第62話 サルヴァトーレ
最上階。
重厚な扉が静かに開く。
広い執務室。
窓の外には、夜の街が広がっていた。
その景色を背に、一人の男が立っている。
サルヴァトーレ。
「来たか」
レオンは静かに部屋へ入る。
扉を閉める。
その音だけが部屋へ響いた。
いつもの柔らかな笑顔はない。
静かな瞳だけが、サルヴァトーレを真っ直ぐ見据えていた。
「君を」
「止めに来た」
サルヴァトーレは小さく笑う。
「止める?」
「俺をか」
ゆっくりと拳銃を抜く。
「やってみろ」
パンッ。
乾いた銃声。
レオンは身体を半歩だけずらす。
弾丸が肩をかすめる。
すぐに撃ち返す。
パンッ。
パンッ。
弾はサルヴァトーレの足元を撃ち抜く。
動きを制限する射撃。
急所は狙わない。
サルヴァトーレが笑う。
「殺さないか」
レオンは短く答えた。
「殺さない」
「あなたは」
「法で裁かれる」
サルヴァトーレは拳銃を捨てる。
腰からナイフを抜いた。
「なら」
「力づくで来い」
レオンも静かにナイフを抜く。
次の瞬間。
二人が同時に踏み込んだ。
金属音が響く。
ギィンッ!!
火花が散る。
サルヴァトーレの斬撃は重い。
一撃ごとに腕が痺れる。
レオンは最小限の動きで受け流す。
無駄がない。
静かに。
冷静に。
呼吸を乱さない。
サルヴァトーレが低く笑う。
「なるほど」
「君は」
「思っていた以上だ」
蹴り。
拳。
肘。
ナイフ。
互いに一歩も引かない。
数分が過ぎる。
レオンの額から汗が落ちる。
右腕。
以前撃たれた傷が痛む。
血が少しずつ滲み始めた。
サルヴァトーレはそれを見逃さなかった。
「古傷」
「無理をしたな」
レオンは息を整える。
「お互い様」
サルヴァトーレも肩で息をしていた。
年齢。
体力。
その差が、ほんの少しだけ現れ始める。
互いに距離を取る。
静寂。
サルヴァトーレがゆっくり口を開いた。
「レオン」
「君は優秀だ」
「だが」
「甘い」
レオンは構えを崩さない。
「そうかな」
サルヴァトーレは夜景へ目を向けた。
「人は」
「恐怖でしか支配できない」
ゆっくり歩く。
「逆らえば死ぬ」
「だから従う」
「それだけで十分だ」
レオンは黙って聞いている。
サルヴァトーレは続けた。
「警察も」
「政治も」
「企業も」
「恐怖を植え付ければ」
「勝手に頭を下げる」
「それが支配だ」
静かな声。
それが余計に恐ろしい。
レオンは小さく首を横へ振る。
「違う」
一歩踏み出す。
「人は」
「恐怖じゃ動かない」
「信頼が人を動かす」
サルヴァトーレは目を細めた。
レオンは静かに続ける。
「俺は」
「命令したから」
「仲間が付いてきてくれたとは思ってない」
「信じてくれたから」
「命を預けてくれた」
サルヴァトーレは笑った。
「理想論だ」
レオンも笑わない。
「そうかもしれない」
「でも」
「ノアも」
「マルコも」
「ヴィクトルも」
「ルカも」
「郁も」
「誰一人」
「恐怖で俺の隣にいるわけじゃない」
静かな部屋。
サルヴァトーレは少しだけ考えるように目を閉じた。
そして笑う。
「だから」
「君は部下を庇って撃たれる」
レオンは即座に答えた。
「違う」
「だから」
「俺も助けてもらえる」
一瞬。
サルヴァトーレの笑みが消えた。
レオンは静かに言う。
「一人じゃ」
「ここまで来られなかった」
「だから」
「俺は仲間を信じる」
「それが」
「ヴィンチェンティ・ファミリーだ」
沈黙。
サルヴァトーレは小さく笑った。
「なるほど」
「負けるわけだ」
一拍置き、サルヴァトーレは静かに続けた。
「お前の父も」
「強い男だった」
レオンの目が、わずかに揺れる。
「腕っぷしだけなら、俺と互角だったろう」
「だが」
サルヴァトーレは笑う。
「お前は、頭が切れる」
「あの男にはなかったものだ」
レオンは何も答えなかった。
ただ、握った拳に、わずかに力がこもる。
それだけが、返事だった。
その言葉と同時に。
二人が再び動いた。
今までで一番速い。
ナイフが交差する。
拳がぶつかる。
互いに一歩も譲らない。
レオンの右腕が痺れる。
古傷が悲鳴を上げる。
サルヴァトーレも息が荒い。
その一瞬だった。
踏み込みが、ほんのわずかに遅れた。
レオンは見逃さない。
身体を捻る。
腕を取る。
体勢を崩す。
ナイフが床へ落ちた。
ガランッ。
そのまま床へ押さえ込む。
拳を振り上げる。
あと一発。
それで終わる。
サルヴァトーレは笑った。
「殺せ」
レオンは拳を止める。
静かに息を吐いた。
「殺さない」
懐から手錠を取り出す。
カチャン。
サルヴァトーレの両手へ掛ける。
「あなたが」
「年を取っていて」
「よかった」
サルヴァトーレは少し驚いたように笑う。
「……ほう」
「同じ年だったら」
「負けていたかもしれない」
その言葉に。
サルヴァトーレは心から笑った。
「はははっ!」
「最後に」
「最高の褒め言葉をもらった」
その時。
勢いよく扉が開く。
警察特殊部隊が部屋へ飛び込んできた。
「確保!」
サルヴァトーレは抵抗しない。
立ち上がるレオンを見つめ、小さく笑った。
「レオン」
「君は」
「いいボスになった」
レオンも穏やかに頷く。
「ありがとうございます」
「あなたも」
一瞬だけ間を置く。
「違う時代なら」
「きっと」
「すごいボスだった」
サルヴァトーレは笑ったまま警察へ連行されていく。
最後に夜景を見上げる。
「負けたよ」
その声は。
不思議と悔しさよりも、どこか満足そうだった。
レオンはその背中を静かに見送る。
そして小さく息を吐いた。
「……終わった」
その一言には、勝利の喜びではなく、ようやく街を守れたという安堵だけが込められていた。




