11
夏の日差しが照りつけ、息をするのも若干の苦しさを覚えるほどの熱気の中、景子は楢山大学の門をくぐった。学生たちを見ながら歩き、学生たちが見上げている掲示板を眺めた。掲示板には授業、補習、部活、サークルの事などが、雑多に掲示されていた。景子は掲示板の横に立てられた構内の地図に目をやった。
景子は学生食堂へ向かった。食堂に入ると、食べ物を選ぶ他の生徒を見ながら、自分も同じように、トレーの上にスプーンとフォークと割り箸を乗せた。景子はいつのまにか麺類のコーナーに並んでいた。
「とろろ昆布うどん」
景子の前の男子が言った。
「あー、元気にしてるの?」
厨房内のふくよかな女性が笑顔になって男子に聞いた。
「あ、はい」
「今日も暑いね~。部活大変でしょ」
「死にそうです」
女性はうどんを作りながら笑った。
「はい」
「あ、ありがとうございます」
「はいよ~」
男子が去っていき、景子の番になった。女性が景子の顔を見た。
「あ、ラーメン。じゃなくて、……とろろうどん」
「え? どっち? 昆布の方?」
「あ、はい」
女性は無言で作り始めた。
「はい」
出されたうどんを見て、景子は先ほどの男子より昆布の量が少ない事に気がついた。しかし女性はもう次の生徒を見、生徒も注文をしていた。景子はそのままトレーを持ってそこを去った。景子は窓際の席でとろろ昆布うどんを食べ、美味しいと感じた。
食堂を出た景子は再び掲示板の前に戻り、構内の地図を見て、理学部のある校舎を目指した。
理学部の校舎は鬱そうとした木々で囲まれ、暗く、地味な外観だった。景子は校舎に入った。舎内は冷房が効いていて、景子は気分が良くなった。生徒は一人も見当たらず、ひっそりとしていた。景子は何となく歩き、廊下から、誰もいない教室を覗いた。教壇から離れた後ろの方の机の上で、板ガムの包装紙が幾つか無造作に散らばったままになっていた。廊下を突き当たりまで歩くと、景子は階段を上がった。階段を上がり切ると、目の前に、ドアが五センチほど開いたままの部屋があった。景子はドアを開け、中に入っていった。
部屋の中は十畳ほどの広さだった。しかし本棚が所狭しと並んでいて、本棚と本棚の間は人が一人やっとなんとか動ける程度のスペースだった。景子は、その本棚の間を歩いてみた。そして立ち止まり、ずらっと並んだ背表紙を一つ一つ読み始めた。しかし途中からは、ただぼんやりと背表紙群を右から左へ、上から下へ目で流していった。
「遺伝子と染色体」という本が目に留まったので、景子はその本を手に取ってみた。開いて、中を見てみるも、沢山書かれた細かな字に圧倒され、すぐに読む気を失った。棚にしまおうとすると、一つ下の段に「性同一性障害」という本があった。景子はそのタイトルを改めて読み、なぜか慎重に、その本を取り出した。
「白衣はどうしたの?」
白衣を着た中年の女性が歩いてきて、景子に聞いた。
「あ、……忘れました」
「そう、学生証見せてくれる?」
「え?」
「ドアが開いちゃってたけど、本当はここ一般の生徒さんは入れないのよ」
景子は戸惑い、焦った。本を女性に手渡すと、軽く一礼をして、部屋を出た。女性は怪訝な顔で出て行った景子を眺めた。
蝉の声が鳴り響く中、景子はマイケル・ジャクソンの「ベイビー・ビー・マイン」を口ずさみながら並木道を歩いた。掛け声のようなものが聞こえたので、過ぎていく並木越しに、横のグランドに目をやった。
グランドでは緑と黄色のゼッケンを付けた生徒たちがサッカーをしていた。景子は、その模様をぼんやりと眺めながら歩いた。
しかし見ているうちに、ドリブルをする一人の生徒に意識が集中した。その生徒の、あどけないながらにも端整な顔、日に焼けたきれいな肌。相手を交わし、ボールを操る時の、一瞬の運動能力の美しさ。景子は、生徒の短パンから出た脚の筋肉のしなやかな強さに見とれ、知らないうちに足を止めていた。
生徒はゴールを決めた。メンバーと話しながら笑顔で走っていく生徒を景子は見続けた。




