第43話 護衛
朝。
幹部会議室。
レオンは机の上へ一枚の資料を置いた。
「今日の任務」
全員が資料へ目を向ける。
郁も手に取り、目を通した。
『護衛対象 エマ・ロマーノ』
『年齢 10歳』
『大統領令嬢』
郁は思わず顔を上げた。
「大統領の……娘さんですか?」
レオンは穏やかに頷く。
「うん」
「最近、政府関係者を狙った誘拐未遂が続いてる」
ヴィクトルが補足する。
「今回は公式行事ではありません」
「休日のお忍び外出です」
「警備を増やすと逆に目立つため、私たちへ依頼が来ました」
郁は少し驚いた。
「マフィアに……ですか?」
レオンは笑う。
「表では言えない仕事もあるからね」
「政府とは昔から持ちつ持たれつなんだ」
ノアが地図を広げる。
「移動は三か所」
「敵が動くなら最後」
ルカが静かに言う。
「情報」
「まだ少ない」
「だから」
レオンは郁を見た。
「今回は郁も前に出てもらう」
「君は人を安心させるのが上手だから」
「はい」
――――――
一時間後。
大統領公邸。
庭には一人の少女が立っていた。
ふわりと揺れる金色の髪。
透き通る青い瞳。
白いワンピースに麦わら帽子。
年相応の無邪気な笑顔。
レオンたちを見るなり、ぱっと走ってくる。
「こんにちは!」
「今日よろしくね!」
可愛らしく頭を下げる。
「私はエマ!」
そして。
郁を見た瞬間。
目がきらきら輝いた。
「わぁ!!」
「お兄ちゃん!」
「かっこいい!!」
「……え?」
郁は目をぱちぱちさせる。
「優しそう!」
「イケメン!」
郁は困ったように笑った。
「あ、ありがとうございます……」
レオンは横を向いた。
肩が少し震えている。
マルコは口元を押さえている。
無線で聞いていたヴィクトルは咳払い。
同様に無線越しのルカはぼそり。
『また』
ノアだけは真顔だった。
「訂正しないのか」
郁は首を傾げる。
「え?」
エマは郁の手をぎゅっと握る。
「お兄ちゃん!」
「名前は?」
「郁です」
「よろしくお願いします」
「イーク?」
「……いく、です」
「イーク!」
「……」
何度訂正しても。
「イーク!」
郁は諦めたように笑った。
「……もう、それで大丈夫です」
レオンはとうとう吹き出した。
「ふふっ」
――――――
護衛は順調に進んだ。
街を歩き。
本屋へ寄り。
ジェラートを食べ。
エマは終始ご機嫌だった。
「イーク!」
「これ見て!」
「すごい!」
「本当ですね」
郁は自然と笑う。
その隣で、レオンは静かにその様子を眺めていた。
(似合う)
(子どもといる郁)
(……やっぱり優しい)
――――――
夕方。
帰路。
人気の少ない石畳の道へ入った時だった。
郁の足が止まる。
「……」
胸がざわついた。
嫌な予感。
昔。
小学生だった頃。
知らない男に声を掛けられた、あの日と同じ感覚。
「ボス」
「うん?」
「静かすぎます」
その瞬間だった。
バンッ!!
煙幕が炸裂した。
「きゃっ!」
エマが悲鳴を上げる。
「伏せて!!」
郁は迷わずエマを抱き寄せ、その身体を覆う。
煙の中から黒服の男たちが飛び出した。
「連れて行け!」
「娘を確保しろ!」
「ノア!」
レオンの声が響く。
「右!」
「了解」
乾いた銃声。
二人が倒れる。
マルコは真正面へ飛び込んだ。
「こっちは任せろ!」
一人の男がエマへ手を伸ばす。
その瞬間。
郁の身体が動いた。
男の腕を流し、足を払う。
地面へ叩きつけられる男。
父から教わった護身術、ノアから教わった体術だった。
「離れて!」
郁はエマを背中へ隠す。
「イーク……」
エマは震えていた。
涙を浮かべながら郁の服を掴む。
「怖い……」
郁は振り返り、優しく微笑んだ。
「大丈夫」
「絶対守るから」
その笑顔に。
エマは小さく頷いた。
「……うん」
少し離れた場所で戦いながら。
レオンはその姿を見ていた。
(まただ)
(誰かを守る郁)
思わず笑みが零れる。
(……かっこいい)
敵は数分で制圧された。
――――――
任務を終え、公邸の前。
エマは郁の手をぎゅっと握ったまま離そうとしなかった。
「イーク!」
「今日はありがとう!」
郁は優しく微笑む。
「こちらこそ」
「エマさん、とても頑張りましたね」
エマは照れたように笑う。
「えへへ!」
そして。
何かを思い付いたように目を輝かせた。
「イークお兄ちゃん!」
「うん?」
「私!」
「大きくなったら、お嫁さんになる!」
「…………」
一瞬。
時間が止まる。
郁は目を丸くした。
「えっ!?」
マルコは吹き出しそうになる。
ノアは静かに目を閉じた。
その時だった。
レオンがエマの前へしゃがみ込み、優しく微笑む。
「ごめんね」
エマは首を傾げる。
「?」
レオンは穏やかな笑顔のまま言った。
「イークは」
「予約済みなんだ」
「…………」
数秒の沈黙。
郁の顔が一気に真っ赤になる。
「ボス!!」
レオンは何事もなかったかのように笑っている。
「本当だから」
「も、もう!」
「子ども相手に何言ってるんですか!」
マルコが腹を抱えて笑い出した。
「言ったーーー!!」
「とうとう言ったぞ、この人!」
ヴィクトルも無線越しに珍しく声を出して笑う。
『ふふっ……。公言しましたね』
ルカは『宣言』
ノアはため息混じりに腕を組んだ。
「止まらないな」
エマだけは状況が分かっていない。
「予約?」
「レストランみたい!」
全員が吹き出した。
「違う違う!」
郁は慌てて否定する。
「そんな予約ありません!」
レオンは隣でにこりと笑った。
「ボス!!」
郁は恥ずかしさのあまり顔を両手で隠してしまう。
エマはそんな二人を交互に見て。
「あっ!」
何かを察したようににっこり笑った。
「じゃあ!」
「イークお兄ちゃんが幸せならいい!」
そう言って郁へぎゅっと抱きつく。
そこへ、一人の男性が歩いてきた。
大統領、アルベルト・ロマーノだった。
威厳のある表情だったが、娘を見る目は優しい。
「エマ」
「無事でよかった」
「お父さん!」
「イークがね!」
「私を守ってくれたの!」
大統領は郁へ歩み寄る。
「君が郁君か」
「娘から話は聞いた」
「娘を守ってくれて、本当にありがとう」
郁は静かに頭を下げた。
「仕事ですから」
大統領は満足そうに頷く。
「それでも」
「感謝する」
エマは帰り際まで手を振り続けた。
「またね!」
「イーク!」
「絶対また会おうね!」
郁も笑顔で手を振り返す。
「はい」
「また会いましょう」
エマは大きく手を振りながら、公邸の中へ走っていく。
その後ろ姿を見送りながら。
マルコはレオンの肩を叩いた。
「ボス」
「さすがに今日のは強かったな」
レオンはきょとんと首を傾げる。
「そう?」
「うん」
「でも」
レオンは郁をちらりと見て、優しく笑った。
「本気だから」
郁は真っ赤なまま固まる。
「ほ、本当に!」
「そういうこと言うのやめてください!」
「仕事中です!」
レオンは楽しそうに笑う。
「もう終わったよ」
「……!」
「それに」
「口説くって約束したから」
郁はもう何も言えず、真っ赤なまま俯いた。
「もう……」
「ボスには勝てません……」
マルコが吹き出す。
「それ認めてねぇ?」
「違います!」
「話が通じないって意味です!」
「はははは!」
車の前で笑い声が響いた。
レオンは満足そうに頷く。
「まあ」
「返事は待つけどね」
その一言に。
郁は顔を上げる。
レオンはいつもの優しい笑顔だった。
「ゆっくり考えて」
「俺は急がない」
「……」
郁は少しだけ安心したように息を吐く。
「ありがとうございます」
レオンはにこりと笑う。
「その代わり」
「口説くのはやめない」
「ボス!」
また笑いが起こった。
――――――
車へ戻る。
運転席にはノア。
助手席にはレオン。
後部座席には郁とマルコ。
しばらく静かな時間が流れた。
レオンがふと振り返る。
「郁」
「はい」
「今日も」
優しく笑う。
「かっこよかった」
郁は照れたように笑う。
「またですか」
「本当だから」
「子どもを守る時」
「一切迷いがなかった」
郁は窓の外を見ながら、小さく笑う。
「昔」
「私も誘拐されそうになったことがあるので」
全員が郁を見る。
「だから」
「もう二度と」
「あんな思いをする子は見たくないんです」
車内が静かになる。
レオンは静かに頷いた。
「うん」
「だから君は」
「やっぱり」
「かっこいい」
郁は照れながらも、小さく笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔を見ながら。
レオンは心の中で呟く。
(……今日も更新)
(また好きになった)
マルコはその横顔を見て笑う。
「ボス」
「また更新した?」
レオンは隠すことなく頷いた。
「うん」
「今日も好き」
マルコは頭を抱える。
「毎日更新してんなぁ!」
ノアは苦笑する。
「重症だ」
ルカから無線が入る。
『順調?』
マルコが笑いながら返す。
「任務は成功!」
「ボスは恋が進行中!」
『……順調』
通信が切れる。
郁はそのやり取りを聞きながら、小さく首を傾げた。
「……?」
何のことだろう。
そう思ったものの、聞くほどでもないかと考え直す。
窓の外へ視線を戻すと、夕焼けがゆっくりと街を染めていた。
一方、幹部たちはそんな郁を見て、小さく笑い合う。
その意味を知るのは、もう少し先の話だった。




