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マフィアのボスが私を男だと思っている。  作者: puni0023
第一章 ヴィンチェンティ・ファミリー

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第14話 初任務

この世界へ来て、四か月が過ぎた。


朝の訓練を終えた郁は、汗を拭きながら執務室へ向かう。


コンコン。


「失礼します」


「お、郁」


レオンは書類から顔を上げると、いつもの笑顔を向けた。


「ちょうどよかった」


郁は姿勢を正す。


「はい」


レオンは椅子にもたれ、少し考えるように言う。


「郁」


「そろそろ任務、出てみようか」


その言葉に、郁は思わず目を丸くした。


「……私がですか?」


「うん」


レオンは頷く。


「仕事もできるし」


「訓練も頑張ってる」


「もう大丈夫でしょ」


郁は少し緊張したように背筋を伸ばした。


「ありがとうございます」


「でも安心して」


レオンは笑う。


「初めてだから危ない仕事じゃないよ」


「書類を届けるだけ」


「おつかいみたいなもの」


郁はほっと胸をなで下ろした。


「分かりました」


「よろしくお願いします」


その時、扉が開く。


「ボスー」


マルコがひょいと顔を出した。


「呼んだ?」


「うん」


レオンは頷く。


「郁と一緒に書類を届けてきて」


マルコは封筒を見るなり、にやっと笑った。


「あー」


「ソフィアのところか」


「久しぶりだな」


レオンは封筒を渡す。


「よろしく」


「はーい」


マルコは封筒を受け取ると、郁へ笑いかけた。


「んじゃ郁」


「初任務、行こうか」


「はい!」


屋敷の車庫。


黒いセダンの前でマルコが鍵を回しながら振り返る。


「そういや」


「運転できる?」


郁は少し困ったように笑った。


「あー……」


「前は持ってたんですけど」


「ここで使えるか分かりません」


マルコは首を傾げる。


「前って?」


「あ、日本では……です」


「なるほど」


マルコは納得したように頷く。


「じゃあこっちで取ればいいじゃん」


郁は一瞬だけ黙った。


「……」


「取れないかもしれません」


「ん?」


「そうなの?」


「ええ」


郁は苦笑する。


「事情がありまして」


それ以上は言わなかった。


もちろん本当の理由は違う。


(たぶん……)


(戸籍がないから)


そんなもの、この世界に存在するはずがない。


だから免許も、おそらく取得できない。


そう思っただけだった。


マルコは深く追及しなかった。


「まぁ」


「必要になったら考えればいいか」


「今日は俺が運転するし」


「はい」


郁は少しだけ安心したように笑う。


車がゆっくりと屋敷を出る。


街並みが窓の外を流れていく。


郁は外を眺めながら、小さく息をついた。


屋敷の外へ出たのはニコとの買い物以来。


この世界へ来て、四か月。


訓練と仕事に追われる毎日だった。


こうして落ち着いて街を見るのも初めてだった。


マルコはそんな郁の横顔を見て笑う。


「そんな珍しい?」


郁は少し照れくさそうに笑う。


「はい」


「外に出るのは二回目なので」


「そっか」


マルコはハンドルを握りながら言う。


「じゃあ今日は任務ついでに、この辺も少し案内してやるよ」


「え?」


「初任務のご褒美」


郁は思わず笑顔になる。


「ありがとうございます」


「はは」


「そんな固くなるなって」


「書類届けたら、美味いジェラートでも食べて帰ろうぜ」


「ボスには内緒な」


郁は少しだけ笑って答えた。


「秘密ですね」


「そうそう」


マルコは嬉しそうに笑う。


「それくらい肩の力抜いていこう」


初めての任務。


けれど、その始まりは郁が思っていたよりもずっと穏やかだった。


――――――


黒いセダンは街を静かに走っていた。


助手席の郁は、窓の外を眺めている。


見慣れない街並み。


市場。


カフェ。


石畳の道。


どれも新鮮だった。


「緊張してる?」


運転しながらマルコが笑う。


「少しだけです」


「まあ書類届けるだけだから」


「気楽に行こうぜ」


「はい」


しばらく穏やかな時間が流れる。


その時だった。


「郁」


「はい」


「クイズ」


「……クイズですか?」


「うん」


マルコはルームミラーを軽く指差した。


「後ろの車」


「何色?」


郁は一瞬きょとんとした。


「黒……です」


「うん」


「じゃあ」


「さっきの交差点にもいた?」


郁は思い返す。


「……いました」


「その前の信号は?」


「……いました」


「その前は?」


郁は少し考える。


走り出してからの景色を頭の中で巻き戻す。


「……いました」


マルコは口元を緩めた。


「正解」


「つけられてる」


郁は思わずルームミラーを見る。


確かに。


一定の距離を保ったまま、黒い車が後ろを走っている。


「どうして分かったんですか?」


マルコは肩をすくめる。


「情報屋はな」


「人より周りを見る仕事だから」


「車も、人も」


「いつもと違うものを見逃さない」


郁は小さく頷く。


「なるほど……」


「だからクイズ」


マルコは笑う。


「俺が答え教えるより、自分で気付いた方が忘れないだろ?」


郁も自然と笑った。


「確かに」


「勉強になります」


「だろ?」


その瞬間だった。


マルコの表情が変わる。


「郁」


「かがめ!」


バンッ!!


銃声が響き、助手席の窓ガラスが砕け散った。


「っ!」


車が大きく揺れた。


マルコは素早くハンドルを切り、体勢を立て直す。


「チッ……」


「撃ってきたか」


郁は頭を下げたまま息を整える。


「郁!」


マルコは車を大きく蛇行させながら叫んだ。


「郁!」


「はい!」


「クイズ第二問!」


「えっ!?」


郁は思わず聞き返す。


こんな状況で、まだクイズなのか。


マルコは真剣な顔のまま言った。


「後ろの車!」


「タイヤ撃てる?」


郁は一瞬だけ固まった。


「難易度上がりすぎです!」


「ははっ!」


マルコは笑う。


「そうだな!」


「でもやるしかねぇ!」


郁は深く息を吸う。


窓の外では風が強く吹いている。


車も走っている。


相手も動いている。


(落ち着け)


(肩の力を抜く)


(呼吸を止めない)


ノアの言葉が頭をよぎる。


「……やってみます」


「よし!」


マルコは車を少しだけ左へ寄せた。


郁は腰のホルスターへ手を伸ばす。


ノアから渡された、フィオレッタの拳銃を取り出す。


安全装置を外す。


窓を開ける。


狙いを定める。


風。


速度。


距離。


全部頭の中で計算する。


そして。


パンッ!


乾いた銃声が響いた。


一瞬遅れて。


ドォン!!


後続車のタイヤが破裂する。


車体が大きく蛇行し、ガードレールへ激突した。


「ナイス!」


マルコは思わず吹き出す。


「一発かよ!」


「俺のクイズ、満点じゃん!」


郁は銃を下ろし、小さく息を吐いた。


「……たまたまです」


「いやいや!」


「それを一発で当てるやついねぇって!」


――――――


マルコは片手でハンドルを握りながら、もう片方で無線を取った。


「こちらマルコ」


『どうした?』


レオンの落ち着いた声が返ってくる。


「発砲された」


「後続車を撃って行動不能にしてる」


「相手は徒歩で逃走中」


「このまま書類は届けに行く」


少し間が空く。


『了解』


『ノアとニコを向かわせる』


『怪我は?』


「無傷だよー」


『そう』


『また何かあったら報告して』


「ラジャー」


通信が切れた。


「ほら」


マルコが笑う。


「初任務なのに撃っちゃったな」


郁は苦笑した。


「おつかいじゃなかったですね」


「まあ」


「俺たちのおつかいなんてこんなもん」


三十分後。


大きな屋敷の門が開く。


「着いた」


「ここがソフィアの屋敷」


車を降りると、玄関から一人の女性が歩いてきた。


長い金色の髪。


凛とした美しさを持つ女性。


「あら」


「マルコじゃない」


ソフィアは郁を見る。


「かっこいい子」


「新しい子?」


「そうそう」


「郁だよ」


郁は一歩前へ出て頭を下げた。


「如月郁です」


「よろしくお願いします」


ソフィアは優しく微笑んだ。


「よろしくね」


マルコは封筒を郁へ渡す。


「郁」


「渡してあげて」


「はい」


郁は丁寧に両手で封筒を差し出す。


「お届けに参りました」


「ありがとうございます」


ソフィアは封を確認すると、ほっと笑った。


「助かったわ」


「早めに欲しかったの」


「よかったです」


その様子を見ていたマルコがにやりと笑う。


「郁」


「ちなみにこの人」


「ボスの元婚約者」


「……え?」


郁は思わず、頭の中でボスとソフィアを並べてしまった。


「お、お似合いですね」


ソフィアは吹き出した。


「違う違う」


「ただの契約よ」


「お互い都合がよかっただけ」


「今は好きな人もいるんだから、変なこと言わないで」


「はいはい」


マルコが笑う。


ソフィアは郁へ優しく微笑んだ。


「また来てね」


「郁」


「はい」


「マルコも」


「気を付けて帰るのよ」


「はーい」


帰り道。


車の中は静かだった。


しばらくしてマルコが笑う。


「ジェラート」


「また今度だな」


郁も少し笑う。


「ですね」


少し間が空く。


郁は窓の外を見ながら口を開いた。


「一つ聞いてもいいですか?」


「ん?」


「書類だけなのに……」


「どうして狙われたんですか?」


マルコは「ああ」と頷く。


「あれ」


「権利書」


「……権利書?」


「うん」


「価値で言えば」


「一億くらい」


「…………」


郁の思考が止まる。


「……一億?」


「そ」


「一億運んでたから狙われたってわけ」


マルコは笑いながらハンドルを回した。


「ボス、おつかいって言ってたじゃないですか……」


郁は呆然と呟く。


「俺たちからしたら」


マルコは肩をすくめた。


「これくらい普通だから」


郁は窓の外を見つめながら、小さくため息をついた。


(ボスの“おつかい”……)


(全然、おつかいじゃない……)


――――――


屋敷へ戻ると、レオンが玄関で待っていた。


「おかえり」


穏やかな笑顔で二人を迎える。


「ご苦労様」


「大変だったね」


郁は思わずレオンを見る。


「ボス……」


「ん?」


「一億は、おつかいじゃないです」


一瞬の静寂。


マルコが吹き出した。


「ははは!」


「やっぱそこ引っ掛かるよな!」


レオンはきょとんとしたあと、くすっと笑う。


「そう?」


「俺たちからしたら、おつかいだけど」


郁は思わず肩を落とした。


「感覚がおかしいです……」


レオンは楽しそうに笑う。


「でも」


「初任務にしては上出来だったじゃん」


「タイヤを一発で抜いたって聞いたよ」


郁は少し照れたように笑う。


「ありがとうございます」


レオンは満足そうに頷いた。


「今日はゆっくり休んで」


「はい」


初任務。


それは郁にとって、マフィアの“普通”を知る一日でもあった。

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