愛される姫と、捨てられた「宝の山」
未舗装の道路は泥まみれで、並ぶ店の品揃えもまばらだ。
他国との交流がとだえ、農作物を育てて食べていくのが精いっぱいという小国ルミエール。
だが——城下町に足を一歩ふみ入れた瞬間、僕の耳に飛び込んできたのは、予想外に明るい人々の声だった。
「おや、エリアーナ姫様!
今日も元気に街の巡回ですか!?」
「エリアーナ姫様!
これ、小さいけれど泥つきの美味しい芋ですよ!
持っていってくださいな!」
通りかかる町人たちが、つぎつぎと温かい笑顔で頭を下げる。
八百屋の親父も、洗濯物を干すおかみさんも。
誰もが愛おしそうな目で、彼女を見つめていた。
エリィ姫は泥汚れも気にせず、
「わあ、ありがとうございます!」
と両手で嬉しそうに芋を受け取っている。
(……なるほどな)
僕はエリィ姫の肩の上で、瞳を細めた。
もちろん、僕の姿も声も彼らには一切とどかない。
彼らの目には、エリィ姫が一人で街を歩いているようにしか見えていない。
国は貧しく、明日の暮らしすら楽ではない。
だが、この国の領民たちは、自ら泥まみれになって国のために奔走するエリィ姫を心から愛している。
貧しいなかでも食べ物を分け合おうとする、温かい人々。
(ドライな現実主義でいくはずだったんだがな……。
ハッ、弱ったぞ)
この温かい人々を守り、豊かな生活をさせてやりたい。
柄にもなく、強く思わされてしまう。
過酷な社畜時代にはすっかり枯れていたはずの「お人好しな感情」が、胸の奥でじんわりと熱を帯びていくのを感じた。
守る価値のあるお姫様だ。
ならば、最高のアドバイスを提供してやらなければプロの名がすたる。
「エリィ、まずはあそこの市場を調査するぞ」
「うんっ!」
僕の耳元でのささやきに、エリィ姫は小さくうなずいた。
そして、街の隅にある青空市場へと向かう。
不揃いな野菜に、粗悪な木工品。
やはり加工やデザイン、マーケティングの概念すら存在していない。
そんな中、市場の端っこで露店を開く一人の老婆の前で、エリィ姫が足を止めた。
「これはこれは、エリアーナ姫様。
……こんなむさ苦しい市場まで、よくお越しくださいましたねぇ」
不機嫌そうに煙管をふかしているのは、街で「偏屈な薬草摘み」と知られるマーサおばあちゃんだ。
言葉遣いこそぶっきらぼうだが、その瞳には、大切な姫様に対する深い敬意と愛着がにじんでいる。
彼女の前に並べられているのは、独特の強い匂いを放つ、紫色のくすんだ野草の束だった。
「マーサさん、今日の薬草は……?」
「はぁ……申し訳ありません、エリアーナ姫様。
せっかく見に来ていただいたのに、こんな『ただの雑草』しかなくてねぇ」
マーサおばあちゃんは肩を落とす。
「『匂いが強すぎて部屋に置けない』
『苦くて食えたもんじゃない』
と、誰にも買い取ってもらえないんですよ」
老婆は申し訳なさそうに息を吐いたが、その手元を僕は見逃さなかった。
採取された野草は傷ひとつなく、根の保水処理まで完璧に施されている。
(……おいおい、嘘だろ?)
僕はエリィ姫の肩の上から身を乗り出し、その野草を食い入るように観察した。
適度な抗菌作用と、気分を和らげる鎮静成分。
そのままでは強烈な匂いと苦味があるが、適切な乾燥を行う。
そして高濃度のアルコールやオイルで成分を抽出すれば——
旅の疲れを癒やす『効能抜群のハーブティ』や、切り傷の化膿を防ぐ『消毒軟膏』として十分に使える。
旅人や冒険者の日常に役立つ「商品」として、間違いなく市場価値のある代物だ。
さらに言えば、この老婆の素材に対する知識と採取技術は、紛れもなく超一流だ。
「……エリィ、彼女の手元を見ろ。
傷ひとつない完璧な仕事だ」
「えっ?」
「『正しい乾燥を行えば、立派な特産品になる』と伝えるんだ」
「うん……!」
エリィ姫は真剣な表情で頷くと、まっすぐにマーサおばあちゃんを見つめた。
「マーサさん!
この薬草、傷ひとつなくて、根っこまで本当に丁寧に摘まれています!
これは雑草なんかじゃありません!」
「え……?」
「正しく加工すれば、きっと私たちの国を救う素晴らしい特産品になります!」
「な……っ!?
エ、エリアーナ姫様……何を仰いますか……!?」
偏屈で知られた老婆が、信じられないものを見たように目を見開く。
エリィ姫は肩の上の僕にこっそり視線の合図を送り、困ったようにささやいた。
(あ、アルティ……!
うちの国には薬を抽出するための『アルコール』も『オイル』もないわ……)
貧困にあえぐルミエール王国だ。
抽出に使うような高濃度のアルコールや、純度の高いオイルなどあるはずもない。
だが——僕は手のひらの上で、不敵にニヤリと笑ってみせた。
「ふっ、心配いらない。
売れ残って捨てられている『腐りかけた果実』を集めて、簡易的なアルコールを作る方法を教える」
「果実から……!?」
「そうだ。
そこら中に生えている野草の種から、油を絞り出す器具の作り方もだ」
「ええっ!?
捨てちゃう果実からアルコールが作れるの!?」
「廃棄物を再利用して原価をゼロに抑え、そこから品質の高い抽出液を作る。
これぞ真のコストカットと事業創造だ」
僕の言葉をかみ締め、エリィ姫は目を輝かせた。
そして老婆の手を、力強く握りしめる。
「マーサさん!
捨ててしまう果実からお酒を作って、野草の種から油をしぼって……
この薬草を最高の特産品に変える方法を試してみたいの!」
「エリアーナ姫様……」
「私に……
ううん、私たちの国に、あなたの力を貸してくれないかしら!?」
「エリアーナ姫様……っ!」
頑固者と嫌われ、自分の仕事を誰にも理解されなかった老婆の目に、じわっと熱い涙が浮かぶ。
「そんな風に言っていただいたのは初めてです……!
喜んで協力させていただきますよ、エリアーナ姫様!」
街で誰も価値に気づいていなかった「宝の山」と「職人の腕」。
それが今、姿の見えない小さな参謀の知恵と、愛されるお姫様の情熱によって結びつく。
こうして、新たな特産品作りがスタートするのだった。




