第18話 市場
五か月が過ぎた頃。
朝の訓練を終えた郁は、汗を拭きながら食堂へ向かった。
朝食を食べ終えると、ノアが声を掛ける。
「郁」
「はい」
「今日はマルコの補佐だ」
郁は姿勢を正す。
「何をしますか?」
「市場へ行く」
「市場……ですか?」
「食材の仕入れ」
一拍置いて続ける。
「それと情報収集」
郁は少し首を傾げながらも頷いた。
「分かりました」
車庫へ向かうと、マルコとニコが待っていた。
「お、郁!」
「おはよー!」
「おはようございます」
ニコは荷台へ箱を積みながら笑う。
「今日は市場だ!」
「市場ですか?」
「うん!」
「俺、市場好きなんだよ!」
「食べ物がおいしいからだろ」
マルコが呆れたように笑う。
「もちろん!」
「あとおっちゃん達おもしれぇし!」
三人は笑いながら車へ乗り込んだ。
市場へ向かう車の中。
郁はふと気になって尋ねる。
「マルコさん」
「市場で情報収集って、どうやるんですか?」
マルコはハンドルを握ったまま笑う。
「市場ってさ」
「商人もいる」
「旅人もいる」
「地元の人もいる」
「いろんな人が集まるだろ?」
「はい」
「人が集まれば」
「噂も集まる」
郁は納得したように頷く。
「なるほど……」
「だから市場は情報屋の仕事場でもある」
「今日はその勉強」
「はい!」
三十分ほど走ると、大きな市場へ到着した。
活気ある掛け声が響く。
焼きたてのパンの香り。
色鮮やかな野菜。
果物。
肉。
魚。
市場全体が活気に包まれていた。
「マルコ!」
八百屋の店主が大きく手を振る。
「また来たな!」
「今日は新人連れてるのか?」
「そうそう」
マルコは郁の肩を軽く叩いた。
「郁」
「如月郁です」
「よろしくお願いします」
郁が頭を下げると、店主は豪快に笑う。
「礼儀正しいじゃねぇか!」
「マルコとは大違いだ!」
「おい!」
「失礼だな!」
市場に笑い声が響いた。
三人は店を回りながら食材を仕入れていく。
その間もマルコは自然に世間話をしていた。
「最近東地区どう?」
「ああ」
「最近は静かだな」
「代わりに南が少し騒がしい」
「へぇ」
「ありがと」
何気ない会話。
けれど郁は気付いた。
(今のも……)
(仕事なんだ)
市場の情報は新聞より早い。
人が集まる場所だからこそ、生きた情報が手に入る。
郁は一つ勉強になった。
両手いっぱいに荷物を抱えたニコが叫ぶ。
「重っ!」
「郁!」
「ちょっと持って!」
郁は笑いながら箱を受け取る。
「はい」
「助かったー!」
マルコが笑う。
「ちゃんと働け」
「働いてるって!」
一通り買い物を終えると、マルコが手を叩いた。
「よし!」
「仕事終了!」
ニコは待ってましたと言わんばかりに笑う。
「ジェラート!」
「絶対食う!」
マルコも嬉しそうに言う。
郁も思い出したように笑った。
「前は食べられませんでしたね」
「そうなの?なら今日はリベンジだな!」
三人は市場の人気店へ向かった。
ジェラートを受け取り、近くのベンチへ腰掛ける。
郁は一口食べると、思わず目を見開いた。
「おいしい……!」
「だろ!」
ニコが得意げに笑う。
「ここのピスタチオ最高なんだ!」
マルコも頷く。
「仕事終わりに食べるから余計うまい」
その時だった。
「泥棒!」
市場中に女性の叫び声が響く。
一人の少年がバッグを抱え、人混みを走り抜けていく。
郁は立ち上がった。
「行ってきます!」
迷いなく駆け出す。
マルコは止めない。
口元を少しだけ緩める。
「行け」
「郁なら追いつける」
ニコも笑って後を追う。
「俺たちも!」
――――――
路地裏。
郁は少年へ追いつき、腕をつかんだ。
「離して!」
「話を聞かせて」
「嫌だ!」
少年は必死にもがく。
そこへマルコたちも追いついた。
マルコは少年を見る。
痩せた体。
擦り切れた服。
少しだけため息をつく。
「腹減ってるのか?」
少年は何も答えない。
でも、お腹が小さく鳴った。
「……」
郁はしゃがみ込み、目線を合わせた。
「返そう」
「一緒に」
少年はゆっくりとバッグを差し出した。
バッグを持ち主へ返したあと。
マルコは屋台でパンを三つ買った。
一つを少年へ渡す。
「ほら」
「食え」
少年は戸惑う。
「……いいの?」
「いい」
「腹減ってんだろ」
少年は涙ぐみながらパンを受け取った。
「ありがとう……」
その姿を見ていた郁は、小さく呟く。
「……」
(まただ)
(この人たちは)
(人を助ける)
マフィア。
その言葉から想像していた人たちとは、あまりにも違っていた。
――――――
帰り道。
荷物を積み終えた車が屋敷へ向かって走る。
郁は窓の外を眺めながら呟いた。
「市場って……」
「買い物をするだけじゃないんですね」
マルコは笑う。
「市場は街の縮図」
「人も」
「物も」
「情報も」
「全部集まる」
「だから俺は市場が好きなんだ」
郁は静かに頷いた。
「勉強になりました」
するとニコが笑いながら口を挟む。
「いや!」
「一番大事なのはジェラート!」
「違うわ」
マルコが即座に突っ込む。
三人は顔を見合わせて笑った。
車は夕焼けに染まる街をゆっくり走っていく。




