第71話:終業式と冬休みの約束
席替えの噂にクラス中がソワソワと胸を躍らせてから、早いもので2週間の月日が流れていた。
結局、先生の「キリが良いから新学期になってから行う」という一言によって席替えは延期となり、宮本蓮と白石真白は、隣同士の席のままで2学期最後の登校日を迎えることとなった。
体育館での長くて退屈な校長先生の話が終わり、各教室に戻って通知表が配られた後の放課後。
教室内は、明日から始まる冬休みへの期待感で満ちあふれていた。「クリスマスどこ行く?」「初詣は?」といった賑やかな会話が飛び交う中、荷物をまとめ終えた生徒たちが一人、また一人と教室を後にしていった。
蓮もカバンに通知表と冬休みの宿題を詰め込み、ジッパーを閉めた。
ふと隣の席を見ると、真白はまだ帰る支度を途中で止めたまま、窓の外の景色をじっと眺めていた。今日の空は、2週間前の雨の日が嘘のように抜けるような冬晴れで、遠くの山々までくっきりと見渡せる。
「真白さん、帰らないの? もうみんなほとんど行っちゃったぞ」
蓮が声をかけると、真白はハッとしたようにこちらを振り向き、それからマフラーに顔を半分うずめて、ふにゃりと力なく微笑んだ。
「帰るよ。帰るんだけど……なんだか、明日から学校に来なくていいと思うと、ちょっとだけ調子が狂っちゃうなと思って」
「そうか? 毎日朝早く起きなくて済むし、宿題さえ終わらせれば最高じゃん」
「宮本くんはいいなあ、呑気で。私はね、明日から毎日、宮本くんをからかえないと思うと、退屈で死んじゃいそうだよ」
真白は机に両肘を突き、手のひらで顎を支えながら、上目遣いで蓮の顔を覗き込んできた。
お昼休みのときのような、いたずらっぽくて、だけどどこか本心が混ざっているような、そんな綺麗な瞳だった。
「……死なないだろ。というか、僕からすれば、明日からあいつのからかいに怯えなくて済むんだから、最高の冬休みだよ」
蓮はあえてぶっきらぼうに言い放ち、カバンを肩にかけた。
だが、胸の奥では、真白の言葉に激しくドタバタと鼓動が波打っていた。明日から約2週間、真白の笑顔を見られないのだと思うと、自分でも驚くほど胸の奥がチクリと痛むような、寂しい感覚があったからだ。もちろん、そんなことは絶対に口が裂けても言えなかった。
「あ、そうだ。宮本くん」
真白もカバンを持つと、椅子を引いて立ち上がり、蓮の隣へと並んだ。
「何だよ」
「冬休みに入る前に、2学期最後の『勝負』をしようよ」
「また勝負か。本当に好きだな……。で、何の勝負?」
二人は並んで教室を出て、誰もいなくなった静かな廊下を歩き出した。
窓から差し込む西日が、二人の長い影をオレンジ色に染め上げている。
「今から校門を出るまでの間にね、宮本くんの携帯に、クラスの人から『冬休みの予定』に関する連絡が来るか来ないか、どっちか当てるの」
真白は歩きながら、自分のポケットからスマートフォンをチラつかせてみせた。
「なんだよそれ。そんなの完全に運だし、木村たちから急に連絡が来るわけ……」
そこまで言いかけて、蓮はピタリと足を止めた。
(待てよ。木村と高尾のやつら、終礼の前に『放課後、蓮の携帯に連絡するから確認しとけよ』って言ってた気がする……! 内容は確か、冬休みにみんなで集まるゲーム大会の件だ。真白さんはそれをどこかで聞いてたのか……!?)
蓮は真白の表情を盗み見た。彼女は「さあ、どっち?」と、完璧に勝利を確信したような笑みを浮かべている。
(もし僕が『来る』と答えたら、真白さんは『じゃあ私は来ないに賭けるね』って言うはずだ。そして、あいつの性格なら、木村たちに裏で『今、蓮に連絡するのストップして!』ってメッセージを送って、連絡を阻止するくらいのことは平気でやりかねない……!)
真白のこれまでの知能犯的なからかいを思い出し、蓮の脳内コンピューターがフル回転を始める。
(逆に、僕が『来ない』と答えたら、真白さんは『じゃあ私は来るに賭ける』って言って、その瞬間に自分で僕の携帯にメッセージを送ってくるはずだ。『冬休み、何するの?』って。それでメッセージが届いて、あいつの勝ちになる……。つまり、どっちを答えても、あいつが裏で操作できる状態なんだ!)
蓮は額に冷汗がにじむのを感じた。
何を答えても負ける。まさに絶対絶命の罠だった。
しかし、蓮はここで引き下がる男ではなかった。この2週間、真白にからかわれ続け、ベッドの中で何度も反省会を繰り返してきたのだ。ただ負けるだけの宮本蓮ではない。
「……じゃあ、僕の予想はね」
蓮は不敵な笑みを浮かべ、真白の綺麗な瞳をまっすぐに見つめ返した。
「『真白さんから、冬休みの約束の連絡が来る』に賭けるよ」
「え……?」
真白が一瞬、本当に不意を突かれたように目を見開いた。彼女の足が、廊下の真ん中でピタリと止まる。
「木村たちから連絡が来るかどうかは関係ない。真白さんが今、僕にメッセージを送るか送らないか。もし送ってきたら僕の勝ち。送ってこなかったら……真白さんは、冬休みの間中、僕に連絡するのを我慢しなきゃいけないんだろ? からかいたくてウズウズしてる真白さんに、そんなことできるわけないじゃん」
蓮は勝ち誇ったように胸を張った。
真白の提示したルールの枠組みを飛び越え、彼女自身の行動と心理を逆手に取った、完璧なカウンターだった。もし真白が連絡をしてこなければ蓮の負けになるが、それは同時に、冬休みの間ずっと彼女からの連絡をシャットアウトできるという、蓮にとってはどちらに転んでも美味しい条件だった。
真白はしばらくの間、呆然としたように蓮の顔を見つめていた。
冬の静かな廊下に、二人の呼吸の音だけがかすかに響く。
やがて、真白の白い頬が、夕暮れの赤色よりもずっと濃い、鮮やかな桜色に染まっていくのを蓮ははっきりと目撃した。彼女は慌ててマフラーを鼻先まで引き上げると、ぷいっと顔を横に向けてしまった。
「……宮本くんの、バカ」
マフラーの奥から、小さくこもった声が聞こえた。
「え、何でだよ。僕、間違ったこと言ってないだろ?」
「もういいもん。私の負けでいいよ。……宮本くん、たまにそういう、変なところで鋭いんだから」
真白はトコトコと急ぎ足で階段を下りていってしまった。
その後ろ姿を追いかけながら、蓮は胸の奥が飛び上がるほど嬉しかった。ついに、あのからかい上手な真白に、一本取ることができたのだ。
昇降口を出て、校門をくぐる。
冬の冷たい風が吹き抜けたが、二人の顔はどちらも熱を持ったままだった。
商店街へと続く坂道の途中で、真白はようやく足を緩め、隣の蓮を振り返った。その耳たぶは、まだ真っ赤なままだったが、瞳にはいつもの愛らしい輝きが戻っていた。
「ねえ、宮本くん。勝負は宮本くんの勝ちだから……今日の夜、覚悟しててね」
「え? 何をだよ」
「約束通り、私から『冬休みの約束』の連絡、いっぱいいっぱい送っちゃうんだから。宮本くんが既読をつけるまで、何回も何回も送るからね」
真白はそう言うと、いたずらっぽくペロッと舌を出し、それから本当に嬉しそうな、最高の笑顔を咲かせた。
「……あいつ、本当に最後まで負けず嫌いだな」
蓮は呆れたように呟きながらも、ポケットの中の携帯電話が、今から鳴るのが待ち遠しくてたまらない自分に気がついていた。
明日からの冬休み。学校で隣の席に座ることはできないけれど、二人の距離は、この冷たい冬の空気を一瞬で溶かしてしまうほど、温かく、そして確かに繋がっているのだった。




