第62話:二人の座席
プシュー、と重い音を立てて電車のドアが閉まった。
車内は暖房が効いていて、冷え切った体にその温もりがじんわりと染み渡っていく。
時間帯のせいか、車内はガラガラに空いていた。
真白はトコトコと歩を進め、車両の端にある二人掛けのシートに腰を下ろす。そして、当然のように自分の隣の席を、ぽんぽんと小さな手で叩いた。
「宮本くん、ここ空いてるよ」
「あ、ああ……ありがと」
蓮は少し緊張しながら、彼女の隣に腰を下ろした。
普段なら何とも思わない距離なのに、さっきのハプニングの後では、肩が触れ合いそうな近さにどうしても意識がいってしまう。
ガタゴトと電車が揺れるたびに、真白のコートの裾が蓮の足にカサリと触れた。
「……あったかいね」
真白がマフラーを完全に外し、膝の上に畳んで置いた。
少し汗ばんだような彼女のうなじから、先ほど蓮の鼻腔をくすぐった、あの甘いシャンプーの香りが再び優しく漂ってくる。
「そうだね。外が寒すぎたから、生き返るよ」
蓮は視線をあえて正面の窓に向けた。
窓ガラスには、並んで座る二人の姿がぼんやりと映り込んでいる。
「ねえ、宮本くん」
「ん?」
「さっきホームで言ったこと、まだ気にしてる?」
真白が首を少し傾げて、覗き込むように蓮の顔を見た。
いたずらっぽい、だけどどこか蓮の反応を値踏みするような綺麗な瞳。
「気にしてないよ。真白さんがからかってくるのは、いつものことだし」
「からかってないもん。本当のことだもん」
「だから、僕の心臓はそんなに鳴ってなかったって……」
言い訳をしようとした蓮の言葉は、不意に遮られた。
真白が、自分の小さくて白い手を、そっと蓮のブレザーの胸元に当てたからだ。
「え……っ!?」
蓮の体がカチコチに強張る。
布地越しに、真白の手のひらの微かな温かさが直接胸に伝わってきた。
「ほら、やっぱり」
真白は手を当てたまま、嬉しそうに目を細めた。
「今も、すっごく速いよ? トクトクって、ここに響いてる」
「それは……っ、真白さんが急に触るからだろ!」
蓮は慌てて真白の手首を優しく掴み、自分の胸からはがした。
しかし、掴んだ彼女の手首があまりにも細くて柔らかく、再び心臓のギアが跳ね上がるのを感じた。
慌てて手を離す蓮を見て、真白は満足そうにシートに深く背を預けた。
だが、蓮から視線を外した彼女の横顔を見ると、その耳たぶが、車内の暖房のせいだけとは思えないほど真っ赤に染まっている。
「……宮本くんの負け、ね」
真白は窓の外を流れる夜景を見つめながら、小さな声で呟いた。
「何がだよ……」
蓮は自分の顔がこれ以上ないほど熱くなっているのを自覚しながら、ポケットの中で熱を持った右手をぎゅっと握りしめた。
からかわれているのは分かっている。
だけど、窓ガラスに映る真白の表情が、いつもより少しだけ照れくさそうに潤んでいるのを見て、蓮は自分が完全に彼女の手のひらの上で転がされていることを確信するのだった。




