お気楽極楽ゲームの終焉。カザン婆さんの異変と、おっさんがクズを演じ続ける理由
最近、夢を見るんだ。
……のどかな街に建つ一戸建てのマイホームで、俺には愛する嫁さんと可愛い子供がいて、3人で仲良く暮らしている夢。そこでの俺は、元の世界の引きこもり生活が嘘のように毎日毎日必死に汗水垂らして働き、家族を健気に養っている。
「……普通に幸せそうで良いじゃないか」
「幸せ!? どこがだ畜生めッ!!」
俺の愚痴に付き合わされている薪売り場のおっさんに向かって、俺は台車に薪を積み込みながら激昂した。
「確かに飯は毎食死ぬほど旨いし、至れり尽くせりの生活だよ! 客観的なデータだけ見れば幸せと言えば幸せだろうさ! だけどな、その夢の嫁さんがそこの覇王様なんだよ! それだけならまだしも、生まれてきた子供まで全員ミニサイズの覇王様なんだよ! 首の太さが丸太なんだよ! 毎朝『あなた、お仕事頑張ってね(物理的な重圧)』って見送られる俺の身にもなってみろ! もう何がなんだかわからねぇんだ……!」
俺は頭を抱えてガタガタと震えた。夢の中でまで外堀を埋められ、挙句の果てに覇王の遺伝子が100%発現した我が子に囲まれるとか、もはやホラー映画の上位互換である。
「俺はただ、普通に暮らしたいだけなんだ。『誰にも邪魔されないお気楽極楽引きこもりニート生活』を送りたいだけなのに……!」
「……俺にはお前がひどく間違った、人として終わってる考えをしてるとしか思えないぞ、イチロウ」
「ちくしょう! どうして誰も彼も俺がおかしいって言うんだよ! きっとネット民の奴らなら『働いたら負け』って俺に大賛成して、おっさん達を老害呼ばわりして叩いてくれるはずなのに……!」
「……それがどこのどいつらは知らないが。とにかく薪の積み込みは終わったんだ。早く帰ってくれ。こっちも仕事中なんだからな」
おっさんは冷たく言い放ち、手元の帳簿に目を落とした。
「少しは親身になって話を聞いてくれたって良いじゃないか!? 門番の兵士のおっさんも、魔狩人衆のおっさん連中も、どいつもこいつも俺の深刻な人生相談をまともに聞いてくれないんだからさぁ!」
「……俺もそいつら同様、まともには聞く気はないぞ。どう客観的に聞いても、お前が全面的に間違ってるんだからな」
「ちくしょう! みんな大人はそうやって正論で俺を殴るんだよ! 俺は悪くない! 楽して生きたいだけの俺は何も悪くないんだァアアアッッ!!!」
俺はそう血を吐くように叫び、薪売り場から凄まじい土煙を上げながら、怒りのパワー(強化)で荷車を猛然と引きずり、救護院への帰路についた。
「……一体どういう育てられ方をしたら、ああ言う大人に仕上がるんだろうな。親の顔が見てみたいわ」
薪売り場のおっさんは、凄まじい速度で去っていく一朗の背中と、不自然に巻き上がる土煙を呆然と見つめながら、ぽつりと哀れみの呟きを漏らすのだった。
いつもと変わらない、ここ最近ではすっかり日課となりつつある大人達とのやり取り。
元の世界のオタク知識を喚き散らし、バカをやりながらみっともなく喚いて生活すること――。それはある意味、俺がこの過酷な異世界にどうにか適応して生きていくために、自分自身に「ここはただのイージーなゲームの世界だ」と思い込ませようとしている、自己防衛の節があった。
だからこそ、俺はあまりにも身近にある冷徹な現実を、あえて忘れるようにしていた。
この世界には、病や老い、そして魔獣の脅威といった、人間の力では決して逃れられない最悪の出来事が、すぐ隣で確実に牙を剥いているということを……。
爆速で荷車を引いて救護院に帰ってきた俺は、運んできた薪をいつも通りの場所へと納めた。
少しだけ予定より早く仕事が終わった。この浮いた時間でどうにか婆さんの目を盗み、お気楽にサボる方法はないかと脳内でくだらない作戦を思案していた、その瞬間だった。
「院長先生っ!? 誰か! 誰かぁああーーーッ!!」
母屋の方から、裏庭まで突き抜けるような、子供の切羽詰まった悲鳴が響き渡った。
「――ッ!?」
その声を聞いた瞬間、心臓が泥水を流し込まれたように冷たく跳ね、全身から一気に血の気が引いていく感覚が俺を襲った。
それは、元の世界で両親や祖父母を次々と亡くし、あの誰もいない冷え切った家の中で、孤独な絶望に叩き落とされた時に感じた『あの感覚』と、酷いほどによく似ていた。
頭のてっぺんがジリジリと痺れるような錯覚。
俺は思考を放棄し、なりふり構わず声のする方へと猛然と走り出していた。自分を取り巻こうとする、あの不吉で、冷酷で、底知れない不安の感覚を、自らの足で無理やり振り払うかのように。
母屋に飛び込んだ俺の目に映ったのは、いつもの騒がしい日常とはかけ離れた、酷く静まり返った光景だった。
ベッドに横たわる、小さく見える婆さんの姿。
その傍らで、深刻な顔で診察を行う町の医者。
医者の手元をじっと見守り、今にも泣き出しそうな顔で心配そうに一歩引いた位置に集まっている子供たち。
そして――そんな彼らからさらに遠く離れた部屋の隅で、青白い顔のまま、ガタガタと震えそうになる手足を必死に押さえつけるようにして立ち尽くしている、マヌケな俺の姿があった。
医者の口が動き、何かを説明している。
だが、その声は俺の耳に全く届いてこない。脳が、心が、「それ以上は聞きたくない」と、現実の音を完全に遮断してしまっているかのようだった。
医者が一礼して下がると、子供たちが一斉に婆さんのベッドへと駆け寄った。
婆さんは子供たちを安心させるように、いつものように不敵な笑顔を作って見せる。だけど、ダメだ。どこかいつもの婆さんとは決定的に違う。その笑顔は、あまりにも弱々しく、今にも消えてしまいそうに儚かった。
医者が静かに帰っていく。俺はそれを引き留めることも、婆さんの元へ歩み寄ることもできず、ただただ、木偶の坊のようにその場に立ち尽くすことしかできなかった。
そんな俺の異変に気づいたのだろう。ベッドの上の婆さんが、視線を俺へと向けて声を掛けてきた。
「どうしたんだい。……あんたらしくもない。いつものおかしな言動はどうしたんだい、イチロウ」
呆れた声でもない。いつもの脳天を叩き割るような怒鳴り声でもない。
どこまでも静かで、どこまでも優しげな声で、婆さんは俺に語りかけてくる。
(……だめだ)
婆さんのその優しい声が、俺の胸の奥の、最も触れられたくない傷口を容赦なく抉り開けていく。
(だめだ。だめだ。だめだ……ッ!)
また、これなのか。またこの展開なのかよ。
元の世界でもそうだった。俺が誰かを大事に思おうとすると。前を向いて、必死に頑張ろうとすると――世界が、運命が、まるで俺を嘲笑うかのように、俺の手から大切なものを容赦なく奪い去っていこうとする。
俺が関わると、みんな居なくなる。俺が大切に思うと、みんな壊れてしまう。
だったら――。
だったら俺は、やっぱり何も思っちゃいけないんだ。誰のことも好きになっちゃいけないし、何一つとして頑張っちゃいけないんだ。
ただのクズとして、誰の記憶にも残らないニートとして、何もかもを諦めて生きていくことだけが、俺に残された唯一の正解なんだろ……ッ!!
婆さんの静かな視線を受け止めながら、俺は心の中で、ただただ血を吐くような絶望の叫びを繰り返していた。




