託された短剣、決まらない覚悟
ヴェントス領の町のはずれにある小高い丘で、黒髪の少年が一人、草の上に横たわっていた。その手には、短剣を持っている。
三か月前、王都でもらった短剣を、少年はぼんやりと見つめる。
鞘にはなにやらぼんやりと模様が施されていた。
この短剣をくれた女性、アンナと名乗る女性に出会ったのは、五の月のことだった。
相も変わらず、王都は人が多かった。
昼休憩の時間だからか、尚更、様々な年代の人でにぎわっている。
馬車が三台は並んで通れそうな大きな道の左右には、店がずらりと並んでおり、そのそれぞれに人が群がっているため、広い道も狭く思えるほどだ。
ふと目に留まった店の前で立ち止まる。
この前つぶれた店に、違う店が入っているようだ。
昼食をとるにはちょうどよさそうなので、試しに中に入ってみた。
テーブル席と、カウンター席が両方あるお店で、レオと同い年ぐらいの少女と、三十後半ぐらいだと予想される女性が店員としていた。その女性がどうやら店主らしい。
客はそれなりに入っており、レオはカウンター席を選ぶ。
席に着き、メニューを見ていると、視線を感じた。
顔を上げてみれば、そこには店主らしき女性の顔が近くにあった。驚くほど真剣なまなざしでこちらを見つめている。
「あの?」
あまりにも見つめられるので、思わず問いかけた。
「歳は、おいくつですか?」
唐突な問いに、面をくらいながらも、その表情があまりにも真剣だったので、勢いにおされて素直に答える。
「十四歳です。総合学校の三回生です」
「っ……! ご注文は?」
「え? ああ……。じゃあ、この店のおすすめ、ってやつで」
レオの返答に驚いた様子を見せた後、急に普通の店主としての対応に戻る。
そのあまりの態度の違いに、レオは戸惑いと、どこか違和感を覚えた。
そんなことを考えているうちに、その店主が、レオが頼んだものをレオの前に置く。
「……?」
それと同時に、なにやら一枚のメモ書きのようなものがレオの前に置かれる。
その流れるような動作に、他の客は全く気付いていないだろう。
店主の方を見ると、こちらを見て、うなずく。
その動作を見て、読めということだと理解したレオは、その紙を広げた。そして、その内容に、思わず立ち上がって声をあげそうになった。
『ヴェントス家のことで話があります。食事を終えたら、裏口に回ってください』
レオが王都に来たのは二年と四か月前。
十二歳になる年の一の月のことだった。
ずっと王都にある総合学校の寮で生活をしてきたが、いまだかつてレオがヴェントスはおろか、実は貴族だなんてことを感づいた者さえいない。
それだというのに、この女性は、どうしてレオを一目みただけでヴェントス家の者だとわかったというのだろうか。
総合学校に来てみて、炎の一夜がどれだけ有名な事件かを思い知らされることになった。
レオがヴェントス領の出身だと言うたびに、その話題になるからだ。
そして、炎の一夜は、何故か、事故ではなく、事件だという認識がなされていた。
つまり、それには犯人がいる。
「あり得ないか……」
目の前で忙しそうに働いているその女性が、炎の一夜の犯人、というのはどうも納得がいかない。
それに、そんなことを一人でやってのける力がありそうには思えないし、あの犯行は貴族が絡んでいる、というのが一般的な解釈だ。
こんなところで、食事の店を開いているような女性がやったとは考えにくい。
―――でも、じゃあ、なんでわかったんだよ……。
犯人じゃないとすれば、誰が分かると言うのだろうか。
「いや、俺は生まれてなかったのか」
犯人だとしても、レオを見て、ヴェントスの人間だと分かる理由がない。
このメモに書いてある通り、裏口に行くべきか、行かないべきか。
ふと、ティナとクロエの顔が目に浮かぶ。二人はまだまだ真相を話してくれる気はなさそうだった。
しかし、レオは炎の一夜を総合学校に来てから色々と調べ、知りたいことが山ほどある。
少なくとも、何らかの情報を、この店の店主は持っているのだろう。
そう考えたら、迷うことはなかった。
味もわからないままに食事を済ませ、お金を払い、そうして店の外に出る。
この店は、住宅街へつながる路地へとつながっている道に面していた。
そこへ入って、店の裏側へ回る。
今は混雑している時間帯であるため、少しの間待たなければならないかと思ったが、すでに彼女はそこにいた。
「話、とは?」
回りくどくする必要もないと判断し、単刀直入に聞いた。
女性が一歩前に進み出て、レオは後ろに下がりたいのをなんとかこらえてその場に踏みとどまる。
「……これを、あなたに」
女性が、鞘のついた短剣をレオの前に差し出してきた。
その短剣は使われていないのが分かる、とてもきれいなものだった。しかし、その鞘は、ずいぶんと古いものなのか、施されている文様が薄れてきている。
「これはなんですか?」
「あなたが、ヴェントス家の人間だと証明するものです」
至極あっさりと、当然のように言い切られて、レオは一瞬反応に遅れる。
「あなたは、父親にそっくりですよ。そして、私はあなたの両親と見知っています。この剣は、あなたの父から、亡くなる前に私が託されたものなのです。今考えれば、彼は何か予兆を感じ取っていたのかもしれません」
レオが全く反応できない間に、彼女はほとんどすべての疑問を解決してしまっていた。
「あなたは……?」
「私は、アンナ。あなたの名前をお聞かせ願えますか?」
「……レオ」
「そうですか。その短剣は、人目にさらさず、大切に持っておいてください。必要な時に、しっかりと活用できるように」
彼女はそれ以上は何も語らず、店に戻ってしまった。
何か聞けるかもしれないという期待は、あっけなく破られた。
しかし、その代わりに手元に残った短剣を、どうすればよいのか分からないまま、ティナにさえも話さずに、こっそりと持っているのだ。
短剣を懐にしまい、レオためいきをつく。
ひと月前、七の月になり、長期休暇を利用して、ひさしぶりにダールの宿に帰ってきた。
そうすると、とても具合の悪そうなティナが働いていて、問いただすと、なにやら病気にかかったらしい。
そしてレオが帰ってきたその日の夜にティナが倒れ、レオは短剣のことなど頭からすっかり飛んでいたのだ。
ティナが働けない状態なので、何かと面倒見のいいウィンに手伝ってもらいながら、クロエとレオと二人で店を経営していた。
そうこうしているうちに、八の月もほとんど終わってしまっている状態だ。
「レオ」
レオをどこか落ち着かせる、そんな幼馴染の声が聞こえ、レオは体を起こす。
短いふんわりとした金髪に、琥珀色の瞳の少女が、こちらを気遣わしげに見ていた。
「ティナさん、大丈夫?」
この町の人々は、ティナが具合が悪いと聞いて、ずいぶんと色々面倒を見てくれた。
だから、ティナの容体は、町の関心事なのだ。
「正直言って、大丈夫じゃない。最近では、一日に起きてる時間のが短いぐらいだ」
宿の仕事を手伝いながら、ティナについて色々と世話をするのだが、何をやっても顔色が良くならない。
町の医者ががんばっているものの、いまだにティナは回復の兆しを見せない。
「まあ、起きてるときは、いつもの母さんだけどな」
黒く長く艶やかな髪も、レオの母親とは思えない美しさも、病気だからといって、そんなに失われてしまったわけではない。
確かに顔色は悪く、いつもよりもさえない顔をしているが、それでもティナは変わらず美しかった。
そして、何より、その口調も弱弱しげなものでは決してなく、いつものように明るいもので、会話のキレもいつもと変わらない。
「そっか。ティナさん、早く治るといいね」
ファリーナは安心したような笑みを見せる。
次の言葉が、その表情をあっさりと崩すことは想像に難くなかったが、決めたことをファリーナに言わないのは、少し気持ち悪いものがある。
「俺、流石にこのまま学校行くのは、クロエに申し訳ないから、九の月だけは総合学校を休もうと思う」
「え?」
「ひと月あれば、母さんもよくなるだろ」
七の月と八の月の間、どうしようか考えた末の結論だ。
ティナは大丈夫だから気にするなと言うが、学校に戻ってしまえば、十二の月までは戻ってこられない。
何かあってからでは遅いのだ。
「……大丈夫?」
琥珀色の瞳が、まっすぐとこちらを見ている。
いつもはのんびりとした口調なのに、今日はいつになく真剣だ。
「いや、だから母さんは……」
「違う。レオが、だよ。苦しそうに見える。ずっと」
どうしてそんなに悲しげな顔をするのか。見ているこちらが悲しくなるくらいに、ファリーナが泣きそうな表情でこちらを見ている。
「つらい時はね、つらいって言わなきゃだめなの。そうじゃないとね、壊れちゃうよ。レオの心が」
思いもよらない言葉が、深く心にしみる。
つらいと言わないのは、つらくないからではない。強がっているわけでもない。
本当は、つらいと思っている自分が怖いのだ。
ティナが本当はもう、治らないのではないかと思って、それをつらいと思ってしまっている自分が、そんな弱い自分が怖いのだ。
自分の母親がいなくなる、そんな未来をどうしても受け入れたくなくて、それに対しる恐怖心さえも拒絶する。
「っ……うっ……」
琥珀色の瞳から流れ落ちるきれいな滴。それとともに漏れる嗚咽。
なんとなく、分かっていた。
ファリーナは、たぶん、代わりに泣いてくれているのだと。
「ご……ごっめん……っ……でも……わ、わたし……うっ……」
とめどなくあふれていく涙は、ほんとうにきれいだった。しかし、自分の代わりに泣いてくれているのだと思うと、レオは、もうどうしようもできなかった。
慰めることなんてできないのだ。
たぶん、泣いているのは、本当はファリーナじゃない。
受け入れているようで、実は全くもって覚悟ができていない、レオなのだ。
レオは、ファリーナはもう、本当は知っているのだ。
ティナはもう、一か月も保たないのだと。




