第58話:昼休みの白銀戦線と、不意打ちの雪弾
キーンコーンカーンコーン。
四限目の終わりを告げるチャイムが学校中に響き渡った瞬間、教室の空気は一気に爆発した。いつもなら弁当箱を開ける音が響く時間だが、今日ばかりは違う。
「おい! 飯は大急ぎで食って、すぐに校庭集合な!」
「雪合戦の準備しろ! 遅れるなよ!」
男子たちが一斉に大声をあげ、カバンから手袋を取り出して鼻息を荒くしている。窓の外に目をやると、朝から降り続いていた雪はすっかり止み、太陽の光を浴びた校庭が、眩しいほどの白銀の世界となって2階の教室までその輝きを反射させていた。
蓮も大急ぎで購買のパンを口に放り込み、防寒用の手袋をはめた。朝、真白さんとの「小さな雪だるま勝負」で敗北し、彼女の冷え切った手を温めてあげたときの、あの心臓が飛び出そうだった感触がまだ手のひらに残っているような気がして、蓮は無意識に手をグーパーと握り直した。
「宮本くん、ずいぶんと気合いが入ってるね。戦場にでも赴くみたいな顔をしてるよ」
となりの席で、真白さんがクスクスと笑いながらカバンを整理していた。彼女もすでにコートを着込み、手には可愛らしい白いニットの手袋をはめている。
「当たり前だろ! 男子にとって雪合戦はプライドをかけた本気の戦争なんだよ。真白さんはどうするの? 教室で大人しく見てる?」
「ううん、私も行くよ。宮本くんが雪まみれになって負けるところを、特等席で見届けなきゃいけないからね」
真白さんはマフラーの隙間から悪戯っぽく瞳を輝かせた。蓮は「負けるわけないだろ!」と言い返し、彼女と一緒に賑やかな校庭へと階段を駆け下りた。
校庭に出ると、そこはすでにカオスな戦場と化していた。
数日前の噂話で2人を冷やかしてきた木村や高橋たちが先頭に立ち、即席で作った雪の壁に身を隠しながら、勢いよく雪玉を投げ合っている。
「うわ、本格的だな……!」
蓮が圧倒されていると、背後から木村の大きな声が飛んできた。
「おい宮本! ぼさっとすんな! お前は右側の陣地を守れ!」
「おう、分かった!」
蓮は一瞬で戦う男の顔になり、しゃがみ込んで足元の湿った雪を力一杯握りしめた。手袋越しでも雪の冷たさと固さが伝わってくる。
戦いが始まると、蓮は必死に雪玉を作っては敵陣へと投げ込んだ。小学生の頃の経験を活かし、なかなかいいコントロールで相手のブレザーに命中させる。
「よっしゃ、当たった!」
蓮がガッツポーズを決めた、その時だった。
パサッ。
驚くほど軽い音がして、蓮の首元に冷たい感触が走った。
「冷たっ……!?」
振り返ると、数メートル離れたイチョウの木の陰から、真白さんがちょこんと顔を覗かせていた。彼女の手には、まだ小さな雪玉が握られている。
「あはは、宮本くん、後ろがガラ空きだよ。戦場では油断大敵って、さっきの歴史の授業でも習ったでしょ?」
真白さんは白い手袋で口元を隠しながら、嬉しそうに目を細めて笑った。彼女が投げた小さな雪玉が、蓮の首元に綺麗に命中したのだ。
「おい、真白さん! 味方を後ろから撃つやつがあるかよ!」
蓮はムキになって、新しく作った雪玉を真白さんに向けた。しかし、いざ投げようと振りかぶったものの、彼女の白いマフラー姿と楽しそうな笑顔が視界に入ると、どうしても本気でぶつけることができない。男子のプライドが、女子に雪玉を強くぶつけることを拒否してしまうのだ。
「ほーら、宮本くん、私には投げられないの? 女の子に優しいんだね」
真白さんはそれを見透かしたように、わざと木の陰から全身をさらけ出して、一歩前へと歩み寄ってきた。
「くそ……、からかいやがって……!」
蓮はわざと的を外し、彼女の足元の雪に向かって優しく雪玉を放り投げた。パシャッと雪が弾け、真白さんのブーツを少しだけ濡らす。
「ふふ、今度は私の番ね。……じゃあ、ここで雪合戦の『特別勝負』をしよ。今から私が投げる雪玉を、宮本くんがもしノーバウンドでキャッチできたら、宮本くんの勝ち。もし避けたり、落としたりしたら、私の勝ち。どう?」
真白さんは手の中で、朝作ったミニ雪だるまのように小さくて綺麗な雪玉を丸めながら提案してきた。
「キャッチすればいいんだな? 簡単すぎるだろ、乗った!」
蓮は手袋をはめ直し、野球のグローブのように両手を前に構えた。真白さんとの距離はわずか三メートル。どんなに速い球が来ても、中2の男子なら確実に捕れる距離だ。
「いくよ? はい、それ!」
真白さんがふわりと腕を振った。
放たれた雪玉は、豪速球でも何でもなく、ゆっくりと綺麗な放物線を描いて蓮の胸元へと飛んできた。あまりにもスローな軌道に、蓮は「もらった!」と確信して両手を差し出した。
しかし、その瞬間、真白さんがマフラーの隙間から、消え入りそうな小さな声で呟いた言葉が、蓮の耳に届いた。
「……捕まえたら、私のこと……好きって認めちゃうことになるよ?」
「えっ……!?」
蓮の脳内に、衝撃波のような動揺が走った。
あまりにも予想外で、あまりにも心臓に悪いその一言に、蓮の両手の動きが完全にピタリとフリーズしてしまった。キャッチしようとした指先から、一切の力が抜けていく。
ボフッ。
真白さんの投げた柔らかい雪玉は、蓮の構えた両手の隙間をすり抜け、彼のブレザーの胸の真ん中に優しく当たって、そのまま足元へと崩れ落ちた。
「あーあ、落としちゃった。私の勝ちね、宮本くん」
真白さんは楽しそうにクスクスと笑いながら、一歩、また一歩と蓮の方へ近づいてきた。
「お、お前なぁ……っ! 今の反則だろ! 変なこと言うなよ!」
蓮は顔を真っ赤に染め上げ、雪の冷たさなんて完全に忘れて大慌てで抗議した。周囲では木村たちがまだ雪玉を投げ合って怒号をあげているが、この2人の空間だけは、完全に別の甘酸っぱい空気に支配されていた。
真白さんは蓮の目の前に立つと、自分の白いニットの手袋を外し、赤くなった指先を見せて微笑んだ。
「反則じゃないよ、戦術。……勝負に負けたんだから、朝の続き。また、あったかくしてね?」
真白さんは上目遣いで蓮の目をじっと見つめてきた。
白銀に染まった校庭の真ん中で、クラスメイトたちの目がいつ向くか分からないという大緊張の中、蓮は真っ赤な顔のまま、彼女の少し冷たい手を、手袋越しにぎゅっと握りしめることしかできないのだった。




