第41話 一直線
翌朝。
昨日の誕生日会が嘘のように、屋敷はいつもの朝を迎えていた。
郁もいつも通りノアとの訓練を終え、午前中の仕事を片付ける。
午後には幹部会。
敵組織の動きや護衛任務について話し合い、会議は予定通り終わった。
「以上です」
ヴィクトルが資料を閉じる。
「今日はこれで終わりにしよう」
レオンの言葉に、張り詰めていた空気がふっと和らいだ。
マルコが大きく伸びをする。
「あー!」
「昨日は楽しかったな!」
郁も自然と笑顔になる。
「はい」
「ありがとうございました」
ヴィクトルが穏やかに微笑む。
「郁」
「しばらくお酒はレオンと一緒にノンアルコールですね」
郁は申し訳なさそうに頭を下げた。
「昨日はご迷惑をおかけしてしまって……」
「すみませんでした」
ノアは首を横に振る。
「迷惑じゃない」
「ただ」
「酒は向いてない」
ルカも静かに頷く。
「同意」
「頭」
「痛くない?」
「大丈夫です」
「よかった」
ルカは安心したように頷いた。
するとマルコが思い出したように笑う。
「でもさ」
「昨日の郁」
「めちゃくちゃ可愛かったよな」
郁の肩がぴくっと跳ねる。
「えっ」
レオンは何の迷いもなく頷いた。
「うん」
「可愛かった」
「……!」
郁は一瞬で真っ赤になる。
「だ、だから!」
「からかわないでください!」
レオンは不思議そうに首を傾げた。
「からかってないよ」
「本当に可愛いと思ったから」
「~~~~っ!」
郁は両手で顔を隠してしまう。
「恥ずかしいです……」
マルコたちは顔を見合わせた。
(また始まった)
そんな空気が流れる。
すると。
レオンが郁をまっすぐ見つめた。
「郁」
「……はい」
郁は恐る恐る顔を上げる。
レオンは穏やかに笑った。
「昨日」
「一つ決めたことがある」
「?」
「俺」
一呼吸置く。
「郁のことが好き」
「…………」
部屋の時間が止まった。
「だから」
「ちゃんと口説くことにした」
「…………え?」
郁は完全に固まる。
マルコが勢いよく立ち上がった。
「ちょっ!」
「ボス!」
「いきなりすぎるだろ!」
ヴィクトルも珍しく目を丸くしている。
「まさか宣言されるとは……」
ルカはぽつりと呟いた。
「早い」
ノアだけはコーヒーを飲みながら小さくため息をつく。
「……やっぱり」
レオンはきょとんとした。
「変だった?」
「変とかじゃねぇ!」
マルコが頭を抱える。
「普通もっと段階がある!」
「そう?」
レオンは本気で分かっていない様子だった。
「昨日考えたんだ」
「郁は可愛いし」
「それだけじゃなくて」
郁を見る。
「誰かのために泣けるところも」
「自分より人を守ろうとするところも」
「困っている人を放っておけないところも」
「全部」
「かっこいい」
郁は言葉を失う。
「俺」
「そういう郁が好きになった」
静かな声だった。
でも。
一つ一つの言葉に迷いはない。
「郁」
「返事は今じゃなくていい」
「半年でも」
「一年でも待つ」
郁はようやく声を絞り出した。
「ボ、ボス……」
「その代わり」
レオンはいつものように優しく笑う。
「これからは遠慮しない」
「ちゃんと口説く」
「だから」
「覚悟してね」
「えぇぇぇっ!?」
郁は顔を真っ赤にしたまま立ち上がる。
「む、無理です!」
「そんな急に!」
「まだ心の準備が……!」
レオンは笑う。
「うん」
「ゆっくりでいい」
「でも」
「好きって気持ちは隠さない」
マルコは頭を抱えたまま笑った。
「終わったな」
ヴィクトルが苦笑する。
「ええ」
「もう止まりませんね」
ルカが小さく頷く。
「一直線」
ノアはコーヒーカップを置き、郁を見た。
「郁」
「頑張れ」
「……え?」
「相手」
「結構重いぞ」
その一言で、部屋中が笑いに包まれた。
郁だけは最後まで真っ赤なまま。
何が起きたのか理解しきれず、耳元のピアスへそっと触れるしかなかった。
一方のレオンは。
そんな郁を見て、満足そうに微笑んでいた。
――――――
その夜。
執務室には、レオンとノアだけが残っていた。
書類を片付けながら、ノアがふと口を開く。
「レオン」
プライベートのときの呼び方だった。
「ん?」
「思えば」
一拍置く。
「最初からだったんじゃないか」
レオンは手を止める。
「何が?」
「郁を生かすと決めた日」
ノアは静かにレオンを見た。
「あの時、俺たちは『勘』としか聞いてない」
「本当に、ただの勘だったのか?」
レオンは記憶を辿るように、視線を宙へ向けた。
初めて執務室へ落ちてきた郁。
銃口を向けられても、目を逸らさなかったこと。
処分するかと問われても、取り乱さなかったこと。
――面白いね、お前。
あの時、確かにそう笑った。
「……さあ」
「分からない」
正直な答えだった。
ノアは小さく笑う。
「珍しく、歯切れが悪いな」
「うるさいな」
レオンは苦笑して、頬杖をつく。
しばらく黙ったあと、ぽつりとこぼした。
「でも」
「言われてみれば」
あの日から、目が離せなかった気がする。
死ぬ覚悟をしながらも、生きることを諦めない目。
あの目を、忘れたことは一度もなかった。
「……そうだったのかもな」
小さな呟きだった。
ノアは何も言わず、コーヒーを一口飲んだ。
その横顔には、確信めいた笑みが浮かんでいた。
――こうして。
レオンの「本気のアプローチ」が始まった。




