↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マフィアのボスが私を男だと思っている。  作者: puni0023
第一章 ヴィンチェンティ・ファミリー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/77

第11話 初めての手料理

この世界へ来て、ひと月が経った。


朝は走り、訓練を受け、日中は幹部たちの補佐へ入る。


そんな毎日に、身体はすっかり馴染んでいた。


任務には、まだ出ていない。


それでも屋敷の中に、郁の居場所は確かにできつつあった。


――――――


午前の訓練を終えた郁は、汗を拭きながらヴィクトルの部屋へ向かった。


コンコン。


「失礼します」


「どうぞ」


ヴィクトルは穏やかに微笑む。


「今日もお願いします、郁」


「はい」


机には昨日と同じように領収書や帳簿が積まれていた。


郁は席へ座ると、一枚ずつ丁寧に確認していく。


分からない箇所は必ず確認し、確認が終わればまた手を動かす。


静かな部屋には紙をめくる音だけが響いていた。


一時間ほど経った頃。


「終わりました」


ヴィクトルは帳簿へ目を通し、満足そうに頷く。


「ありがとうございます」


「やはり仕事が丁寧ですね」


郁は少し照れたように笑った。


「ありがとうございます」


その時、机の電話が鳴る。


「……はい」


ヴィクトルはしばらく話を聞いたあと、小さくため息をついた。


「分かりました」


電話を切る。


「困りましたね」


郁は首を傾げる。


「何かありましたか?」


「食堂の料理人がインフルエンザにかかったそうです」


「今日は来られないと」


「そうなんですね」


「ええ」


ヴィクトルは立ち上がった。


「今日は全員、外で食べてもらうしかありませんね」


そう言って厨房へ向かう。


郁も後ろをついていく。


冷蔵庫を開けたヴィクトルは困ったように眉を下げた。


「これは……」


中には今日使う予定だった大量の食材。


肉、魚、野菜。


どれも新鮮だった。


「部下も合わせると百人近くいます」


「今日の夕食用に仕入れた食材です」


「このままでは廃棄になってしまいます」


郁は冷蔵庫を見つめる。


少しだけ考えてから、静かに言った。


「……私」


「作りましょうか」


ヴィクトルが驚く。


「料理を、ですか?」


「はい」


「母が料理好きだったので」


「家庭料理くらいなら」


ヴィクトルは思わず苦笑した。


「百人分ですよ?」


郁も少し考える。


「……」


「やったことはありません」


ヴィクトルはやはり、と思う。


郁は見栄を張らない。


できないことは、ちゃんとできないと言う。


そのあと郁は小さく笑った。


「でも」


「計算すれば、何とかなると思います」


ヴィクトルは思わず笑みを浮かべた。


「……お願いします」


「はい!」


郁はエプロンを身につけ、大きな鍋を並べ始めた。


その様子を見つけたニコが目を丸くする。


「郁!」


「何してんの?」


「夕飯作る」


「……は?」


事情を聞いたニコは笑い出した。


「百人分!?」


「無理だろ!」


郁は鍋の大きさを確認しながら答える。


「たぶん」


「いける」


「“たぶん”って!」


ニコは頭を抱えた。


少し考えてから腕まくりをする。


「よし!」


「俺も手伝う!」


郁は驚く。


「いいの?」


「当たり前!」


「一人じゃ終わらねぇだろ!」


「俺、皮むきくらいならできる!」


郁は自然と笑った。


「ありがとう」


「助かる」


「任せろ!」


二人は並んで野菜を洗い始める。


じゃがいもの皮をむくニコ。


その隣で手際よく包丁を動かす郁。


そんな二人を見ていた部下たちが足を止めた。


「新人が料理してるぞ」


「しかも百人分」


「マジかよ」


そこへマルコがやってくる。


「何の騒ぎ……」


厨房を覗いた瞬間、固まった。


「え」


「郁」


「百人分作るの?」


「うん」


「……」


マルコは初日のやり取りを思い出す。


「『今度、何か作ってよ』とは言ったけどさ!」


「規模がおかしいって!」


「成り行きで」


「成り行きで百人分作るな!」


そう叫んだあと、マルコは踵を返した。


「ボス呼ぼ」


数分後。


レオンが笑いながら厨房へ入ってくる。


「何してるの?」


マルコが笑いながら説明する。


「ボス!」


「郁が百人分作るんだって!」


レオンは郁を見る。


「本当に?」


「はい」


「食材がもったいなかったので」


レオンは鍋を見つめる。


「足りそう?」


郁は材料を見ながら少しだけ計算する。


じゃがいも。


玉ねぎ。


肉。


鍋の容量。


頭の中で人数を割り出していく。


数秒後。


「たぶん」


「計算では大丈夫です」


レオンは思わず吹き出した。


「計算なんだ」


「はい」


「足りない方が困るので」


レオンは優しく笑う。


「郁らしいね」


――――――


厨房は次第に慌ただしくなっていった。


ニコはじゃがいもの皮をむきながら笑う。


「郁!」


「これ終わった!」


「次何すればいい?」


郁は大きな鍋へ目を向けながら答える。


「じゃあ玉ねぎお願い」


「了解!」


ニコは鼻歌を歌いながら玉ねぎへ手を伸ばした。


その様子を見ていたマルコが吹き出す。


「お前、完全に助手じゃん」


「うるせぇ!」


「今日は郁シェフだから!」


厨房には自然と笑い声が広がる。


するとその声を聞きつけた部下たちが次々と覗きに来た。


「何だ何だ?」


「お」


「新人が料理してる」


「しかも百人分?」


「マジか」


一人、また一人と人が増えていく。


ヴィクトルは苦笑しながら言った。


「皆さん」


「見ているだけなら邪魔になりますよ」


「手伝える方はお願いします」


その一言で部下たちは顔を見合わせる。


「じゃあ俺、皿並べます!」


「俺はご飯よそう!」


「俺、配膳します!」


「任せろ!」


厨房は一気に活気づいた。


郁は思わず目を丸くする。


「ありがとうございます」


するとマルコが笑う。


「百人分なんだから、一人でやらせるわけないだろ」


ニコも笑って頷く。


「そうそう!」


「困った時はみんなでやる!」


郁は少しだけ照れたように笑った。


「……うん」


「ありがとう」


煮込みの合間に、郁は味見用の小皿へ煮汁を少しだけ取った。


口へ運ぶ。


甘辛い、覚えのある味が舌へ広がった。


(……近い)


母が作る肉じゃがの味に、少しだけ。


(でも、まだ届かない)


作り方を何度聞いても、隣で見ていても、なぜか同じ味にはならなかった、あの味。


(いつか、届くのかな)


郁は小さく息をつき、鍋へ向き直った。


今は、百人分。


失敗はできない。


一時間後。


大鍋いっぱいの肉じゃがが完成した。


甘辛い香りが食堂いっぱいに広がる。


「うわぁ……」


「いい匂い」


「腹減った!」


部下たちが続々と食堂へ集まってくる。


長いテーブルが次々と埋まり、あっという間に満席になった。


百人近い部下たちが席へ着く。


最後にレオンが立ち上がる。


「今日は」


「郁がみんなのために作ってくれた」


食堂が静かになる。


郁は少し恥ずかしそうに頭を下げた。


「お口に合うか分かりませんが……」


「召し上がってください」


レオンは優しく笑う。


「じゃあ」


「いただきます」


「いただきます!」


百人近い声が一斉に響いた。


郁は少し離れた場所で、みんなの様子を見守っていた。


(どうだろう……)


最初に肉じゃがを口へ運んだ部下が目を見開く。


「……」


一瞬の静寂。


(やっぱり失敗したかな)


そう思った次の瞬間だった。


「うまっ!!」


一人の声をきっかけに、食堂中が一気に賑やかになる。


「マジでうまい!」


「何これ!」


「初めて食べた!」


「ご飯止まらねぇ!」


「おかわり!」


「あっ、おかわり俺も!」


あちこちから笑い声が上がる。


ニコは大きく手を挙げた。


「郁!」


「これ毎日食べたい!」


マルコも負けじと叫ぶ。


「週一で作って!」


部下たちも次々に声を上げる。


「新人!」


「また作ってくれ!」


「最高だった!」


「ありがとう!」


「あいつ料理屋できるだろ!」


「いや、嫁にほしいわ!」


「おいおい」


「残念だけど、あいつ男だぞ?」


「…………」


「……」


「それでもいい」


「お前そっちか!」


食堂中が大爆笑に包まれる。


郁は何がおかしいのか分からず、首を傾げる。


「……?」


ニコはお腹を抱えて笑っていた。


「はははは!」


「郁!」


「お前人気者だな!」


郁は困ったように笑う。


「そうなんでしょうか……」


マルコも笑いながら肩を叩く。


「料理うまい!」


「仕事できる!」


「顔もいい!」


「そりゃ人気出るわ!」


郁は照れくさそうに頬をかいた。


「ありがとうございます」


レオンはそんな様子を見ながら小さく笑う。


(……)


(みんな、もう郁を受け入れてる)


食事が終わる頃には、大鍋はきれいに空になっていた。


食堂を出る部下たちが次々と郁へ声を掛ける。


「ごちそうさま!」


「また作ってくれ!」


「最高だった!」


「ありがとう!」


郁は何度も頭を下げる。


「こちらこそ」


「ありがとうございます」


最後の一人が出ていくと、食堂には幹部たちだけが残った。


マルコは満腹そうに椅子へもたれかかる。


「いやー」


「うまかった!」


ヴィクトルも穏やかに微笑む。


「百人分を一人で考えたとは思えませんね」


「途中から皆さん手伝ってくださいました」


郁は笑う。


「一人だったら間に合わなかったです」


ニコは得意げに胸を張る。


「俺のおかげだな!」


「皮むきしかしてないだろ」


マルコが笑う。


「それが大事なんだよ!」


また笑いが起こる。


レオンはそんな様子を静かに見つめていた。


郁はもう、この屋敷へ来たばかりの“新人”ではない。


幹部も、部下たちも。


誰もが自然に郁を輪の中へ迎え入れていた。


その光景に、レオンは満足そうに微笑む。


(本当に……)


(いい拾い物をしたな)


――――――


二人で部屋へ帰った後、ニコは言う。


「やっぱり」


「みんなで食べる飯って、うまいよな」


郁は笑って頷く。


「うん」


ふと、リュックの奥で眠る写真のことを思い出した。


実家の夕食。


母の肉じゃがを、三人で囲んだ食卓。


(……こっちでも、ちゃんとやってるよ)


誰へともなく、心の中でそう報告して。


郁は今日一番の、柔らかな顔で笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。