第21話 深まる違和感
夕食を終えた食堂は、今日も賑やかだった。
「おい! 俺のプリン知らねぇ?」
「また勝手に食べたでしょ」
「知らねぇって」
ヴィクトルがため息をつく。
「口の端にクリームが付いていますよ」
「……」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、食堂中が笑いに包まれた。
「ばれた?」
「当たり前です」
「また給料から引いときます」
「えぇぇ!?」
部下たちは腹を抱えて笑う。
郁も思わず吹き出した。
「毎日こんな感じですね」
隣のニコが笑う。
「うるさいけど」
「悪くないだろ?」
郁は頷く。
「うん」
視線を向ける。
レオンは書類を読みながら静かにコーヒーを飲んでいる。
マルコは部下と笑い合い。
ヴィクトルは呆れながらも、どこか楽しそうだ。
誰も怒鳴らない。
誰も怯えていない。
穏やかで、温かい時間。
その光景を見つめながら、ニコは小さく息を吐いた。
「……いいなぁ」
「え?」
郁が振り向く。
ニコは少しだけ困ったように笑った。
「俺さ」
一拍置いて、小さく呟く。
「ここで生まれたかったな」
「……」
郁は意味が分からず首を傾げる。
「どういうこと?」
ニコは肩をすくめる。
「なんでもない」
すぐにいつもの笑顔へ戻る。
「ほら」
「明日も訓練だろ?」
「早く寝ないとノアさんに怒られる」
「そうだね」
二人は席を立った。
その時の郁は、まだ知らなかった。
あの言葉が。
誰にも言えなかったニコの本音だったことを。
部屋へ戻ろうとした、その時だった。
「郁」
後ろからヴィクトルに呼び止められる。
「はい」
「申し訳ありません」
「この書類をレオンへ届けてもらえますか」
「私は少し手が離せなくて」
「もちろんです」
郁は書類を受け取り、執務室へ向かった。
書類を届け、部屋を出る。
夜の屋敷は昼間とは違い静かだった。
窓から月明かりが差し込んでいる。
その時。
ふと中庭へ目がいった。
「……」
人影。
黒い上着。
見慣れた背中。
(ニコ……?)
郁は思わず足を止めた。
ニコは辺りを見回す。
誰もいないことを確認すると、静かに裏門へ向かって歩き始めた。
(こんな時間に……)
何か用事だろうか。
そう思った。
でも。
どこか様子がおかしい。
いつものニコなら、
「ちょっとコンビニ行ってくる!」
そんな風に笑って出ていくはずだ。
なのに今日は違う。
音を立てないように歩き。
何度も後ろを振り返っている。
胸の奥がざわついた。
郁は窓際へ近づく。
裏門の外。
暗闇の中に、一人の男が立っていた。
顔までは見えない。
ニコは立ち止まる。
二人は何か短く言葉を交わした。
そして。
男が小さな封筒を差し出す。
ニコはそれを受け取り、胸ポケットへしまった。
男は何事もなかったように闇へ消えていく。
ニコもしばらく立ち尽くしたあと、小さく俯いた。
その背中は。
さっきまで食堂で笑っていたニコとは、まるで別人のようだった。
「……」
郁は息をすることも忘れていた。
(何……今の)
偶然?
知り合い?
そう思おうとする。
でも。
頭の中に、ここ最近の出来事が浮かぶ。
市場。
初任務。
待ち伏せ。
書類の紛失。
レオンの言葉。
――最近、情報が漏れている可能性がある。
全部が一本の線になっていく。
「違う……」
小さく首を振る。
「違うよね……」
そう願う。
でも。
何度考えても。
同じ答えしか浮かばなかった。
その時、遠くからニコの足音が聞こえた。
郁は慌ててその場を離れる。
廊下の角を曲がる。
心臓の音だけが、やけに大きく響いていた。
部屋へ戻ると、ニコは数分後に何事もなかったように帰ってきた。
「ふぅ」
「ちょっと風に当たってきた!」
いつもの笑顔。
いつもの声。
「郁、まだ起きてた?」
郁はその笑顔を見つめる。
服を貸してくれた。
一緒に市場へ行った。
初めてできた友達。
そんな人が。
そんなはずがない。
そう思いたいのに。
胸の奥では、もう一人の自分が静かに答えを出していた。
郁は震える唇を押さえ、小さく呟いた。
「……本当に、ニコなんだ」
疑いはもう、疑いではなくなっていた。
確信だけが、静かに胸へ沈んでいく。




