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マフィアのボスが私を男だと思っている。  作者: puni0023
第三章 平穏な日々

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第71話 会社員?

その日の夕方。


屋敷の食堂には、ファミリーのほぼ全員が集められていた。


普段なら賑やかに食事をする場所だが、今日は長いテーブルの上に料理はまだ並んでいない。


代わりに、簡単な資料が一人ずつ配られていた。


「なんだ、これ?」


「会社設立?」


「誰が会社を作るんだ?」


「新しい取引先じゃないのか?」


ざわざわと声が広がる。


食堂の前方には、レオンと幹部たちが並んでいた。


郁もレオンの少し後ろに立ち、全員の様子を見渡している。


レオンが軽く手を上げると、食堂は少しずつ静かになった。


「みんな、集まってくれてありがとう」


いつもの穏やかな声。


それだけで、全員の視線が自然に集まる。


「今日は、これからのヴィンチェンティについて話したい」


その一言に、食堂の空気が少し引き締まった。


長く続いた敵組織との戦い。


サルヴァトーレの逮捕。


ほかのマフィア組織の衰退。


誰もが、これから自分たちはどうなるのかを心のどこかで考えていた。


レオンは全員の顔をゆっくり見渡す。


「先に結論から言うね」


一拍。


「ヴィンチェンティ・ファミリーを、会社にしようと思う」


食堂が静まり返った。


「……会社?」


誰かが呟く。


その直後。


「えっ、俺たち会社員になるのか?」


「毎朝決まった時間に出勤すんの?」


「俺、履歴書なんか書いたことねぇぞ」


「採用試験あんのか?」


一気にざわめきが戻った。


マルコが耐えきれず笑い出す。


「お前ら、もう採用されてるから安心しろ!」


「よかった!」


「そこなのかよ」


食堂のあちこちで笑いが起きた。


レオンも笑いながら続ける。


「今まで俺たちは、この街と、大切な人たちを守るために戦ってきた」


「でも今は、昔みたいにマフィア同士が争う時代じゃなくなってきた」


笑い声が静まっていく。


「俺は、それをいいことだと思ってる」


「武器を持たなくても生きていける人が増えた」


「怯えながら働かなくてもいい人が増えた」


「俺たちがやってきたことにも、少しは意味があったんじゃないかな」


誰も口を挟まなかった。


ここにいる者たちの多くは、行き場がなくてファミリーへ来た。


貧困。


暴力。


家族との別れ。


さまざまな事情を抱え、レオンや先代に拾われた者たちだった。


彼らにとって、ヴィンチェンティはただの組織ではない。


生きる場所そのものだった。


「だから」


レオンは真っすぐ前を見る。


「ファミリーをなくすつもりはないよ」


何人かが顔を上げた。


「形を変えるだけ」


「みんなが持っている力を、これからは仕事として使いたい」


「警備」


「護衛」


「運送」


「情報管理」


「商品開発」


「街や企業の困りごとを解決する仕事」


「危ないことをしなくても、俺たちにできることはたくさんある」


資料を見ながら、一人の男が首を傾げた。


「俺、銃と車の運転くらいしかできねぇんだけど」


「運転ができるなら、護送や運送ができるよ」


レオンはすぐに答える。


「それに、今から新しい仕事を覚えてもいい」


別の男が手を上げた。


「読み書き、あんまり得意じゃない奴は?」


「勉強する時間を作る」


今度はヴィクトルが答えた。


「必要なら、読み書きや計算から教えます」


「資格が必要な仕事についても、会社で費用を負担する予定です」


「まじかよ」


「勉強なんて何年ぶりだ?」


「俺、数字見ると眠くなるぞ」


「寝たらヴィクトルに怒られるな」


再び笑いが広がった。


ヴィクトルは眼鏡を押し上げる。


「寝かせませんよ」


「こわっ」


今度はルカが短く説明する。


「機械」


「パソコン」


「興味ある人は、俺のところ」


食堂の隅から若い構成員が恐る恐る尋ねた。


「触ったことなくてもいいのか?」


「いい」


「壊しても?」


「一回なら」


「二回目は?」


「怒る」


また笑いが起きた。


ノアも腕を組みながら口を開く。


「護衛と警備を希望する者は、今まで以上に鍛える」


空気が少し張りつめる。


「銃を使うためじゃない」


「銃を使わずに守るためだ」


その言葉に、何人かが真剣な顔で頷いた。


マルコは明るく手を叩く。


「人と話すのが好きな奴、顔が広い奴、噂好きな奴は俺んとこな!」


「最後のは仕事になるのか?」


「情報収集だよ!」


「ただの井戸端会議じゃねぇか」


「使い方次第だ!」


食堂はすっかりいつもの空気に戻っていた。


最初の戸惑いは、少しずつ興味へ変わっている。


それでも。


一番年上の構成員が、静かに手を上げた。


「レオン」


昔からファミリーにいる男だった。


彼だけは今も、レオンを名前で呼ぶことがある。


「一つだけ聞いてもいいか」


「うん」


「会社になったら」


男は少し言葉を探した。


「俺たちは、もうファミリーじゃなくなるのか?」


食堂が静かになった。


誰もが知りたかったことだった。


レオンは驚くことなく、穏やかに笑った。


「ならないよ」


迷いのない答えだった。


「会社は、働くための形」


「ファミリーは、俺たちの関係だ」


「仕事が変わっても」


「呼び方が変わっても」


「ここがみんなの帰る場所であることは変わらない」


郁はレオンの横顔を見つめた。


彼はずっとそうだった。


組織ではなく、人を見ている。


利益より先に、そこにいる人間の生き方を考える。


「だから」


レオンは少しだけ笑みを深めた。


「これからも、よろしく」


しばらくの沈黙。


やがて、食堂の後方から声が上がった。


「まあ」


「社長が決めたことなら、仕方ねぇな」


別の男が笑う。


「もう社長呼びかよ」


「ボスって呼んだら会社っぽくねぇだろ」


「じゃあ社長!」


「社長!」


「社長、給料上がりますか!」


「そこはヴィクトルに聞いて」


「逃げたぞ!」


笑い声が食堂中に広がった。


最初に質問した年上の男も、安心したように笑っている。


「会社員か」


「俺がなぁ」


「似合わねぇ」


「俺もスーツ着るのか?」


「やめとけ、怖すぎる」


「取引先が逃げるぞ」


口では戸惑いながらも、誰も嫌そうではなかった。


むしろ、新しい生活を少し楽しみにしているように見える。


一人の若い構成員が、照れくさそうに言った。


「でも」


「レオンさんが決めたなら、俺はやります」


その隣の男も頷く。


「俺も」


「今までだって、あんたについてきて間違いなかったからな」


「ボスでも、社長でも」


「ついていくよ」


その言葉をきっかけに。


「俺も!」


「俺もやる!」


「会社員、ちょっと面白そうだな!」


「名刺とか持てるのか?」


「俺、役職ほしい!」


「まず遅刻しない練習からだな!」


次々と声が上がる。


レオンは何も言わず、ただ嬉しそうに笑っていた。


郁には分かった。


レオンが会社を作りたいと思った理由。


それは時代に合わせるためだけではない。


ここにいる全員へ、戦わなくても生きていける未来を渡すためだ。


マルコが声を張り上げる。


「よし!」


「話もまとまったところで、飯にしようぜ!」


「それはまだです」


ヴィクトルが冷静に止める。


「部署の希望調査を配ります」


「今やるのかよ!」


「忘れる前に書いてください」


「会社員って大変だな!」


「まだ一日目にもなっていませんよ」


食堂に、また大きな笑い声が響いた。


レオンが郁へ小さく顔を寄せる。


「うまくいきそうだね」


郁も笑って頷いた。


「はい」


「みなさん、嬉しそうです」


「よかった」


レオンは食堂いっぱいに広がる仲間たちの声を聞きながら、静かに息をついた。


マフィアとしてのヴィンチェンティは、もうすぐ終わる。


けれど。


ファミリーは終わらない。


彼らはこれから。


同じ場所で、違う未来を作っていく。


その夜。


ヴィンチェンティ・ファミリーは。


世界で一番騒がしい会社員集団になることを、全員で決めた。

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