第54話:噂のあとのディスタンス
クラス中に「2人が付き合っているのではないか」という噂が駆け巡ってから、三日が過ぎた。
いつもなら、どんなに派手な噂話も二日も経てば次の新しい話題へと移り変わっていくものだが、今回ばかりはそうはいかなかった。何しろ、あの「ポーカーフェイスで誰も寄せ付けない優等生」の真白さんと、「クラスで一番分かりやすい男子」の蓮の組み合わせだ。休み時間になるたびに、男子からも女子からもニヤニヤとした視線が2人の席へと送られていた。
その結果、2人の間には、かつてないほどの奇妙な「ギクシャクとした空気」が流れるようになっていた。
「……あ、お、おはよう。真白さん」
朝、自分の席に着いた蓮は、となりの真白さんに声をかけるだけで、喉の奥がカラカラに乾くのを感じていた。
「うん、おはよう。宮本くん」
真白さんも教科書から顔を上げ、小さく会釈を返す。しかし、その声はいつもより心なしか硬く、お互いに視線を合わせても、一秒と経たずにパッとそらしてしまう。
(あー……、なんか気まずすぎる……!)
蓮は歴史の教科書を机の上に広げながら、心の中で頭を抱えた。
普段なら、席に着いた瞬間に真白さんから「宮本くん、今日も寝癖がすごいね」とか「消しゴム貸して」といった軽いからかいが飛んでくるはずだった。しかし、今はその気配が一切ない。真白さんは背筋をピンと伸ばしたまま、じっと黒板を見つめてノートを整理している。
チラリと横目で様子を伺うと、真白さんの横顔はいつも通りクールに見えたが、ノートをめくる指先がどこかぎこちなく、シャーペンを持つ手にいつもより力が入っているのが分かった。
(真白さんも、やっぱり気にしてるのかな……。あの朝、俺が『嫌じゃないけど……』なんて変なこと言っちゃったから、怒らせちゃったのかもしれない)
蓮は急激に不安になってきた。からかわれない日常というのは、驚くほど退屈で、そして胸の奥がチクリと痛むほどに寂しかった。
二限目の休み時間。いつもなら2人の戦場となる時間だが、教室内はまだ冷やかしの空気が残っていた。廊下を通りかかった他クラスの男子が、わざわざ窓から蓮の席を覗き込んで「あ、噂のカップルだ」などと小声で囃し立てていく。
蓮は思わず肩をすくめ、小さくため息をついた。
すると隣の席で、カチャリとシャーペンが置かれる音がした。真白さんがゆっくりとこちらを向いたのだ。
「……ねえ、宮本くん」
「えっ!? あ、はい、何ですか!」
急に話しかけられ、蓮の声が情けなく裏返った。周囲の視線が一瞬こちらに集まり、蓮は慌てて口を塞ぐ。
真白さんはいつものようにノートの切れ端を取り出すと、少し躊躇うような手つきでペンを走らせた。そして、小さく折りたたまれたメモ用紙を、蓮の机の上にそっと滑らせてきた。
その文字は、いつもより少しだけ小さく、線の細い文字だった。
『クラスのみんながうるさくて、ごめんなさい。宮本くん、やっぱり迷惑だったよね? 学校でも全然話しかけてくれなくなっちゃったし……私、ちょっとからかいすぎちゃったかなって反省してるの』
(……えっ?)
蓮はメモを読んで目を丸くした。真白さんが「反省してる」なんて言葉を使うなんて、今までの一度もなかった。いつだって彼女は自信満々で、蓮の動揺を楽しんでいたはずなのに。
メモの裏を返すと、真白さんは自分の席で、少しだけ俯いて、もこもこのマフラーに顔を埋めるようにしていた。その小さな背中が、なんだかいつもよりとても小さく、寂しそうに見えた。
(違う、違うんだよ真白さん……! 迷惑なんて思ってないし、話しかけないのは俺がチキンだからで……!)
蓮は胸の奥がギュッと締め付けられるような焦りを覚え、大慌てでシャーペンを握り直した。彼女にそんな顔をさせたくない。その一心で、蓮はノートの余白に必死の勢いで文字を書き殴った。
『迷惑なわけないだろ! 勘違いするな! 話しかけなかったのは、周りの奴らがニヤニヤ見てくるから、お前に迷惑がかかると思って、その……俺が緊張してただけだ! からかわれるのが嫌なんじゃなくて、お前と話せない方が、ずっと……その、つまらないから!』
書き終えた蓮は、恥ずかしさで指先が爆発しそうだったが、そのままメモを真白さんの机へと力強く突き戻した。
真白さんは、戻ってきたメモを受け取り、ゆっくりと広げた。
彼女が蓮の必死のメッセージを一文字ずつ読んでいくのを、蓮は生唾を飲み込みながら見つめる。
静かな時間が、数秒流れた。
やがて、真白さんの肩がピクリと震えた。
彼女はメモを持ったまま、ゆっくりと顔を上げた。マフラーの隙間から覗く彼女の顔は、耳の先から首元まで、見たこともないくらいに真っ赤に染まっていた。
「……あ」
蓮も自分の書いた内容の破壊力(ほとんど告白に近いようなセリフ)に今更気づき、全身から汗が噴き出してきた。
真白さんは、真っ赤な顔のまま、だけどその瞳の奥に、いつもの、いや、いつも以上の輝きを灯して、蓮の目をじっと見つめ返してきた。
彼女は震える手でシャーペンを持つと、蓮のメモのすぐ下に、大急ぎで新しい一行を付け足した。そして、それを蓮の机へと滑らせて戻してきた。
そこには、少し震えた文字で、こう書かれていた。
『宮本くんのバカ。……じゃあ、みんなが見てないところなら、たくさんからかってもいいんだね? 放課後、図書室の奥の席で待ってるから。勝負の続き、しよ?』
(~~~~っっ!!!!)
蓮はノートに顔を突っ伏した。心臓の音がうるさすぎて、教室のチャイムの音すら聞こえなくなりそうだった。
隣の席を見ると、真白さんは相変わらず顔を真っ赤にしたまま、だけどどこかホッとしたような、とても愛おしそうな優しい微笑みを浮かべて前を向いていた。
噂によるギクシャクは、2人の本音を引っ張り出すための、ちょっとした冬のハプニングに過ぎなかったのだ。周囲の冷やかしなんて、もうどうでもよかった。蓮は放課後の図書室を想像し、まだ止まらない胸の高鳴りを抑えるために、何度も何度も深呼吸を繰り返すのだった。




