第45話 便利屋
ニコの事件から数か月。
ヴィンチェンティ・ファミリーは以前にも増して忙しくなっていた。
ディ・ネーロ・ファミリーの動きが活発になり、小さな依頼も一つひとつ慎重に対応しなければならない。
その日も屋敷は慌ただしかった。
レオンは机の上に積まれた依頼書を眺め、小さく息をつく。
「困ったな……」
ノアは上着を羽織りながら答えた。
「悪い」
「今日は政府関係者の護衛だ」
「夜まで戻れない」
マルコも通信機を耳に当てたまま振り返る。
「俺も情報屋との約束がある」
「外せねぇ」
ヴィクトルは書類を抱えて立ち上がる。
「私は企業との交渉があります」
「午後には出発です」
ルカはノートパソコンを閉じた。
「潜入」
「今日しか無理」
レオンは苦笑する。
「見事に全員埋まってるね」
机の上には、まだ一件。
急ぎの依頼書だけが残っていた。
郁はその紙を手に取る。
「子どもの保護と通訳、それから依頼人との交渉……」
一枚読み終えると、小さく頷いた。
「私が行きます」
全員の視線が郁へ向く。
「一人で?」
レオンが確認する。
「はい」
「護衛もできます」
「通訳もできます」
「交渉もできます」
「情報収集もできます」
郁は少し考えてから付け加えた。
「あ」
「運転もできます」
「ただ……」
少し言いづらそうに続ける。
「この世界では免許を持っていないので」
「厳密には無免許ですが……」
部屋が静まり返った。
「…………」
数秒後。
マルコが吹き出す。
「そこ申告すんの!?」
郁はきょとんと首を傾げた。
「大事なことかと……」
ヴィクトルは肩を震わせる。
「郁らしいですね」
ルカも小さく笑った。
「真面目」
ノアは郁を見る。
「運転はできるのか?」
「はい」
「前は免許を取得していました」
「事故もありません」
「ふーん」
ノアはそれだけ言って頷く。
すると。
レオンが笑った。
「確認されないから大丈夫」
「え?」
「俺たち」
「マフィアだから」
一瞬の沈黙。
マルコが腹を抱えて笑い出した。
「ボス!」
「それ言っちゃう!?」
ヴィクトルも苦笑する。
「身も蓋もありませんね」
ルカはぽつり。
「事実」
郁だけが少し困ったように笑う。
「……それでいいんでしょうか」
レオンは肩をすくめた。
「だめだけどね」
「今日は緊急だから」
「安全運転なら許可」
郁は真剣な顔で頷く。
「分かりました」
「安全運転します」
マルコがまた笑う。
「お前」
「ほんと真面目だなぁ」
郁は首を傾げるだけだった。
――――――
その日の夕方。
郁は一人で屋敷へ戻ってきた。
服には少しだけ埃が付いている。
レオンが顔を上げた。
「おかえり」
「ただいま戻りました」
「どうだった?」
郁は報告書を差し出す。
「護衛完了」
「依頼人との交渉終了」
「契約もまとまりました」
「通訳も終わっています」
「それと」
「誘拐グループらしき人物を見かけたので調べておきました」
ルカが資料を受け取る。
「……本当だ」
マルコが目を丸くした。
「全部やってきたの?」
「はい」
「時間があったので」
部屋が静かになる。
数秒後。
マルコが吹き出した。
「あいつさ」
「何でも屋じゃん」
ノアも珍しく笑う。
「便利だ」
ヴィクトルは眼鏡を押し上げた。
「万能ですね」
ルカも短く頷く。
「便利」
郁だけが首を傾げる。
「……?」
レオンは小さく笑った。
「じゃあ」
「決めようか」
全員がレオンを見る。
レオンは郁へ視線を向けた。
「郁」
「はい」
「今日から」
「幹部としての役職を一つ追加する」
郁は少し驚く。
「役職……ですか?」
「うん」
レオンは優しく笑った。
「君は」
一呼吸置いて。
「ヴィンチェンティ・ファミリーの便利屋」
部屋が静まり返る。
「……便利屋」
郁はその言葉をゆっくり繰り返した。
「俺たちには、それぞれ役割がある」
レオンは一人ひとりを見る。
「ノアは戦闘」
「マルコは現場」
「ヴィクトルは交渉と経営」
「ルカは情報」
そして最後に郁を見る。
「でも君は違う」
「誰かが足りない時」
「誰かが困った時」
「その穴を埋めてくれる」
「一人じゃなくて」
「みんなを支える仕事」
「それが君の役目」
郁は少し俯いた。
その言葉を胸の中で何度も繰り返す。
便利屋。
かっこいい役職ではない。
けれど――
自分らしい気がした。
自然と笑みがこぼれる。
「……頑張ります」
レオンも笑う。
「うん」
「期待してる」
マルコが肩を叩く。
「よろしくな!」
ヴィクトルが微笑む。
「頼りにしています」
ルカは短く。
「便利屋」
「いい名前」
ノアは腕を組みながら頷いた。
「似合ってる」
郁は少し照れながら笑う。
「ありがとうございます」
こうして。
ヴィンチェンティ・ファミリーには、新しい役職が一つ生まれた。
――便利屋。
誰か一人では届かない場所へ。
仲間の代わりに手を伸ばす。
それが、如月郁という幹部の新しい役目だった。




