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マフィアのボスが私を男だと思っている。  作者: puni0023
第一章 ヴィンチェンティ・ファミリー

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第32話 夢

レオンが病室を後にしてから、しばらく。


郁は本当に久しぶりに穏やかな気持ちで目を閉じた。


窓から差し込む午後の日差しが暖かい。


意識がゆっくりと沈んでいく。


――気が付くと。


真っ白な世界に立っていた。


空も。


地面も。


何もない。


「……ここは」


その時。


遠くから、小さな足音が聞こえた。


コツ。


コツ。


ゆっくりと近付いてくる。


郁は目を見開いた。


「……あなた」


白いワンピースを着た少女。


長い黒髪。


どこか不気味な笑み。


前世で。


交通事故の直前。


自分が助けた少女だった。


少女は郁の前まで来ると、笑わなかった。


ただ。


本当に申し訳なさそうに頭を下げる。


「……ごめんね」


郁は思わず一歩近付く。


「待って!」


少女はゆっくり顔を上げた。


その瞳は涙で濡れていた。


「私」


「ずっと謝りたかった」


「……?」


少女は静かに話し始める。


「私は」


「世界と世界の狭間に縛られていたの」


郁は息を呑む。


「どこにも行けなくて」


「誰にも見つけてもらえなくて」


「何百年も」


「ずっと」


少女は寂しそうに笑った。


「でも」


「郁が私の代わりになってくれた」


「だから」


「私は解放された」


郁は固まる。


「……え」


少女は目を伏せる。


「利用したの」


「あなたを」


静かな言葉だった。


「本当に、ごめん」


郁は何も言えない。


少女は続ける。


「でも」


「それだけじゃ終われなかった」


少しだけ笑う。


「だから」


「今度は私が助けた」


「……助けた?」


「うん」


少女は頷く。


「あの時」


「銃で撃たれた時」


「本当なら」


「もっと深く入ってた」


「少しだけ」


「ずらしたの」


郁は自分の胸へ手を当てる。


「……」


少女は優しく微笑んだ。


「あとね」


一歩近付く。


「あなたを」


「一番必要としてくれる世界へ送った」


郁は目を見開く。


「だから」


少女は少しだけ悪戯っぽく笑う。


「おあいこ」


その笑顔は。


事故の日の不気味な笑みではなかった。


年相応の。


少し照れくさそうな笑顔だった。


少女の身体が少しずつ光になっていく。


「待って!」


郁は手を伸ばす。


「あなたの名前は!?」


少女は振り返る。


少しだけ笑う。


「もう」


「大丈夫だから」


「幸せになってね」


その言葉だけを残し。


少女は光となって消えた。


「待って!」


郁が叫んだ瞬間。


――――――


コンコン。


病室の扉を叩く音が響いた。


郁はゆっくり目を開ける。


夢だった。


胸はまだ少し早く上下している。


「入る」


聞き慣れた低い声。


ノアだった。


両腕いっぱいに本を抱えている。


医学書。


歴史書。


小説。


辞典まで混ざっている。


郁は思わず目を丸くした。


「……そんなに」


ノアはベッドの横へ本を積み上げる。


「ボスが」


「全部持っていけって」


郁は思わず笑った。


「ボスらしいですね」


ノアはようやく郁の顔を見る。


そして。


ほんの少しだけ。


肩の力を抜いた。


「……よかった」


その一言だった。


郁は首を傾げる。


「?」


ノアは視線を逸らす。


「目が覚めて」


「安心した」


短い言葉。


でも。


ノアがそんなことを口にするのは珍しかった。


郁は少しだけ笑う。


「ご心配をおかけしました」


ノアは鼻を鳴らす。


「本当に」


「心配した」


郁は思わず目を丸くする。


ノアは照れ隠しをするように机へ視線を向けた。


「だから」


「もう」


「無茶はするな」


郁は静かに頷く。


「……はい」


ノアは山積みになった本を指差した。


「全部読むまで」


「退院禁止だ」


「えぇっ!?」


郁は思わず笑う。


「それ、一生退院できませんよ」


病室に。


久しぶりの笑い声が響いた。


――――――


夕暮れ。


ノアは屋敷へ戻ってきた。


玄関の扉を開ける。


ヴィクトルが帳簿を片付けながら顔を上げた。


「お帰りなさい」


「ああ、ただいま」


レオンはふとノアを見る。


「郁、どうだった?」


その一言だった。


ノアは少しだけ目を細める。


「本を見た瞬間」


「嬉しそうに笑ってた」


レオンも自然と笑う。


「そっか」


「よかった」


その笑顔を見て。


ノアはコーヒーを一口飲む。


「……」


レオンは執務室へ向かおうと歩き出す。


ノアが静かに口を開いた。


「レオン」


プライベートのときの呼び方だった。


「ん?」


「一つ聞く」


レオンが振り返る。


ノアは真っ直ぐ見た。


「もし」


「今日撃たれたのが俺だったら」


「三日も病院にいたか?」


レオンは少し考える。


「……」


答えが出ない。


ノアは続ける。


「仕事」


「病院へ持ち込んだ」


「毎日付き添った」


「寝不足」


「飯も適当」


「全部」


「郁だからだ」


レオンは苦笑した。


「君だって心配してたじゃない」


「した」


ノアはあっさり認める。


「部下だから」


「俺は全員心配する」


レオンも頷く。


「俺も同じだよ」


「違う」


ノアは即答した。


「俺は」


「心配はした」


「でも」


「仕事は止めない」


「病院にも毎日は行かない」


「お前は違った」


レオンは困ったように笑う。


「それは……」


「ボスだから」


ノアは小さく首を振る。


「違う」


少し間を置く。


「無自覚か」


「?」


レオンは首を傾げる。


ノアはコーヒーカップを置いた。


「郁のことになると」


「お前」


「冷静じゃない」


「そんなことないよ」


レオンは笑って否定する。


ノアはレオンを見つめたまま。


「じゃあ聞く」


「郁」


「優秀か?」


レオンは何も考えず答えた。


「うん」


「素直だし」


「努力家だし」


「人を支えるのがうまい、放っておけないし」


「可愛いよ」


そこまで言って。


レオンは止まる。


「……」


ノアは少しだけ口元を緩めた。


「今」


「自分で言った」


「え?」


「……何を?」


本気で分かっていない。


ノアは肩をすくめる。


「まあいい」


「そのうち気付く」


そう言って立ち上がる。


「今日は寝ろ」


「寝不足だ」


レオンは首を傾げたまま執務室へ向かう。


「……何だったんだ?」


本気で分かっていない。


その背中を見送りながら。


ノアは小さく笑った。


「……鈍い」


誰にも聞こえないほど小さな独り言だった。

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