第52話 便利屋の欠点
サルヴァトーレが動き出してからというもの。
街は少しずつ姿を変えていた。
企業への脅迫。
薬物の流通。
相次ぐ誘拐事件。
表向きには何も変わらない。
それでも裏社会では確実に緊張が高まっていた。
当然、その影響はヴィンチェンティ・ファミリーにも及ぶ。
企業からの護衛依頼。
通訳の依頼。
情報収集。
警備の強化。
どの仕事も以前より増えていた。
そして。
“便利屋”という役職を与えられた郁は、その中心にいた。
――――――
「郁!」
「通訳お願い!」
「はい!」
返事と同時に走り出す。
「郁!」
「この契約書、外国語だから確認して!」
「分かりました!」
「郁!」
「護衛一人足りない!」
「向かいます!」
「郁!」
「運転頼めるか!」
郁はぱっと顔を上げると、少しだけ嬉しそうに笑った。
「はい!」
「免許取りました!」
一瞬、部屋が静まり返る。
そして。
マルコが吹き出した。
「報告の仕方が可愛いな!」
郁は首を傾げる。
「……?」
ヴィクトルも思わず笑う。
「そういえば、先日無事取得されましたね」
ルカがぼそり。
「初心者」
郁は少しだけ胸を張る。
「初心者ですが、安全運転します」
ノアが腕を組んだまま頷く。
「前も上手かった」
「はい」
「でも今度はちゃんと免許があります」
郁は少しだけ誇らしそうだった。
レオンはそんな郁を見て、ふっと笑う。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
その笑顔は、どこか子どものように嬉しそうだった。
――――――
それから数日。
郁は街中を走り回った。
午前は護衛。
昼は通訳。
午後は企業との打ち合わせ。
その足で情報屋との接触。
帰ってきたと思えば報告書を書き、訓練場へ向かう。
「郁」
「はい?」
レオンがコーヒーカップを片手に声を掛けた。
「無理しないで」
郁はにこっと笑う。
「はい!」
返事だけは満点だった。
――――――
三日後。
昼過ぎ。
屋敷の廊下。
書類を抱えながら歩いていた郁の足が、ふらりと止まる。
「あ……」
視界が揺れた。
そのまま力が抜ける。
「郁!」
近くにいたノアが慌てて駆け寄る。
郁はその場へ崩れ落ちた。
――――――
三十分後。
医務室。
ゆっくりと目を開ける。
「……」
見慣れた天井。
そして。
ベッドの周りには。
幹部全員。
「……」
郁は固まった。
「おはよう」
レオンがいつものように微笑む。
「お、おはようございます……」
レオンは立ち上がる。
笑顔のまま。
「言ったよね?」
その一言だけで十分だった。
郁は視線を逸らす。
「……はい」
「無理しないで」
「って」
「……はい」
「したよね?」
「……」
しばらく沈黙。
やがて郁は小さく頭を下げた。
「……すみません」
マルコが吹き出す。
「素直!」
ルカも頷く。
「反省」
ノアは腕を組んだ。
「働きすぎ」
診察を終えた往診医が、カルテを閉じながら振り返った。
「疲労です」
「大きな異常はありません」
「ですが」
ペンを胸ポケットへ戻す。
「本日と明日は絶対安静です」
郁は勢いよく起き上がろうとした。
「えっ!」
「仕事が──」
「ありません」
ヴィクトルがにこりと笑う。
「え?」
「今日の仕事は、全て私たちで分担します」
「でも……」
「だめです」
穏やかな笑顔。
なのに誰よりも圧がある。
「これは」
「幹部全員一致の決定です」
郁は助けを求めるようにレオンを見る。
「ボス……」
レオンは優しく笑った。
「うん」
「今日の仕事」
「休むこと」
「命令」
「……」
郁は観念したように肩を落とした。
「……はい」
――――――
レオンたちが部屋を出る。
廊下へ出たところで。
マルコが苦笑した。
「便利屋にも欠点あったな」
ノアが短く答える。
「働きすぎ」
ルカも頷く。
「便利すぎ」
ヴィクトルはため息をついた。
「便利屋ではなく」
「過労屋ですね」
レオンは思わず吹き出した。
「それはだめだ」
マルコが笑う。
「ボス」
「郁、絶対また無理しますよ」
レオンは少し考えたあと、にっこり笑った。
「じゃあ」
「もっと見てないと」
四人が一斉にレオンを見る。
ヴィクトルが眼鏡を押し上げた。
「……ボス」
「はい?」
「過保護が加速しています」
レオンは首を傾げた。
「そう?」
マルコが笑う。
「かなり」
ルカ。
「重症」
ノア。
「自覚なし」
レオンは少しだけ考えてから、照れくさそうに笑った。
「……そうかも」
その一言に。
幹部たちは顔を見合わせる。
「「「悪化した」」」
屋敷には、久しぶりに明るい笑い声が響いた。




