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三十五歳穀潰し、あえて危険な方へと走り出す




 質素きわまる飯をどうにか胃袋に流し込んだ後、今までの俺なら、軽いネットサーフィンをしつつ、冷房の効いた快適な部屋で心地よい午睡(昼寝)をキメるところだった。


 だが、ここは異世界。そんな贅沢が許されるはずもない。


 『働かざる者食うべからず』とは、元の世界でもよく聞いた言葉だ。しかし、まさかそれを文字通り、文字通りに実践させられる羽目になるとは……。


 いや、よくよく考えてみれば、元の世界だって「働くから給料がもらえて、メシが食えて、趣味で遊ぶことができる」わけだから、本質的には今とたいして変わらないのかもしれない。


 「……いや、変わるわ! 肉体労働の強度が違いすぎるだろ!」


 そんなセルフツッコミも虚しく、俺は食事が終わった後も、休む間もなく次の労働へと駆り出されていた。


 「ひぃ、ひぃ、ふぅ……ッ!」


 最早、ただの息切れなんだか、情けない悲鳴なんだかわからない引き攣った声が、自分の口からひっきりなしに漏れ出ていた。


 いま俺が直面しているのは、ずらりと並んだ丸太を前にしての『薪割り』だ。


 言うまでもないが、三十五年の人生で薪割りなんてしたことなんぞない。それどころか、クソ婆さんからも、手伝いの子供たちからも、斧の正しい振り方すら誰一人として説明してくれなかった。


 ただ作業場所を指差され、「これ、全部割っときな」と重い斧を渡されただけ。不親切とかいうレベルじゃねぇぞ、おい。


 しかし、これがこの過酷なファンタジー世界における『当たり前』なのかもしれない。郷に入っては郷に従え、ということわざもあることだし、大人しく従うのが──。


 「──って、やってられるかボケェッ!!」


 死ぬわ! 死んでしまうわ、コンコンチショウガー!


 なんだあの視界を遮るような薪の山は! 一人で、あんな何百本もある丸太を割ってられるかってんだ!


 俺は手にしていた斧を地面に放り投げ、贅肉の詰まった腰をどかりと地面に落とした。完全なるストライキ、もとい休憩である。


 「……はぁ。おぉ、空が高ぇな……」


 荒い呼吸を繰り返しながら、仰向けになって空を見上げる。そこには、地球の都会では滅多にお目にかかれないような、吸い込まれそうなほどに綺麗な青空が広がっていた。


 ふと、思い返す。


 こんなに、全身の筋肉が悲鳴をあげるほど働いたのは、一体いつ以来だろう。


 それこそ、じいさんばあさんが生きていて、畑の手伝いを無理やりさせられていた時くらいか……?


 流石にそんなことはないと思いたいが、じいさんたちが亡くなってニート生活を送り始めてからは、『働く』ということ自体を完全に忘却してきたからなぁ……。


 ただただ、無為に時間が過ぎていく。青空の眩しさに、俺はそっと細めた目を閉じた。


 閉じた目蓋の暗闇の裏側で、俺の意識は心地よく緩慢とし始めていた。


 先ほどまでの猛烈な暑さはどこへやら、緩やかに流れる風が汗ばんだ肌を優しく撫で、俺を極上の微睡みへと誘ってくれる。


 ああ、このまま寝ちまいたい。やっぱり昼寝は最高だ。


 ──その安穏を、最悪の衝撃が叩き壊した。


 『ドカァァァンッ!!』


 大地を震わせるような、凄まじい爆発音が俺の鼓膜を容赦なく刺激した。


 「爆発音ッ!?」


 俺は心臓を跳ね上がらせて慌てて飛び起き、周囲を鋭く見回した。


 しかし、俺がいる薪割り場には、何かが爆発したような煙も気配も感じられない。


 ズゥゥン……ッ!


 「──ッ! あっちか!?」


 二度目の振動。今度ははっきりと方向が分かった。救護院の敷地のさらに奥、あるいは裏手にある森のあたりだろうか。


 普通なら、ここで取るべき選択肢はふたつだ。


 安全な場所へ「逃げる」か。あるいはここで大人しく「隠れる」か。


 身を守るためにはその二択しかないはずだった。何せ俺は武器も魔法も持たない、ただの三十五歳の穀潰しなのだから。


 なのに、俺の足は、爆発音が響いた方角へとすでに走り出していた。


 バタバタと地面を蹴りながら、自分でも信じられない思いで自問自答する。なんで向かってんだ俺、危ねぇだろ!


 だけど、心のどこかで分かっていた。


 退屈で、無気力で、何も起きない毎日を十年間も繰り返してきた俺の魂が、この異常事態に激しく揺さぶられている。


 もしかしたら、あそこに行けば──。


 この何もない俺の人生が、ひっくり返るような『何か』が変わるモノがあるんじゃないかと、馬鹿みたいに期待してしまったのかもしれない。


 息を切らしながら、俺は茂みを掻き分けて音の源へと突き進んでいった。






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