第57話:雪の日の特等席と、小さな勝負
「うわあ……真っ白だ……!」
朝、蓮が教室のドアを開けて真っ先に向かったのは、窓際の自分の席だった。窓ガラスに顔を近づけて外を覗き込むと、そこにはいつもと全く違う光景が広がっていた。
夜のうちから降り続いていた雪は、学校の校庭や周囲の住宅街の屋根を完全に覆い尽くし、一面の銀世界を作り出していた。大粒の雪がまだ空からひらひらと舞い降りており、いつもは見慣れた退屈な通学路が、まるで別世界のように美しく輝いている。
クラスの男子たちは朝から大興奮で、「おい、昼休み絶対雪合戦しようぜ!」「校庭に早く行こう!」と大騒ぎしていた。蓮も例外ではなく、窓の外を眺めながらワクワクとした気持ちを抑えきれずにいた。
「おはよう、宮本くん。雪、すっごく綺麗だね」
となりの席から、耳に心地よい澄んだ声が聞こえた。
振り返ると、真白さんが白いもこもこしたマフラーに顔を半分埋めながら、窓の外を見つめていた。彼女の透き通るような白い肌は、窓の外の雪の反射(レフ板効果)のせいで、いつもよりさらに眩しく見える。
「真白さん、おはよう。おう、めちゃくちゃ積もったな! 中2にもなって雪で大騒ぎするのもアレだけど、やっぱりテンション上がるわ」
蓮が鼻を鳴らすと、真白さんは机の上に頬杖をつき、悪戯っぽく目を細めた。
「ふふ、宮本くん、目がキラキラしてるよ。まるで小学生の男の子みたい。……ねえ、そんなに雪が好きなら、今からちょっとだけ『雪遊び』しに行かない?」
「え? 今から? まだ一限目が始まるまで時間あるけど、裏庭とか行くのか?」
「ううん、遠くまで行かなくても大丈夫。ほら、窓を開けてみて」
真白さんに促され、蓮は窓のサッシに手をかけて、ガラガラと横に引いた。
その瞬間、ヒヤッとした猛烈に冷たい冬の空気が教室の中に流れ込み、蓮は「うわ、寒っ!」と思わず身震いをした。ストーブで暖まっていた室内に、本物の冬が飛び込んできたようだ。
窓のすぐ外にあるアルミ製の広い手すり(ベランダの出っ張り)には、すでに数センチほどの真っ白な新雪が、誰にも触られずに綺麗に積もっていた。
「ほら、ここにちょうどいい雪があるよ」
真白さんは席から少し身を乗り出し、窓の外の手すりに積もった雪を、細い指先ですくい上げた。彼女は手袋をしていない素手のまま、冷たい雪を手のひらで転がしている。
「おい、真白さん、素手じゃ冷たいだろ。手袋持ってこなかったのか?」
「持ってきたけど、カバンの中。……ねえ、宮本くん。ここで1つ、雪の日の勝負、しよっか」
真白さんは手の中の雪を器用に丸めながら、不敵に微笑んだ。
「勝負? この窓の雪で何するんだよ」
「雪だるま作り勝負。今から一限目のチャイムが鳴るまでの間に、どっちが『可愛い雪だるま』を作れるか。審査員はお互いね。もし私が勝ったら、宮本くん、私の冷たくなった手を温めてね?」
真白さんは上目遣いで、長いまつ毛の奥にある瞳で蓮をじっと見つめてきた。
(なっ……! またそうやって、朝から心臓に悪いことを……っ!)
蓮の顔が一気に熱くなる。周りのクラスメイトたちは相変わらず騒いでいるが、窓際の一番後ろの席である2人の会話には誰も気づいていない。
「い、いいよ、乗った! 雪だるまなら、俺だって小学生のときに作りまくったから負けないぞ!」
蓮は動揺を隠すように大声を張り上げ、自分も窓の外の雪を両手で掴み取った。
(……冷たっっ!!!)
想像以上の新雪の冷たさに、手のひらの感覚が一瞬で麻痺しそうになる。しかし、真白さんに勝ちたい一心で、蓮は必死に雪を固めた。
蓮が作ったのは、頭が大きくてドッシリとした、いかにも頑丈そうな伝統的な二段の雪だるまだった。近くに落ちていたシャーペンの芯の切れ端を拾い、それを目に見立ててパチッと埋め込む。
「よし、完成! どうだ、真白さん!」
蓮は自分の自信作を机の上に置いた。
真白さんは「早〜い。じゃあ、私も完成」と言って、自分の手のひらをそっと開いた。
彼女が作ったのは、蓮のような大きな雪だるまではなく、指先の上に乗るくらいの、驚くほど小さな、小さな雪だるまだった。しかも、頭の上にはイチョウの枯れ葉の小さなカケラがちょこんと乗っており、まるで小さな帽子を被っているかのように繊細で、文句なしに可愛らしかった。
「うわ……小っちゃ。何だよそれ、細かすぎだろ」
「ふふ、私の勝ちでいい?」
真白さんは嬉しそうに微笑んだ。確かに、可愛らしさという意味では、蓮の無骨な雪だるまは完敗だった。
「……負けたよ。真白さん、手先器用だな。……あ、そうだ、約束」
蓮は勝負に負けたことを認め、真白さんの手を見た。彼女の両手は、冷たい雪を素手で触っていたせいで、見たこともないくらいに真っ赤に染まっており、小さくガタガタと震えていた。からかうために、彼女自身もかなりの無理をしていたのだ。
「ほら、貸せって」
蓮は自分のブレザーのポケットに両手を突っ込んで、中を十分に温めてから、真白さんの真っ赤になった両手を、自分の大きな両手でそっと包み込んだ。
「あ……」
真白さんが小さく息を呑んだ。
彼女の手は驚くほど冷んやりとしていたが、蓮の手が触れた瞬間、ポケットの中の熱がじんわりと彼女の肌へと伝わっていった。手が重なり合う。教室の冷やかしの声が遠くのBGMのように流れる中、窓際の一番後ろの席で、2人は静かに手を重ね合わせていた。
「……宮本くんの手、すっごく温かいね」
真白さんはマフラーに顔を深く埋め、照れ隠しをするように視線を落とした。いつも蓮を翻弄している彼女が、今は蓮の手の温もりの前で、少しだけ耳のあたりを赤くしてじっとしている。
「真白さんが無茶して素手で雪触るからだろ。……もう冷たくないか?」
「うん。もう、すっごく熱いくらい。……勝負、私が勝って良かった」
真白さんはマフラーの隙間から、とても愛おしそうな、優しい微笑みを蓮に向けた。
中学2年生の冬。雪が降る静かな教室の特等席で、2人の距離は、誰にも気づかれない小さな雪遊びとともに、またしても一歩、甘酸っぱく近づいていくのだった。




