第49話 戸籍
翌朝。
郁は朝早くから依頼へ出ていた。
その姿を見送ったあと、レオンは幹部室へ向かう。
「みんな」
「少し相談がある」
珍しく真剣な声だった。
マルコが椅子へ座る。
「どうした?」
レオンは静かに話し始める。
「昨日」
「郁と話をした」
幹部たちは自然と耳を傾ける。
「郁」
「自分には戸籍がないから」
「存在しない人間なんだって」
「そう思ってる」
部屋が静まり返った。
「それが」
「俺の気持ちを受け入れられない理由の一つらしい」
マルコが頭をかいた。
「そんなこと気にしてたのか……」
ヴィクトルは少し考えるように顎へ手を添える。
「戸籍なら」
「作れます」
レオンが顔を上げる。
「本当に?」
「はい」
「時間は必要ですが、不可能ではありません」
ルカも頷く。
「早く言えばよかった」
ノアは腕を組んだ。
「じゃあ動く」
それだけだった。
誰一人として反対しない。
“郁のために動く。”
それが当たり前だった。
レオンは少しだけ笑う。
「ありがとう」
――――――
その日の午後。
ヴィクトルは政府へ連絡を取る。
やがて画面に映し出されたのは、一人の男性。
イタリア大統領、アルベルト・ロマーノだった。
「お久しぶりです」
ヴィクトルが頭を下げる。
大統領は穏やかに微笑む。
「郁君の件だろう?」
「はい」
「以前、娘を救っていただきました」
「できれば正式な身分を」
大統領は迷わなかった。
「協力しよう」
「彼には私も恩がある」
「必要な手続きはこちらで進める」
通信が終わる。
マルコが思わず笑った。
「エマちゃん、ほんと助けてよかったな」
レオンも優しく笑った。
「あの時の縁だね」
――――――
数日後。
正式な書類が完成した。
ヴィクトルが大切そうに封筒を机へ置く。
「できました」
誰もが小さく笑った。
――――――
翌日。
幹部会議。
郁が席へ着くと、レオンが微笑んだ。
「郁」
「渡したいものがある」
「私にですか?」
「うん」
レオンは一通の封筒を差し出した。
郁は不思議そうに受け取り、中を開く。
一枚の書類。
目を通した瞬間。
「……え」
声にならない。
何度も。
何度も名前を見つめる。
如月郁。
そこには確かに、自分の名前があった。
「……これ」
震える声。
「戸籍」
レオンは穏やかに答えた。
「郁は」
「ちゃんとこの世界にいる」
「存在してる」
郁の目から涙がこぼれた。
「どうして……」
ヴィクトルが微笑む。
「家族ですから」
マルコも笑う。
「そんなことで悩んでるなら」
「早く言えよ」
ルカは短く。
「おめでとう」
ノアも頷く。
「これで一安心だ」
郁は涙を拭いながら深く頭を下げた。
「ありがとうございます……」
何度言っても足りなかった。
――――――
会議が終わる。
他の幹部たちは席を外し、部屋にはレオンと郁だけが残った。
レオンは優しく笑う。
「これで」
「悩みは一つ減った?」
郁は戸籍を胸へ抱きしめる。
「……はい」
涙を浮かべながら笑う。
「でも」
レオンは静かに続きを待つ。
「私は」
「違う世界の人間です」
「ボスには」
「普通の人との幸せがあると思います」
「だから……」
レオンはすぐには答えなかった。
少しだけ考えて。
静かに笑う。
「そう思うなら」
「まだ仕方ない」
郁は顔を上げる。
レオンは優しく続けた。
「でも」
「俺は郁が好き」
「どこの世界で生まれたとか」
「そんなことは関係ない」
一歩だけ近付く。
「郁と一緒にいられたら」
「俺は幸せ」
「かっこいい郁も」
「かわいい郁も」
「全部好き」
郁の顔が真っ赤になる。
「ボ、ボス……」
レオンは少し照れたように笑った。
「だから」
「俺がどう思ってるかだけは」
「知っておいて」
そして最後に、いつもの笑顔で。
「覚悟して」
「俺、けっこうしつこいよ」
郁は思わず笑ってしまう。
レオンもつられて笑う。
「待つから」
「郁が」
「自分の答えを見つけるまで」
郁は小さく頷いた。
返事はまだできない。
でも。
机の上に置かれていた本を、そっと胸へ抱き寄せる。
少しだけ俯いたまま。
頬はまだ赤かった。
レオンはそんな郁を見て、小さく笑う。
――急がなくていい。
その想いだけを胸に、静かにコーヒーカップへ手を伸ばした。




