第60話:冷めない熱
「……待って、真白さん!」
蓮は慌てて足を動かし、数歩先を歩く真白の背中を追いかけた。
凍りついた路面に足元をすくわれそうになりながらも、なんとか彼女の隣に並ぶ。
真白はマフラーに顔を半分うずめたまま、視線を頑なに前方に向けた。
ただ、耳の付け根がまだほんのりと赤いのが、街灯の光に照らされて透けて見えている。
「そんなに急いで歩いたら、また滑るよ」
「……滑らないもん。もう気をつけてるから」
少し尖らせた声が、白い息となって夜の闇に消えていく。
気まずい沈黙が二人を包み込んだ。いつもなら、真白の他愛のないお喋りが静寂を埋めてくれるはずなのに、今は電車の走る遠い音だけが響いている。
蓮の右手には、まだ彼女を抱きしめた時の、柔らかくて温かい感触が微かに残っていた。
それを思い出すたびに、胸の奥がドクンと跳ねる。
(……いや、意識しすぎだ。真白さんは怒ってるわけじゃない。恥ずかしいだけだ、多分)
自分にそう言い聞かせ、蓮はなんとかいつもの調子を取り戻そうと、小さく息を吐いた。
「さっきは、その……ごめん。でも、本当に怪我がなくてよかった」
その言葉に、真白の歩みが一瞬だけ緩んだ。
彼女はゆっくりと首を横に振ると、マフラーの隙間から、いたずらっぽく細められた瞳を蓮に向けた。
「怒ってないよ。……ただ、びっくりしただけ」
「そっか。ならいいんだけど……」
「ねえ、宮本くん」
不意に名前を呼ばれ、蓮の背筋が伸びる。
「なに?」
「さっきの宮本くん、ものすごーく必死な顔してた。顔、真っ赤だったよ?」
クスッと、いつもの真白の笑い声。
先ほどまでの緊張が嘘のように、彼女のペースに巻き込まれていくのを感じる。
「そ、それは……誰だって焦るよ。真白さんが転びそうになったんだから」
「ふーん。私のために、そんなに必死になってくれたんだ」
真白は一歩、蓮の方に距離を詰めてきた。
上目遣いでじっと見つめられると、蓮は言葉に詰まってしまう。
「じゃあ、もう一つ質問」
「……なに?」
「私の心臓の音……本当に、聞こえなかった?」
トクン、と蓮自身の心臓が大きな音を立てた。
からかうような笑みを浮かべているものの、真白の頬は再び赤みを帯びている。彼女自身も、かなりの賭けに出ているのが見て取れた。
「き、聞こえてないって。防寒着の上からだったし……」
「嘘つき。宮本くん、嘘つく時、いつも左側に視線を逸らすんだよ?」
「えっ、あ、いや……」
完全に図星だった。
蓮が慌てて視線を泳がせると、真白は満足そうに「やっぱりね」と小さく笑った。その笑顔は、冬の寒さを一瞬で忘れさせてしまうほどに愛らしかった。
「……でも、いいよ。お互い様、ってことにしといてあげる」
「お互い様って?」
「宮本くんの心臓の音も、すっごく速かったの、私には聴こえてたから」
そう言い残すと、真白は「じゃあね!」と小さく手を振り、今度こそ軽やかな足取りで改札口へと走っていった。
一人残されたホームの手前。
蓮は冷たい空気を大きく吸い込み、自分の真っ赤になっているであろう顔を手で覆った。
(……全然、からかい上手なんかじゃないのに。なんであんなに、ドキドキさせられるんだろ)
ポケットの中で、先ほど彼女を助けた右手をそっと握りしめる。
冬の寒さは厳しさを増していくはずなのに、蓮の胸の奥にある熱は、一向に冷める気配がなかった。




