なお願いしてないもん」
マフラーの奥から、少しだけくぐもった声が返ってくる。
「じゃあ、何てお願いしたんだよ。当てられなかったんだから、正解を教えてくれないと納得いかないぞ」
蓮が詰め寄ると、真白はゆっくりとこちらを振り返った。
その頬は、冬の寒さのせいだけとは思えないほど、鮮やかな桜色に染まっていた。彼女は帽子を少しだけ直しながら、蓮の瞳をじっと見つめて、小さな小さな声で呟いた。
「……『今年も、宮本くんの隣の席にいられますように』って、お願いしたの」
「え……」
蓮の思考が、文字通り完全にフリーズした。
(隣の席に……いられますように……?)
2週間前にクラスで話題になっていた、新学期の席替えの噂。くじ引きだから、離れてしまう可能性の方が高い。真白は、そのくじ引きでまた隣同士になれるように、神様に願ったというのだ。
「……あ、いや、それは……」
蓮の顔が、一気に沸騰したように熱くなった。心臓がドクドクと、耳の奥まで響くほどの音を立てて暴れ出す。お昼休みの時の『好きなタイプ』の爆弾発言以上の衝撃が、蓮の全身を駆け巡っていた。
そんな蓮の狼狽ぶりを、真白はマフラーの隙間からじっと見つめていたが、やがて、いつものいたずらっぽい、百点満点の笑顔を咲かせた。
「あはは! 宮本くん、また顔真っ赤! 冗談だよ、冗談。本当は『美味しい大判焼きが食べられますように』でしたー!」
「なっ……! お前、また僕をからかったな……!」
蓮は騙された悔しさと、それ以上に「冗談だったのか」という奇妙な安堵、そしてほんの少しの寂しさが混ざり合って、声を荒らげてしまった。
「でも、勝負は私の勝ちだからね? ほら、約束の大判焼き、奢ってもらうよ」
真白はトコトコと出店の方へと歩き出していく。その軽やかな背中を見つめながら、蓮は熱を持った自分の顔を手で覆った。
(本当に……心臓がいくつあっても足りないよ……)
蓮は深く溜め息を吐き出し、ポケットの中で財布を握りしめると、彼女の後を追って歩き出した。
真白の言った『隣の席にいられますように』という言葉が、本当にただのからかいの冗談だったのか、それともほんの少しの本音が混ざっていたのか、蓮には分からない。
だけど、出店の前で嬉しそうにカスタード味の大判焼きを受け取り、ハフハフと美味しそうに食べる彼女の横顔を見ていると、蓮の胸の奥にも、神様には内緒の、まったく同じお願いごとが静かに生まれてしまうのだった。




