第20話 違和感
朝。
訓練を終えた部下たちが会議室へ集められていた。
いつもより少しだけ空気が重い。
郁もニコの隣へ座る。
しばらくしてレオンが部屋へ入ってきた。
「みんな、お疲れ」
穏やかに笑う。
けれど、その表情は少しだけ真剣だった。
「今日は一つだけ」
「みんなに伝えておきたいことがある」
部屋が静かになる。
レオンは一枚の書類を机へ置いた。
「最近」
「こちらの動きを知っているような相手が増えている」
郁は思わず顔を上げる。
「市場」
「契約書」
「先日の襲撃」
「偶然とも考えた」
「でも」
一拍置く。
「情報が漏れている可能性がある」
部屋の空気が張り詰めた。
マルコも笑顔を消す。
ヴィクトルは静かに頷く。
ノアは腕を組んだまま何も言わない。
ニコも驚いたような顔をしていた。
「え……」
「じゃあ」
「裏切り者ってことですか?」
若い部下が不安そうに尋ねる。
レオンは首を横へ振った。
「まだ分からない」
「勘違いかもしれない」
「だから」
「誰も疑わないで」
その言葉に部下たちは顔を見合わせる。
「ただ」
「今まで以上に」
「情報管理だけは徹底してほしい」
「以上」
短い会議だった。
会議が終わると、ニコが笑った。
「やだねぇ」
「誰か裏切ってるなんて」
「ほんと」
郁も頷く。
「そうだね」
でも。
レオンの言葉が頭から離れなかった。
――――――
夜。
部屋には静かな空気が流れていた。
ニコは先にシャワーへ行き、郁は机へ向かう。
毎日の習慣。
今日の出来事をノートへ書き留める。
ノアに教わったこと。
仕事で覚えたこと。
気付いたこと。
忘れないように、一つひとつ書いていく。
ペンを走らせていると、ふと前のページが目に入った。
【初任務】
・ソフィア様へ書類を届ける。
・マルコさんと二人。
・途中で待ち伏せ。
・相手はこちらのルートを知っていた。
(……)
郁の手が止まる。
さらにページをめくる。
市場の日の記録だった。
【市場】
・市場では仕事の話はしない。
・情報は外へ漏らさない。
・市場は街の縮図。
人も、物も、情報も集まる。
郁は自然とページをめくる。
【ヴィクトル】
・契約書が見つからない。
・棚の下から発見。
【ノア】
・訓練予定表が移動。
・ニコ「掃除の時に棚へ置いた」
郁は静かにノートを閉じた。
「……」
偶然。
そう思っていた。
書類のしまい間違い。
予定表の移動。
待ち伏せ。
全部、偶然だと。
でも。
(本当に……?)
胸の奥がざわつく。
もう一度ノートを開く。
初任務のページ。
(あの日)
(書類を届けることを知っていたのは)
ボス。
マルコ。
そして自分。
……だけだった。
そこまで考えて、ふとその日のことを思い出す。
「郁」
「ソフィアは優しい奴だから緊張しないで大丈夫」
「契約書運ぶだけだ」
「はい」
何気ない会話だった。
隣ではニコが荷物を積みながら聞いていた。
(……)
郁はゆっくり息をのむ。
その会話。
待ち伏せ。
(まさか)
頭を横に振る。
「違う」
小さく呟く。
「そんなわけ……」
ページをめくる。
【気になったこと】
・待ち伏せ。
・契約書の紛失。
・訓練予定表の移動。
・最近ニコの外出が増えた。
・寝不足。
郁はペンを握る。
何かを書こうとして。
止まる。
迷う。
震える手で、小さく書いた。
ニコ?
書いた瞬間、心臓が強く鳴った。
「……」
「違う」
郁は慌てて横線を引く。
ニコ?
「違う……」
「ニコがそんなことするわけない」
服を貸してくれた。
一緒に笑った。
初めて友達になった人だ。
疑うなんて、おかしい。
そう言い聞かせる。
それでも。
ノートを見返しても。
何度考えても。
同じ結論へたどり着いてしまう。
その時だった。
「ただいまー!」
ニコがシャワーから戻ってきた。
髪をタオルで拭きながら、いつものように笑う。
「郁、まだ勉強してんの?」
「真面目すぎるって」
いつもの笑顔。
いつもの声。
いつものニコ。
郁はその顔を見つめる。
胸が締め付けられた。
(お願い)
(違うって言って)
声にはならなかった。
唇が小さく震える。
「……嘘でしょ」
その言葉は、小さすぎて誰にも届かなかった。
ニコは不思議そうに首を傾げる。
「ん?」
「何か言った?」
郁は慌てて笑顔を作る。
「ううん」
「何でもない」
「そっか!」
ニコは何も気付かないまま笑って、自分のベッドへ寝転んだ。
郁はノートを静かに閉じる。
けれど、その胸のざわめきだけは、どうしても消えなかった。




