第56話 企業買収
朝。
幹部会議。
ヴィクトルが一枚の資料を机へ置いた。
「ボス」
「以前から取引のある製薬会社ですが」
「ディ・ネーロ・ファミリーから買収を迫られています」
マルコが腕を組む。
「断ったのか」
「はい」
「その後、社員への脅迫が始まりました」
ノアが資料へ目を落とす。
「家族の住所」
「通勤経路」
「全部調べられてる」
ルカも続ける。
「昨日」
「会社へ火炎瓶」
「被害」
「軽微」
部屋が静かになる。
レオンは資料を閉じた。
「守ろう」
即答だった。
――――――
午後。
一行は製薬会社へ到着した。
大きな会社ではない。
三階建ての社屋。
社員も三十人ほど。
それでも建物の中は明るく、研究員たちは真剣な表情で働いていた。
社長が深々と頭を下げる。
「本当に来ていただけるとは……」
レオンは穏やかに笑う。
「契約しましたから」
「契約は守ります」
その一言だけで、社長の表情が少し和らいだ。
――――――
社員たちへ状況を説明している間。
郁は廊下を歩いていた。
「あ」
小さな声。
振り返ると、小学校低学年くらいの女の子が柱の陰からこちらを見ていた。
「こんにちは」
郁がしゃがんで目線を合わせる。
女の子は少し恥ずかしそうに笑った。
「こんにちは……」
「お父さんを待ってるの?」
「うん」
「研究してるの」
郁は優しく微笑んだ。
「そうなんだ」
「えらいね」
女の子は郁をじっと見つめる。
「お兄ちゃん」
「かっこいい」
郁は思わず目を丸くした。
「えっ」
「ありがとう」
照れながら笑う郁に、女の子も嬉しそうに笑った。
――――――
少し離れた場所。
その様子を見ていたマルコが笑う。
「また子どもに好かれてる」
ノアも頷いた。
「不思議」
ルカがぼそり。
「懐かれる」
レオンはその光景を見つめながら、優しく笑った。
「郁だからだよ」
――――――
夕方。
社員たちが帰宅準備を始めた頃だった。
ルカの無線が鳴る。
『ボス』
『動いた』
レオンの表情が変わる。
「全員配置」
その瞬間。
ガシャンッ!!
窓ガラスが割れた。
火炎瓶。
炎が床へ広がる。
「きゃあっ!」
悲鳴が響く。
続いて武装した男たちが入口から雪崩れ込んできた。
「契約書を出せ!」
「逆らうな!」
レオンは迷わなかった。
「ノア!」
「戦闘」
「マルコ!」
「社員を出口まで!」
「ルカ!」
「監視カメラ!」
「ヴィクトル!」
「負傷者対応!」
「郁!」
一瞬だけ目が合う。
「避難誘導お願い」
「はい!」
全員が同時に動き出した。
――――――
「こちらです!」
郁は社員たちを非常口へ誘導していく。
「慌てなくて大丈夫です!」
「走らないでください!」
その時だった。
「お父さーん!」
小さな泣き声。
さっきの女の子だった。
父親とはぐれ、一人だけ廊下へ取り残されている。
しかも。
炎がその間へ回り始めていた。
「……!」
郁は迷わない。
炎の中へ飛び込んだ。
「郁!」
レオンの声が響く。
郁は女の子を抱き上げる。
「大丈夫」
「怖かったね」
女の子は泣きながら郁の首へしがみついた。
「お兄ちゃん……」
「もう大丈夫」
そのまま炎を避けながら外へ走る。
外へ出た瞬間。
父親が駆け寄ってきた。
「リリー!」
「お父さん!」
二人は強く抱き合った。
父親は何度も頭を下げる。
「ありがとうございました!」
「娘まで……」
郁は少し照れながら首を振った。
「間に合ってよかったです」
女の子はまだ郁の服をぎゅっと掴んだまま離れない。
「お兄ちゃん」
「ありがとう」
郁は優しく頭を撫でた。
「元気でね」
――――――
襲撃犯は全員逮捕された。
火は消し止められ、社員も全員無事だった。
社長がレオンへ頭を下げる。
「会社は少し壊れてしまいました……」
レオンは燃えた壁を見つめる。
「建物は直せます」
社長が顔を上げる。
「でも」
レオンは社員たちを見る。
泣きながら抱き合う家族。
笑い合う仲間たち。
「社員は戻りません」
「だから」
「今日守れたのは」
「会社じゃない」
「ここで働く人たちです」
社長の目に涙が浮かんだ。
「……ありがとうございます」
――――――
帰りの車。
郁は窓の外を見ながら小さく呟いた。
「ボス」
「ん?」
「どうして」
「そこまで企業を守るんですか」
レオンは少しだけ考えてから笑った。
「会社ってね」
「働く人の居場所なんだ」
郁は静かに聞く。
「社員一人が仕事を失えば」
「その家族も困る」
「子どもも」
「夢も」
「全部繋がってる」
一拍置く。
「だから」
「俺は会社を守る」
郁はその横顔を見つめた。
(……やっぱり)
(この人は)
(優しい)
胸が少しだけ熱くなる。
――――――
同じ頃。
ディ・ネーロ・ファミリー本部。
幹部が報告する。
「製薬会社襲撃」
「失敗しました」
サルヴァトーレは静かに資料を閉じた。
「そうか」
怒ることもなく、小さく笑う。
「レオンは」
「相変わらず甘い」
そして。
郁の写真を見つめる。
「それと」
「この子」
指先で写真を軽く叩く。
少しの間、黙って写真を見つめる。
やがて、傍らの幹部へ視線を移した。
「次は、力ずくじゃない」
「もっと、近くから崩す」
幹部が眉を上げる。
「近くから、とは」
サルヴァトーレは答えず、ただ薄く笑った。
「ルチアを、もう少し前へ出してやろう」
その一言だけで、部屋の空気が冷え切った。




