第10話 隊長
翌朝。
朝日が差し込む訓練場には、すでに大勢の部下たちが集まっていた。
郁もニコと並び、整列する。
周囲を見回すと、昨日まで一緒に訓練していた顔ぶれ以外にも、見覚えのない部下が何人もいる。
(こんなにいたんだ……)
ざっと二十名ほど。
それぞれ体格も年齢も違う。
しかし、全員が同じ方向を見ていた。
その先には――ノア。
静かな空気が流れる。
ノアは部下全員を見渡し、短く口を開いた。
「整列」
「はい!」
二十人の声が揃う。
郁も慌てて返事をした。
「はい!」
ノアは小さく頷く。
「今日は実戦を想定した訓練を行う」
「郁」
「はい」
「今日は動くな」
「全体を見ろ」
「部隊の動きを覚えろ」
「分かりました」
郁は一歩下がった。
ニコが小声で笑う。
「今日は見学か」
「うん」
「勉強してくる」
「隊長、細かいからなぁ」
郁はノアを見る。
(隊長……)
部下たちがそう呼ぶ姿に、不思議としっくりきた。
「二人一組」
「始め」
その一言で空気が変わる。
一斉に組手が始まった。
郁は目を見張る。
(速い……)
昨日、自分が相手をしたニコも、今日は真剣な表情だった。
投げ。
受け身。
蹴り。
無駄な動きが一つもない。
すると。
「止め」
ノアの低い声が響く。
全員が一斉に止まった。
ノアは一組へ歩み寄る。
「肩に力が入っている」
「もっと腰を落とせ」
「はい!」
次の組へ。
「踏み込みが浅い」
「一歩目で勝負は決まる」
「はい!」
また別の組へ。
「受けた後、目を切るな」
「相手から視線を外すな」
「はい!」
郁はその様子を見つめていた。
(全員見てる……)
二十人近くいるのに、一人一人の癖を覚えている。
ただ強いだけじゃない。
教えるのも上手い。
だから皆がついていくのだと分かった。
「ニコ」
「はい!」
「また腕だけで投げたな」
ニコは肩をすくめる。
「ばれた?」
「腰を使え」
「何回言わせる」
「はい……」
周囲から小さな笑いが漏れる。
それでもノアは笑わない。
「もう一度」
「はい!」
郁は思わず口元を緩めた。
(ニコらしいな)
一時間後。
「郁」
「はい!」
「出ろ」
突然名前を呼ばれ、郁は驚く。
「ニコ」
「相手をしろ」
「えぇー!?」
ニコは大げさに肩を落とした。
「また俺ぇ?」
部下たちから笑いが起こる。
「頑張れー!」
「今回は勝てよ!」
「うるせぇ!」
ニコは苦笑いしながら構えた。
郁も礼をする。
「よろしく」
「よろしく!」
「始め」
ニコが先に踏み込む。
郁は冷静に受け流す。
以前より足運びが自然だった。
攻撃も迷いが少ない。
ニコの攻めは、前よりずっと鋭い。
それでも、郁はすぐには崩れなかった。
受けて、流して、立て直す。
長い攻防が続く。
そして。
ニコの踏み込みが、ほんのわずかに深くなった瞬間。
郁はその勢いを流し、体勢を崩した相手へ、きれいに一本を決めた。
「そこまで」
二人はすぐに距離を取り、一礼する。
「ありがとうございました」
ノアは二人を見る。
「ニコ」
「はい」
「前より良い」
「だが」
「最後、焦ったな」
「はい……」
続いて郁を見る。
「郁」
「はい」
「余計な力が抜けてきた」
「昨日より動きがいい」
郁は少し照れながら笑う。
「ありがとうございます」
ノアは短く頷いた。
「続けろ」
「はい!」
訓練が終わる。
「ありがとうございました!」
二十人の声が響く。
「解散」
――――――
訓練が終わり、部下たちは思い思いに休憩を始めた。
郁がベンチへ腰を下ろすと、ニコが缶コーヒーを二本持って近づいてくる。
「ほら」
一本を放り投げる。
郁は慌てて受け取った。
「ありがとう」
二人は缶を開け、しばらく無言でコーヒーを飲む。
柔らかな風がゆっくり吹き抜けた。
しばらくして、ニコがぽつりと呟く。
「ここさ」
郁が隣を見る。
「うん?」
ニコは訓練場を眺めながら、小さく笑った。
「いい場所なんだ」
「ボスはちゃんと部下を見てくれるし」
「隊長は厳しいけど、誰より面倒見がいい」
「マルコさんは毎日うるさいし」
「ヴィクトルさんは優しい」
「ルカさんも無口だけど、なんだかんだ面倒見いいし」
少し照れくさそうに笑う。
「俺、このファミリー好きなんだ」
郁も缶コーヒーを見つめながら頷く。
「うん」
「私もそう思う」
ニコは少しだけ安心したように笑った。
「……だよな」
少しだけ沈黙が流れる。
そして、空を見上げたまま静かに言う。
「だからさ」
「この場所が、このままずっと続けばいいのにな」
郁はその言葉を不思議に思った。
「続くんじゃないの?」
ニコは少しだけ笑う。
「そうだといいな」
「……世の中、思い通りにならないこともあるから」
郁は意味が分からず首を傾げた。
「そういうもの?」
「うん」
ニコは缶を両手で包んだまま、少しだけ口を開いた。
「……なあ、郁」
「ん?」
「…………」
数秒の沈黙。
風の音だけが、二人の間を通り過ぎていく。
やがてニコは、小さく首を振った。
「なんでもない」
そして郁の方を向き、いつもの笑顔に戻る。
「だから今を楽しんどけ!」
「後悔しないようにな!」
郁も笑った。
「うん」
「そうする」
ニコは缶コーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「よし!」
「午後も頑張るか!」
「うん!」
二人は並んで歩き出した。
――――――
夕方。
執務室。
レオンは書類から顔を上げる。
「ノア」
「郁はどう?」
ノアは短く答えた。
「順調だ」
「部隊にも馴染み始めた」
一拍置く。
「……見込みはある」
レオンは嬉しそうに笑う。
「そっか」
「良かった」
窓の外では、部下たちの笑い声が聞こえてくる。
その中には、郁の笑い声も混ざっていた。
レオンは静かに目を細める。
(少しずつ)
(居場所ができてきたね、郁)




