第65話 告白
サルヴァトーレとの戦いから数週間。
街には、ようやく穏やかな時間が戻っていた。
誘拐事件はなくなり。
薬物の流通も止まった。
企業は再び営業を始め。
子どもたちの笑い声が街へ戻る。
ヴィンチェンティ・ファミリーにも。
久しぶりの静かな午後が訪れていた。
――――――
屋敷。
幹部室。
大きな窓から柔らかな陽射しが差し込んでいる。
マルコはソファへ寝転び。
ノアは静かに新聞を読み。
ルカはパソコン。
ヴィクトルはコーヒーを淹れていた。
郁もその隣で本を読んでいる。
平和だった。
本当に。
平和だった。
レオンはコーヒーカップを持ちながら、いつものように郁を見る。
「郁」
郁が本から顔を上げる。
「はい?」
レオンは、いつもの笑顔で言った。
「今日も好き」
それはもう。
毎日のことだった。
朝でも。
昼でも。
夜でも。
仕事中でも。
日課みたいなもの。
レオンは返事なんて期待していない。
好きだから言う。
それだけだった。
郁は少しだけ笑う。
そして。
本当に自然に。
「……私もです」
静寂。
レオンの笑顔が止まる。
「……」
「……」
「……」
「…………え?」
郁も固まった。
「あ」
「え」
「……」
(今……)
(私……)
(何て言った……?)
顔が一気に真っ赤になる。
部屋の空気も止まった。
最初に吹き出したのはマルコだった。
「止まった!」
ヴィクトルが眼鏡を押し上げる。
「ボスが処理落ちしましたね」
ルカがコーヒーを飲みながら呟く。
「フリーズ」
ノアも小さく笑う。
「長かったな」
レオンは本当に動かなかった。
三十秒。
誰も話さない。
郁はおろおろしている。
「えっと……」
「その……」
「さっきの……」
恥ずかしくて俯く。
レオンがようやく口を開いた。
「……今」
一拍。
「俺のこと」
「好きって言った?」
郁は耳まで真っ赤になりながら、小さく頷く。
「……はい」
その一言だった。
レオンはゆっくり目を閉じる。
深呼吸を一つ。
そして。
笑った。
本当に嬉しそうに。
「……そっか」
それだけ言って。
郁をそっと抱き寄せた。
優しく。
壊れ物を扱うみたいに。
郁も静かに抱き返す。
「……待たせてしまって」
レオンは首を横へ振った。
「待ってないよ」
少し笑う。
「俺は」
「毎日好きって言ってただけ」
郁も思わず笑う。
「そうでしたね」
レオンは少しだけ俯く。
肩が震えている。
郁が首を傾げた。
「……ボス?」
レオンは照れくさそうに笑った。
「ごめん」
「嬉しすぎる」
「頭が」
「全然回らない」
その一言に。
マルコが大爆笑した。
「レオンが壊れた!」
ヴィクトルも笑いを堪えきれない。
「これは珍しいですね」
ルカも小さく口元を緩める。
「本当に」
「壊れた」
ノアはコーヒーを一口飲みながら頷く。
「幸せそうで何より」
レオンは郁を見つめる。
まだ信じられないような顔だった。
「本当に?」
「夢じゃない?」
郁はくすっと笑う。
「夢じゃないです」
そう言うと、郁はまっすぐレオンへ向き直った。
視線を逸らさずに。
逃げずに。
「……好きです」
まっすぐな声だった。
飾り気のない、不器用な言葉。
「これで」
「信じてもらえますか?」
レオンは完全に固まった。
「……」
「……」
マルコが吹き出す。
「また止まった!」
部屋中が笑いに包まれる。
レオンはようやく我に返ると、小さく笑った。
「……だめだ」
「今日は」
「嬉しすぎる」
「仕事にならない」
「今日は休みましょう」
ヴィクトルが即答する。
「賛成です」
「ボスは本日業務停止ですね」
ルカも頷く。
「故障中」
ノアは静かにカップを置いた。
「修理には」
「時間がかかりそうだ」
マルコは涙を拭きながら笑う。
「過去一弱いボスじゃねぇか!」
レオンも照れ笑いを浮かべるしかなかった。
郁はそんなレオンを見つめて、小さく笑う。
この人を好きになってよかった。
心からそう思えた。
窓の外では、穏やかな風が木々を揺らしていた。
長かった戦いは終わった。
街には平和が戻り。
家族は笑い合い。
それぞれが帰る場所を見つけた。
そして今日も。
ヴィンチェンティ・ファミリーの屋敷には、温かな笑い声が響いている。
幹部室。
笑い声が少しずつ落ち着いていく。
レオンはまだどこか夢を見ているような表情だった。
郁も真っ赤なまま俯いている。
やがてレオンが小さく笑った。
「郁」
「はい」
「少し」
「二人で話そうか」
郁は小さく頷いた。
「……はい」
――――――
二人は屋敷の中庭へ出た。
午後の風が心地よく吹き抜ける。
しばらく二人とも何も話さない。
沈黙さえ心地いい。
レオンが郁を見つめた。
「郁」
「はい」
「さっき」
「本当に?」
郁は意味が分かってしまう。
顔が熱くなる。
「……」
恥ずかしくて目を合わせられない。
それでも。
小さく頷いた。
「……はい」
その返事を聞いた瞬間だった。
レオンが顔へ手を当てた。
「……」
「……」
「……」
耳まで真っ赤。
郁は思わず目を丸くした。
「……ボス?」
レオンはそのまま空を見上げる。
「現実だった……」
ぽつり。
「夢じゃなかった……」
郁は思わず吹き出した。
「ふふっ」
レオンが振り向く。
「笑った?」
「すみません」
郁は笑いを堪えながら首を振る。
「ボスも」
「そんな表情するんですね」
いつも余裕のあるボス。
どんな時でも笑っている人。
そんなレオンが。
今は照れて真っ赤になっている。
それが。
とても可愛かった。
レオンは数秒黙る。
そして。
口元がゆっくり上がった。
少しだけ悪そうな笑み。
「……郁」
「はい?」
「もうさ」
「俺たち」
「両思いだよね?」
郁の顔がまた赤くなる。
「……はい」
「付き合ってるよね?」
「……はい」
レオンの笑顔がどんどん大きくなる。
「じゃあ」
一歩近付く。
「ボスじゃなくて」
「レオンって呼んで」
郁の思考が止まった。
「…………え?」
「レオン」
にこにこ。
「呼んで」
「……」
「……」
「……」
「む、無理です!」
レオンは即答した。
「やだ」
「えぇ!?」
郁は慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「やだ」
楽しそう。
完全に楽しんでいる。
「レオン……」
郁は困ったように見つめる。
「お願いします……」
「やだ」
笑顔。
全然譲らない。
郁は顔を真っ赤にしたまま頭を抱えた。
(どうしよう……)
(恥ずかしい……)
レオンは楽しそうに待っている。
絶対に助けてくれない。
しばらく沈黙が続いた。
やがて郁は小さく息を吸う。
観念した。
「……レオン」
その一言だけだった。
レオンは固まる。
「……」
「……」
次の瞬間。
ぱぁっと花が咲いたように笑った。
「うん」
「もう一回」
「えぇ!?」
「聞きたい」
郁は恥ずかしさでしゃがみ込みそうになる。
「もう無理です……」
「レオン」
にこにこ。
幸せそう。
郁は耳まで真っ赤になりながら苦笑した。
「……仕事中は」
「ボスでもいいですか?」
レオンは少し考える。
「うーん」
数秒。
そして優しく笑った。
「いいよ」
郁はほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます」
レオンはそんな郁を見つめる。
優しく。
嬉しそうに。
そして。
「郁」
「はい?」
「これから」
「めいっぱい愛すから」
「覚悟してね」
郁は目を丸くした。
「……これ以上!?」
レオンは楽しそうに笑う。
「うん」
「今までは片思いだったから」
「これからは遠慮しない」
郁は思わず空を見上げた。
「……」
(大変な人と付き合ってしまったかもしれません)
そう思いながらも。
頬は自然と緩んでいた。
二人は並んで歩き出す。
屋敷へ戻るために。
その時だった。
ふわり。
右手へ、小さな温もりが触れる。
「……!」
郁は思わず足を止めた。
レオンが何でもないことのように、その手を握っている。
指を絡めるでもなく。
ただ。
優しく包み込むように。
郁は真っ赤になった。
「れ、レオン……」
レオンは振り向いて笑う。
「恋人だから」
それだけだった。
あまりにも自然で。
まるで昔からそうしていたみたいに。
郁は恥ずかしそうに俯く。
「……慣れません」
レオンは少しだけ手を握り直した。
「うん」
「ゆっくり慣れて」
その声は、とても優しかった。
郁も少しだけ力を抜く。
握り返す勇気は、まだない。
でも。
その手を離そうとは思わなかった。
二人は手を繋いだまま歩き出す。
柔らかな午後の日差しの中を。
長い片思いは終わった。
今日から。
二人で歩いていく。
――――――
その頃。
屋敷の二階。
窓から四人が外を見ていた。
マルコが腕を組む。
「……」
「つないだ」
ヴィクトルがくすっと笑う。
「つなぎましたね」
ルカも窓の外を見たまま頷く。
「自然」
ノアは静かにコーヒーを飲む。
「ああ」
レオンは何も気付いていない。
郁も気付いていない。
マルコが嬉しそうに笑う。
「よかったなぁ」
「レオン」
ヴィクトルも優しく微笑む。
「本当に」
「長かったですね」
ルカがぽつり。
「半年」
ノアも静かに頷いた。
「待った」
マルコは笑う。
「毎日好き好き言って」
「ようやく実ったんだもんな」
ヴィクトルは窓の外の二人を見る。
「幸せそうです」
ノアが小さく笑った。
「ああ」
「やっと」
「笑える」
四人は誰も外へは出なかった。
今だけは。
二人だけの時間。
邪魔をしたくなかった。
窓の向こうでは。
レオンが嬉しそうに郁を見つめている。
その姿を見て。
マルコは小さく呟いた。
「よかったな」
「レオン」
その言葉に。
全員が静かに頷いた。




