第48話 はじまり
屋敷へ戻ると、レオンたちはそのまま幹部室へ向かった。
誰も席へ着くと同時に口を開こうとはしない。
先ほどまでの緊張感がまだ残っていた。
レオンは一度全員を見渡す。
「今日の件」
「みんなも分かっていると思うけど」
全員が静かに頷く。
「サルヴァトーレ・ディ・ネーロ」
「おそらく」
「今日を境に敵対関係へ入る」
ノアが短く答えた。
「ああ」
ヴィクトルも頷く。
「警戒レベルを上げましょう」
ルカはメモを閉じる。
「情報」
「集める」
マルコは腕を組んだ。
「向こうも俺たちを見る気満々だったしな」
「うん」
レオンは小さく笑う。
「それと」
郁を見る。
郁はゆっくり口を開いた。
「ニコさんの妹さん」
「生きていました」
部屋が少し静かになる。
郁は胸元へ手を添えた。
「手紙は」
「渡せませんでした」
レオンは優しく頷く。
「それでいい」
「今日は渡す状況じゃなかった」
ノアも同意する。
「無理に動いていたら危なかった」
郁は静かに頷いた。
「……はい」
レオンは立ち上がる。
「じゃあ」
「みんなへ共有しよう」
全員が席を立った。
――――――
十分後。
食堂にはファミリーたち全員が集められていた。
いつもの賑やかな食堂は静まり返っている。
レオンは前へ立つ。
「今日は大事な話がある」
全員が姿勢を正した。
「今日」
「敵対組織、ディ・ネーロ・ファミリーと接触した」
ざわり、と空気が揺れる。
「今後」
「敵対関係へ入る可能性が高い」
誰も口を挟まない。
レオンは静かに続ける。
「相手は」
「誘拐」
「薬物」
「人身売買」
「企業への脅迫」
「目的のためなら手段を選ばない」
「今まで以上に危険な任務が増えると思う」
全員の表情も自然と引き締まる。
「だから」
「しばらくは単独行動を禁止する」
「異変を感じたら」
「小さなことでも必ず報告」
「無理はしない」
「仲間を信じること」
少し間を置く。
「そして」
「必ず生きて帰ってきて」
その一言に。
全員は力強く頷いた。
「はい!」
レオンは穏やかに笑う。
「ありがとう」
「以上」
ファミリーはそれぞれ持ち場へ戻っていく。
食堂にはいつもの賑やかな声が少しずつ戻り始めた。
――――――
夜。
屋敷の図書室。
静かな空間にページをめくる音だけが響く。
郁はいつもの席で本を読み、向かいにはレオンがコーヒーを片手に書類へ目を通していた。
しばらく無言の時間が流れる。
それが二人には心地よかった。
やがてレオンが顔を上げる。
「郁」
「はい?」
郁も本から目を離す。
レオンはいつものように笑う。
「今日も好き」
郁は少し困ったように笑った。
「……ボス」
「うん?」
「何に悩んでるの?」
郁は少し驚いたように目を瞬かせた。
「分かりますか?」
「うん」
「今日の郁」
「少し考え込みすぎてる」
ふと、今日の記憶がよぎる。
パーティーで、レオンへ次々と挨拶に来ていた令嬢たち。
誰もが自然に彼へ手を伸ばし、彼もそれを自然に受け止めていた。
(私とは、違う世界の人だ)
そう思った瞬間の、あの小さな痛み。
郁は本を閉じ、小さく息を吐く。
「私」
「ボスと付き合うには」
「問題が多すぎます」
レオンは黙って聞く。
「戸籍もありません」
「今の私は」
「存在しない人です」
「結婚だってできません」
少しだけ笑う。
でも、その笑顔はどこか寂しかった。
「だから」
「ボスは」
「普通の人と付き合ってください」
図書室が静かになる。
レオンは郁を見つめた。
(……そこまで考えてたんだ)
心の中でだけ呟く。
少しだけ笑って。
「そうだね」
その一言だけ返した。
でも。
その笑顔が、ほんの少しだけ消える。
一瞬だけ。
郁は気付かない。
「……」
再び本を開く。
ページをめくる音だけが静かに響く。
レオンはコーヒーカップを持ち上げた。
(……)
その夜。
彼は一つの決意を胸に秘めたまま、静かにコーヒーを飲み干した。




