第51話:落ち葉のしおり
十一月も後半に差し掛かり、教室の窓から見える景色は、完全に深秋の色に染まっていた。
朝晩の冷え込みは日に日に厳しくなり、登校する生徒たちの服装もブレザーやカーディガンがすっかり定着している。それでも日中のわずかな時間だけは、窓越しに差し込む柔らかな太陽の光が、教室の片隅をぽかぽかと温めてくれていた。
その日の昼休み。クラスの男子たちの多くは、サッカーボールを抱えて元気よく校庭へと飛び出していった。蓮はというと、前日の夜にゲームをやりすぎて少し寝不足だったこともあり、賑やかな喧騒から離れて、自分の席でのんびりと過ごすことを選んだ。
机に肘をつき、何気なくカバンから国語の教科書を取り出す。次の時間の予習でもしようかとページをパラパラとめくっていた、その時だった。
「あれ? 何だこれ……」
教科書のちょうど真ん中あたり、古典の授業で使うページを開いた瞬間、ひらりと何かが机の上に落ちた。
それは、見事に鮮やかな真っ赤に色づいた、一枚の小さなモミジの葉だった。水分がきれいに抜け、丁寧に押し葉にされたそれは、まるで市販されている読書用のしおりのように美しかった。
「あ、それ。綺麗にできたでしょ?」
不意に、すぐ隣からクスクスと楽しげな声がした。振り返ると、いつの間にか席に戻っていた真白さんが、自分の席に座って蓮の手元を覗き込んでいた。
「真白さん。これ、お前が挟んだのか?」
「そうだよ。先週末に2人で歩いた、あの紅葉の並木道覚えてる? あそこで宮本くんが『こんな綺麗な紅葉、今年初めて見たわ』って感動してたから、その中から一番綺麗なかたちのやつを内緒で拾って、お家に帰ってから辞書に挟んで作っておいたの」
さらりと告げられたその事実に、蓮の心臓はドクンと大きな音を立てた。
(俺が言った言葉、そんなにちゃんと覚えててくれたのか……。しかも、俺のためにしおりを作ってただなんて……)
あまりの嬉しさと気恥ずかしさに、蓮の顔は一瞬にしてモミジの葉と同じくらい真っ赤に染まっていく。
「な、何すんだよ。勝手に人の教科書に私物を挟むなよな」
蓮は動揺を隠すために、わざとぶっきらぼうな口調で言った。
「えー、冷たいなあ。せっかく宮本くんがいつでもあの秋のお出かけを思い出せるように、プレゼントしてあげたのに。嬉しくなかった?」
真白さんは少し唇を尖らせて、拗ねたようなポーズを取ってみせる。しかし、その瞳の奥には、蓮の分かりやすい反応を楽しんでいる悪戯っぽいきらめきが、はっきりと灯っていた。
「嬉しくないわけじゃないけど……。でも、こういうのって普通、女の子同士で交換するものだろ」
「そうだね。じゃあさ、宮本くん。お返しに、宮本くんも私に『秋のしおり』を作ってよ」
「はあ? 俺が? 作れるわけないだろ、そんな器用なこと」
「簡単だよ。今から2人で、学校の裏庭にある大きなイチョウの木の下に行こ。そこで、宮本くんが私に一番似合うと思う落ち葉を1枚選んで、私にちょうだい。それを私がしおりにするから」
真白さんはそう言うと、席から立ち上がり、早く行こうと蓮の制服の袖をクイときゅっと引っ張った。
「分かったよ、行けばいいんだろ、行けば」
蓮はため息をつきながらも、彼女の強引な誘いに抗うことができず、椅子から立ち上がった。
2人は静かな廊下を通り、校舎の裏手にある小さな中庭へと向かった。
そこには、学校のシンボルでもある巨大なイチョウの古木が一本、そびえ立っていた。地面は一面、鮮やかな黄色の落ち葉で埋め尽くされており、まるで黄金の絨毯を敷き詰めたかのような圧倒的な美しさだった。
「うわ、すごいな……。裏庭が真っ黄色だ」
蓮が感嘆の声を漏らすと、真白さんはカサカサと落ち葉を踏み鳴らしながら、楽しそうにイチョウの周りを歩き回った。
「ほら、宮本くん、約束だよ。私に一番似合う落ち葉、探して?」
蓮は真剣に、足元の黄色い絨毯を見つめた。
(真白さんに似合う落ち葉、か……)
適当に選んで渡したら、絶対に「手抜きだ」とからかわれる。蓮はしゃがみ込み、数ある落ち葉の中から、形が歪んでいないもの、虫食いがないもの、そして何より、一番鮮やかで透き通るような黄色をしたイチョウの葉を探した。
数分間、真剣に地面を探し回り、ようやくこれ以上ないという見事な一枚を見つけ出した。
「よし……これだ。ほら、真白さん。これあげるよ」
蓮は立ち上がり、見つけたイチョウの葉を真白さんの目の前に差し出した。
真白さんはその葉を受け取ると、目の高さに掲げて、太陽の光に透かしてじっくりと眺めた。
「わあ……。すっごく綺麗。かたちも完璧だし、傷も一つもないね。宮本くん、私のためにこんなに真面目に探してくれたんだ」
「まあ、やるからには完璧なやつがいいだろ」
蓮は照れくさくて、頭の後ろを掻きながらそっぽを向いた。
すると真白さんは、そのイチョウの葉を自分の胸元にそっと当て、一歩、蓮の方へと近づいてきた。
距離が急激に縮まり、彼女から漂うシトラスの甘い香りが、秋の冷たい空気の中に広がっていく。
「ねえ、宮本くん。イチョウの葉っぱの形ってさ、何かに似てると思わない?」
「え? 何にだよ。扇風機の羽か?」
蓮の無ードな回答に、真白さんは小さく「ぷっ」と吹き出した。
「違うよ。ほら、こうして逆さまにすると……小さな『ハートの形』に見えない?」
真白さんはイチョウの茎を上にして、2つの膨らみが下を向くように葉をひっくり返した。確かに、言われてみれば綺麗なハートの形に見えなくもない。
「だからね、宮本くんが私にこの完璧なイチョウの葉をくれたってことは……私に『ハート』をくれたってことになっちゃうんだよ?」
真白さんはそう言うと、上目遣いで蓮の目をじっと覗き込んできた。夕暮れの手前の柔らかな光が、彼女の長いまつ毛を黄金色に縁取っている。
「なっっ!!!!」
蓮の脳内は一瞬で大パニックに陥った。
「ち、違う! 俺はただ、綺麗なかたちの葉っぱを選んだだけで、そんな意味は……!」
「ふふ、分かってるよ。でも、宮本くんが一生懸命選んでくれた私の『ハート』、大切に辞書に挟んでおくね」
真白さんはそのイチョウの葉を宝物のように両手で包み込むと、嬉しそうにクスクスと笑いながら、カサカサと音を立てて校舎へと歩き出した。
残された蓮は、黄金色の落ち葉の絨毯の上で、自分の心臓の音がイチョウの葉を揺らす風の音よりも激しく鳴り響いているのを自覚しながら、今日もまた、彼女の鮮やかなからかいの前に完全敗北したことを思い知り、真っ赤な顔のまま彼女の後を追いかけるのだった。




