第70話 新しいファミリー
初めてのデートから、数日後。
屋敷の幹部室には、久しぶりに全員が揃っていた。
長い戦いを終え、敵対していた組織は壊滅した。
サルヴァトーレの逮捕をきっかけに、彼と繋がっていた者たちも次々と摘発され、国内に残っていた古いマフィア組織の多くが力を失った。
恐怖で人を支配する時代は、終わろうとしている。
レオンは全員の顔を見渡すと、いつもの穏やかな笑顔で口を開いた。
「今日は、これからの話をしようと思う」
机の上には、一冊の新しい資料が置かれていた。
表紙には、見慣れない会社名が記されている。
マルコが資料を手に取った。
「会社設立……?」
「うん」
レオンは頷く。
「ヴィンチェンティ・ファミリーを、会社にしよう」
部屋が静かになった。
驚きはあった。
けれど、反対するような声は上がらない。
レオンはゆっくりと言葉を続けた。
「マフィアは、もうほとんど衰退した」
「俺たちが武器を持って、街を守る必要も少なくなってきた」
少しだけ視線を落とす。
「それは、きっといいことだと思う」
戦いがなくなる。
自分たちが必要とされなくなる。
それは寂しいことではない。
彼らが目指してきた未来が、ようやく形になったということだ。
「だから今度は」
レオンは顔を上げた。
「俺たちが持っている力を、違う形で使いたい」
「それぞれの得意なことを仕事にして、普通の人たちの役に立てる会社にする」
マルコは資料をめくりながら、楽しそうに口元を上げた。
「なるほどな」
「マフィアを廃業して、今度は真っ当な会社の社長ってわけか」
「そういうこと」
「似合わねぇな」
「失礼だなぁ」
レオンが笑うと、部屋の空気も自然と和らいだ。
「まず、ノア」
名前を呼ばれたノアが顔を上げる。
「今まで通り、護衛と警備関係を任せたい」
「要人のボディーガードや、企業のセキュリティー」
「必要なら、警備員の育成もお願いしたい」
ノアは短く頷いた。
「分かった」
「教えるの、得意だろ?」
「お前たちよりはな」
マルコが笑う。
「郁をあそこまで強くしたもんな」
「本人が強かっただけだ」
淡々と答えながらも、ノアはどこか満足そうだった。
「次に、ヴィクトル」
「はい」
「会社の経理と財務」
「採用、人事、法務関係もお願いしたい」
ヴィクトルは資料へ目を落とす。
「ずいぶん広いですね」
「ヴィクトルならできる」
「随分と信頼されていますね、私は」
「だって、全員のお金と予定と健康状態まで把握してるでしょ?」
レオンの言葉に、ヴィクトルは眼鏡を押し上げた。
「皆さんが管理されなさすぎるのです」
「特にボスは、退院予定日を守りませんからね」
「それ、まだ言う?」
「一生言います」
即答だった。
郁が思わず笑う。
「では、引き受けます」
「ありがとうございます」
「この会社が三日で潰れないよう、しっかり管理しましょう」
「三日は早すぎない?」
「ボス次第です」
レオンは苦笑しながら、次の資料を開いた。
「ルカ」
「ん」
「商品開発と情報技術」
「コンピューター関係は全部任せたい」
ルカは資料を覗き込む。
「全部?」
「うん」
「情報収集も、今まで通りお願いしたい。ただし、犯罪にならない範囲で」
「善処する」
「絶対守ってね」
「善処する」
マルコが吹き出した。
「守る気ねぇだろ!」
ルカは気にする様子もなく、資料を読み進める。
そこには商品開発、システム開発、研究部門の設立案まで記されていた。
「それから」
レオンが柔らかく笑う。
「好きな研究をしていいよ」
ルカの手が止まった。
わずかに顔を上げる。
「……好きなもの?」
「うん」
「利益になるかは、あとで考えればいい」
「最初はルカが面白いと思うものを作ってみて」
ルカは少しだけ黙ったあと、小さく頷いた。
「分かった」
短い返事だった。
けれど、その目は先ほどよりも少し明るくなっていた。
「マルコは」
「おう」
「営業」
「やっぱりか!」
「人と話すのが得意だからね」
「まあ、否定はしねぇけど」
「取引先を回ったり、現場の情報を集めたり」
「会社の広報をしてもらってもいい」
レオンは少し考えてから付け加えた。
「記者みたいな仕事をしても面白いかもね」
「記者?」
「街や企業を取材して、今まで表に出なかった問題を伝える」
「マルコ、顔も広いし、人から話を聞き出すのが上手だから」
マルコは顎へ手を当てる。
「悪くねぇな」
「事件の匂いを嗅ぎつけて、現場に飛び込むのは得意だぞ」
「危険な場所には一人で行かないでね」
「それ、郁にも言っとけよ」
「郁には毎日言ってる」
レオンは迷いなく答えた。
郁は思わず眉を下げる。
「私も無茶はしていません」
全員の視線が、一斉に郁へ集まった。
「……最近は」
郁が小さく付け加える。
マルコが笑った。
「自覚はあんだな」
それぞれの仕事が決まり、郁は資料を見ながら首を傾げた。
「あの」
「私は、何をすればいいでしょうか」
戦闘もできる。
運転も、通訳も、交渉も。
情報整理や応急処置も得意だった。
けれど、どれか一つを専門にすると言われると、すぐには思いつかない。
郁が真剣に悩んでいると、レオンがにこやかに答えた。
「郁は、今まで通りみんなを手伝って」
「今まで通り?」
「うん」
「ノアの警備部門にも行って、ヴィクトルの事務作業も手伝って、ルカの商品開発にも付き合って、マルコの取材にも同行する」
マルコが資料から顔を上げた。
「結局、便利屋のままじゃねぇか」
「郁は何でもできるからね」
レオンは嬉しそうに笑う。
「それから、俺の秘書」
「……秘書?」
郁が目を瞬かせた。
「うん」
「俺の予定を管理して、会議に同行して、必要な資料を作って」
そこで少しだけ笑みを深める。
「なるべく俺のそばにいる仕事」
郁の頬が赤くなった。
マルコがすぐに呆れた声を上げる。
「お前、ただ郁をそばに置きたいだけだろ」
「うん」
レオンはあっさり認めた。
「否定しろよ!」
ヴィクトルが苦笑しながら資料を確認する。
「ですが、秘書としては適任でしょう」
「郁さんは仕事が早く、複数の案件を同時に把握できます」
ルカも頷いた。
「五言語」
「交渉もできる」
ノアがコーヒーを置く。
「レオンが無茶をした時に止められる」
「それは重要ですね」
ヴィクトルが深く頷いた。
「俺、そんなに無茶するかな」
「します」
郁を含め、全員の声が重なった。
レオンは少しだけ目を丸くする。
それから楽しそうに笑った。
「じゃあ、決まりだね」
郁はまだ少し戸惑いながら、手元の資料へ目を落とす。
「私に務まるでしょうか」
「郁にしか頼めないよ」
レオンの声は、いつになく真面目だった。
「みんなが何をしているか分かっていて、必要な時にはどこへでも行ける」
「それに」
郁をまっすぐ見つめる。
「俺が一番信頼してる」
郁の表情が柔らかくなる。
「……分かりました」
「お引き受けします」
レオンは満足そうに頷いた。
「よろしくね、郁」
「はい、ボス」
「仕事中だからボス?」
「仕事中なので」
「そっか」
少し残念そうにしながらも、レオンは笑っている。
マルコが椅子の背へもたれた。
「で、会社になったら俺たちの呼び方はどうなるんだ?」
「幹部じゃなくて、役員かな」
「レオンは?」
「社長」
ルカがレオンを見る。
「似合わない」
「ルカまで?」
ヴィクトルは微笑んだ。
「そのうち慣れるでしょう」
ノアも静かに頷く。
「ボスよりは平和だ」
戦うための幹部室。
武器と作戦を並べていた机の上に、今は会社の設立資料が広がっている。
これまで守ってきたものを。
これからは、育てていく。
武器ではなく、彼らの得意な力で。
レオンは大切な仲間たちを見渡した。
「じゃあ」
「新しいヴィンチェンティを始めよう」
誰からともなく、笑顔が広がった。
名前が変わっても。
仕事が変わっても。
彼らが家族であることだけは、きっと変わらない。




