第101話:月曜日の包囲網と二人だけの秘密
冬の終わりの張り詰めた冷たい空気が、週末を挟んだ月曜日の教室を包み込んでいた [2, 10]。
宮本蓮は、自分のカバンからノートや教科書を取り出しながら、いつも以上に周囲の気配を敏感に察知していた。新学期から手に入れた一番後ろの廊下側の席は、本来なら先生の目からもクラスメイトの視線からも遠い極上の陣地のはずだが、今朝ばかりはその静けさが逆に嵐の前の静けさのように感じられて仕方がなかった。
(……絶対に、木村と高尾のやつらに突っ込まれる。覚悟しておかないと)
蓮は首元に手を当てた。そこには、金曜日の遊園地デート……ではなく、あの「サボり」の日に巻いていたのと同じ、真白が手編みしてくれたチャコールグレーのマフラーが、今日も暖かく巻かれていた。
金曜日の記憶が、いまだに脳裏を鮮烈に駆け巡る。急行電車の中での小さなからかい、ゴーカートでの急接近、そしてあのジェットコースターの一番後ろの席で、お互いに限界突破するほど真っ赤になりながら必死に握りしめ合った、彼女の手のひらの柔らかさと温もり。
「おはよ、宮本くん。今週もよろしくね」
不意に左隣の席から、鈴を転がすような軽快な声が響いた。
振り返ると、いつもの地味な紺色の制服姿に戻った白石真白が、自分のお弁当箱を机の横にかけながら、ニヤニヤとした不敵な笑みを蓮に向けていた。ハーフアップにしていた髪はいつものお団子頭に戻っているが、彼女が動くたびに漂うあの甘いシャンプーの香りは、金曜日のあの特別な空間の記憶をそっくりそのまま蓮の脳内に呼び起こす。
「お、おはよ、真白さん。……今日も朝から元気だな」
「あたりまえじゃん。冬の海も遊園地も満喫して、真白さんは今、エネルギー満タンなんだもん。……あ、宮本くん、ほら。木村くんたちがこっちに向かって歩いてくるよ?」
真白が視線で教卓の方を指差した。
見ると、クラスの男子グループである木村と高尾が、ニヤニヤとニヤけた顔を隠そうともせずに、椅子をガタガタと言わせながら一番後ろの蓮の席の周りへと集まってきた。その表情は、完全に「格好の獲物を見つけた」という肉食獣のそれだった。
「よお、蓮、白石さん。あけましておめでとう、はもうとっくに過ぎたけどさ、新学期早々、先週の金曜日は二人揃って『風邪でお休み』なんて、ずいぶんと仲が良いこって」
木村が蓮の机に両手を突き、顔をぐっと近づけてきた。
「そうそう。俺、金曜日の朝のホームルームで担任が『宮本と白石は体調不良で欠席だ』って言った瞬間、木村と顔を見合わせちゃったよ。お前ら、冬休みに真白さんの家で勉強会してたって噂もあるし、まさか金曜日、二人でどこか別の場所に『体調不良』になりに行ってたんじゃないだろうな?」
高尾が声を潜めながら、尋問するように目を細める。
(っ……! 完全に怪しまれてる……!)
蓮の心臓が、早くもドタバタと大きな音を立てて暴れ始めた。人生初の「学校サボり」がバレたら、クラス中から明日からの冷やかしの嵐になるのは目に見えている。恋人同士という明確な関係にはあえて踏み出さない、ただの隣の席の友達。その曖昧な距離感だからこそ、男子たちの下世話な勘繰りには絶対に尻尾を掴まれたくなかった。
「な、何言ってるんだよ! 本当にただの風邪だよ! たまたま新学期早々の寒さで、二人とも体調崩しただけだろ!」
蓮が顔を真っ赤にしながら必死に抗議すると、木村と高尾は「怪しいねえ」「嘘つくとき、いつも左側を見るんだよな、蓮は」と、ますますニヤニヤを深めていく。
蓮が完全に窮地に立たされた、その瞬間だった。
隣の席の真白が、国語の分厚い教科書をパタンと閉じて、大真面目な顔で男子たちの会話に割り込んできた。
「木村くん、高尾くん、そんな風に宮本くんを疑っちゃダメだよ。私たちが金曜日、二人で学校をサボって、あそこの急行で3つ目の駅にある有名な遊園地に行って、二人きりでゴーカートに乗って、ストロベリーチュロスを半分こして、一番後ろの席のジェットコースターで、お互いに顔を真っ赤にしながらすっごく強く手を握り合ってた……なんていう、そんな漫画みたいなことがあるわけないじゃん」
「「ええええええっ!?!?!?」」
木村と高尾の声がハモり、教室内の一部の生徒たちが驚いて一斉にこちらを振り返った。蓮の思考回路は完全にフリーズし、心臓が爆発するんじゃないかというほどの轟音を胸の奥で響かせ始めた。
(な、何てこと言うんだよ真白さん!? 冗談に見せかけて、金曜日の出来事を一言一句寸分違わず全部バラしてるじゃんか!?)
蓮が泡を食って真白を見ると、彼女はさらに楽しそうに目を細めて、人差し指をチッチッと横に振ってみせた。
「ふふ、そんなのただの妄想だよ。本当はね、私、金曜日は朝からずっとお家でベッドの中でゴロゴロしながら、宮本くんの『おみくじの紙』を眺めてたんだもん。ねえ、宮本くん?」
真白は上目遣いで、蓮の瞳の奥をじっと覗き込んできた。
「お、おみくじ……? 意味わかんねえよ。なんだよ、白石さんの超リアルな冗談かよー」
木村が拍子抜けしたように息を吐き出す。
高尾も「白石さん、相変わらず冗談のスケールがでかいな。蓮のやつ、一瞬ガチで魂が抜けたような顔してたから騙されかけたわ」と笑いながら、自分たちの席へと戻っていった。
男子たちの背中が遠ざかり、周りの生徒たちの関心も薄れていく。
蓮は椅子の背もたれに深く体を預け、大きく溜め息を吐き出した。冷や汗でブレザーの背中が少し張り付いているような気がした。
「……本当に、心臓がいくつあっても足りないから、あんなスリリングな冗談やめてくれよ、真白さん」
蓮が顔の赤みを隠すように、カバンの中にマフラーを丁寧に仕舞いながら小声で言うと、隣の真白は、開いたノートの余白にさらさらと文字を書き、それを少しだけ蓮の机の方へと滑らせてきた。
蓮がその文字を盗み見ると、丸っこい可愛らしい文字で、こう書かれていた。
『宮本くん、さっき本当に焦ってたね。木村くんたちに「全部本当だよ」って言っちゃおうかと思った。でも、二人だけの秘密が増えて、すっごく楽しいね』
(っ……!)
蓮は慌てて自分のノートの端に返事を書いた。
『心臓に悪いって言ってるだろ! でも……まあ、木村たちを誤魔化せたのは、真白さんのその無茶苦茶な冗談のおかげ、だけどさ』
付き合うとか、特別な関係になるとか、そんなことよりも、この一番後ろの席で、毎日くだらない勝負を仕掛けられ、それに本気で悔しがって言い返す。そして、誰にも言えない二人だけの大きな秘密を抱えたまま、いつも通りの日常を繰り返していく。
そんな二人の、いつも通りの「照れたら負け」のからかい合いの日常こそが、蓮にとって一番安心できて、そして何より愛おしい時間なのだった。
「見てろよ、次のお昼休みの勝負こそ、僕が絶対に勝つからな」
「ふふ、お望みなら、いつでもかかってきてね、宮本くん。私のカバン、明日もよろしくね?」
真白はマフラーの奥から、金曜日のあの夕暮れの駅のホームで見せたのと同じ、満足そうな最高の笑顔で、蓮のことを見つめ返すのだった。




