第25話 星空の下で
ニコがいなくなってから、一週間が過ぎた。
郁は毎日、変わらず仕事をしていた。
朝はノアとの訓練。
昼は幹部たちの仕事の補助や任務。
夜は自主練習。
誰よりも真面目に働いた。
笑顔も見せる。
返事もする。
仕事で失敗もしない。
けれど。
以前のように笑うことは、少なくなっていた。
「郁、大丈夫か?」
マルコが何度も声を掛ける。
「はい」
郁は笑って答える。
「大丈夫です」
その笑顔は、どこか無理をしていた。
部下たちも気付いていた。
「……仕方ないよな」
「あいつ、一番仲良かったもんな」
誰も無理に元気づけようとはしなかった。
ただ、いつもより少しだけ優しく接していた。
その夜。
自主練習を終えた郁は、図書室へは向かわなかった。
最近は本を開いても、一文字も頭へ入ってこない。
代わりに屋敷の庭へ出る。
夜風が心地よかった。
芝生へ腰を下ろし、静かに夜空を見上げる。
星が綺麗だった。
「……」
何も考えたくない。
でも。
目を閉じると、あの日の光景が浮かぶ。
笑っていたニコ。
銃声。
倒れる姿。
何度も。
何度も繰り返す。
「眠れない?」
隣から穏やかな声が聞こえた。
振り向くと、レオンがコーヒーを片手に立っていた。
「ボス……」
「隣、いい?」
「もちろんです」
レオンは郁の隣へ腰を下ろす。
二人で夜空を見上げる。
しばらく誰も話さなかった。
風だけが静かに吹いている。
やがてレオンが口を開いた。
「最近」
「図書室に来ないね」
郁は少しだけ笑った。
「気付いてたんですね」
「うん」
「郁、よく夜に本を読んでたから」
郁は空を見上げたまま、小さく頷く。
「……目を閉じると」
一度言葉が止まる。
「考えちゃうんです」
「ニコのこと」
「だから眠れなくて」
「本を読もうとしても」
「今日は何ページ読んだのかも分からなくなっちゃって」
少し笑おうとした。
でも笑えなかった。
「こんなの」
「初めてです」
それは郁が初めて見せた弱音だった。
レオンは静かに頷く。
「そっか」
それ以上は何も言わない。
慰めることもしなかった。
ただ隣に座っていた。
しばらくして。
レオンが空を見上げたまま尋ねる。
「そういえば」
「ずっと聞こうと思ってたことがある」
郁はレオンを見る。
「郁は」
「本当はどこから来たの?」
郁は少し驚いた。
けれど。
もう隠そうとは思わなかった。
ゆっくりと話し始める。
自分が元々いた、こことは違う世界のこと。
日本という国。
家族。
大学。
医者になるために勉強していたこと。
事故。
目が覚めたら、この世界へ来ていたこと。
全部。
静かな夜の中で話した。
レオンは一度も遮らなかった。
最後まで黙って聞いていた。
話し終えると。
郁は少し苦笑する。
「……信じられませんよね」
レオンは即座に首を横へ振った。
「信じるよ」
郁は目を丸くする。
「え……」
レオンは優しく笑う。
「もう」
「郁がそんな嘘をつく子じゃないって知ってるから」
その一言だけで十分だった。
郁の胸が少しだけ温かくなる。
レオンは静かに尋ねた。
「元の世界へ」
「帰りたい?」
郁は迷わなかった。
「……帰りたいです」
静かな返事だった。
「向こうでは」
「人を殺すことも」
「殺されることもありません」
「お父さんと、お母さんがいて」
「友達もいて」
「私は医者になるために勉強していました」
少し笑う。
「将来は」
「人を助ける人になりたかったんです」
レオンは黙って聞いている。
郁は空を見上げた。
「だから」
「今でも帰りたいです」
一拍置く。
「でも」
「ここが嫌いなわけじゃないんです」
レオンが郁を見る。
「みんな優しい」
「ノアさんも」
「ヴィクトルさんも」
「マルコさんも」
「ルカも」
少し笑う。
「ボスも」
「本当に優しくしてくれました」
その笑顔が少しだけ崩れる。
「だから」
「余計につらいんです」
声が震えた。
「大切な人ができて」
「その人が目の前でいなくなるなんて……」
言葉が続かない。
ぽろり、と涙が零れた。
「もう」
「誰もいなくならないでほしい……」
その願いは、小さく夜空へ溶けていった。
レオンは何も言わない。
ただ、そっと郁の隣へ寄る。
肩が少しだけ触れる距離。
慰めの言葉は掛けなかった。
その代わり、静かに隣にいてくれた。
郁も何も言わない。
ただ、隣にいる温もりだけを感じていた。
夜空には、今日も変わらず星が輝いていた。




