別れのとき
「ここの二日は楽しかったわ。ありがとう、レオ」
女性の茶色い髪は、朝日を受けてキラキラと光る。
そのとなりに立つ金髪碧眼の男は、心なしかやわらかい表情をしている。
「こちらこそ。楽しかったです」
客に言う台詞ではないのだが、レイラやクロッカスと話せて、レオは本当に楽しかったのだ。
こういう貴族もいるのだ、と思えれば、ルミエハのことも少しは違って見えるかもしれない。
「息子がお世話になりまして」
「いいえ。町を案内してもらったり、こちらこそお世話になりましたから」
ティナと話すときは、レイラはきっちりと丁寧な口調で話す。
「世話になった。それと……、いつか、頼んでみる」
前半はティナの方を向いて、後半は、レオの方を向いて言う。
横でレイラが不思議そうな顔をしているが、クロッカスは説明しようとはしない。
その様子がなんだかとてもほほえましくて、レオは笑顔でうなずく。
客相手の愛想以外では、人にあまり笑いかけることをしないレオに、ティナが驚いた顔でこちらを見たが、それも無視した。
「またのお越しを、心からお待ちしています」
そういって、すっと頭を下げる。
「また来る」
「また来たいわ」
二人の声が重なって、二人は見つめ合った後、幸せそうに笑った。
歩いていく二人の背を見送っていると、不思議と喪失感がある。
客としてではなく、人間としてとても面白い、また会いたいと思える二人だったのだと、ようやく気付いた。
「取り越し苦労だったわね」
ため息をつきながら、しかし嬉しそうに、安心したように、ティナが言う。
「そうだな。それに、ちょっといろいろ考えさせられた」
「貴族っていってもいろいろいるわ。ストケシアは武家だから、どうしても貴族と言っても、庶民寄りの考えになってるから、こういうところに宿泊するのも、苦もなくできるのよ」
隣に立つ女性の今は結われていない長い黒髪が風に揺れる。
その長い黒髪を優雅にかきあげる姿は、やはり、どこか貴族のような上品さを感じた。
「あの話、よくよく考えるとさ、すべて納得だ」
「え?」
「母さんのその知識がどこから来るのか、どうしてそんなに貴族社会について詳しいのかとかさ。母さんが何者か分かったら、納得した」
「……そう」
やわらかく微笑む女性は、やはり話してくれる気はないらしい。
彼女の瞳がどこか遠く、ここではない場所を眺めている。
思い出しているのだろうか、リオルドが、レン・ヴェントスが生きていた時代のことを。
「あのさ―――」
「―――レオ!」
レオの言葉を遮るように、一週間ぶりの声を聴いた。
「聞いたわ」
短いふんわりとした金色の髪が、一歩歩くごとに揺れ、その姿は愛らしい妖精のようだった。しかし、琥珀色の瞳は、怒りに燃えている。
「新婚の奥様とデートしたんでしょう?」
いつもはおっとりとしたしゃべりなのに、どうも怒ると早口になるようだ。
「いや、案内を頼まれただけだから。旦那さんは仕事で一緒にいれないから、暇つぶしの相手してただけだ」
慌てて弁明すると、ファリーナがきょとんとした表情をする。
あいつは一体ファリーナに何を吹き込んだんだ。
「あれ……? だって、だって……、手をつないで仲良く歩いてたって」
体が震える。
握りすぎたこぶしで、手のひらに爪が食い込む。
怒りで体が震えたレオとは対照的に、ティナは笑いで体が震えていた。
「あはは。すっごいでたらめ流されてるわね。五歳も年上の彼女が、こんな子供相手にするわけないじゃない。もう、ファリーナちゃんったら」
耐えきれないとばかりに笑い飛ばし、珍しくレオの味方をしてくれた。
「え、え? そうだったの? 私、てっきり……ごめん」
ファリーナが顔を赤くしてうつむく。
その様子はずいぶんとかわいらしいものだったが、それでもレオの怒りは収まっていなかった。
「あいつ、でたらめ吹き込みやがって……」
「け、喧嘩はだめよ」
怒気をまき散らすレオの様子に、ファリーナが慌てて止める。
「喧嘩にはならない」
喧嘩なんて対等なものじゃなくて、一方的にやっつけてやる。
「一方的にやっつけてやるのもなしよ。あんた、ウィンさんに剣習ってるんだから、そんなことしたら彼がどうなるかわかったもんじゃないでしょう」
さすがは母親というべきか、レオの思考を完璧に読んでいる。
そうやって先手を打ったティナを、恨みがましくみながら、それでも少しだけ頭が冷えて、あることを思い立つ。
「なあ、ファリーナ。あいつ、お前のこと好きでたまらないから、俺のこと嫌いなんだってさ」
「……それって、冗談、だよね?」
やっぱり気づいていなかったようだ。
やはりファリーナは鋭いのか鈍いのかわからない。
「俺の言葉は冗談で、あいつの言葉は信じるのか。へえーそうかよ」
ちょっとだけすねたように言って見せれば、ファリーナが慌てて首をふる。
「た、確かめる」
そういって走り出す彼女を見て、すこしだけ気持ちが晴れた。
「大人げないわね」
「殴らなかっただけましだ」
ティナはもう、ただ笑っていた。




