最初の一歩は大お通夜!? パンツ一枚から始まったおっさんの異世界社会復帰物語
「……イチロウ。こっちへおいで」
ベッドの上の、弱々しくなった婆さんが、痩せた手で俺を小さく招いた。
俺はその手に釣られるように、魂の抜けた泥人形のようにふらふらと歩を進める。集まっていた子供たちが、まるで潮が引くように無言で道を開けてくれた。
婆さんのベッドの前にたどり着き、俺はその場に膝を突いて、婆さんの静かな瞳と視線を合わせた。
「……婆さん」
情けないくらいに湿った声が、俺の口から漏れ出す。
「なんだい、今にも泣き出しそうな面をしてさ。後ろの子供たちのほうが、あんたより余程しっかりしてるよ」
「でも、でもよ……っ」
それ以上、言葉が続かない。子供のように駄々をこねるしかできない俺を、婆さんは諭すように、どこまでも優しくあやしてくれた。
「良いかいイチロウ、良くお聞き。人なんてのはね、いつかは死ぬんだ。それが遅いか早いかだけの違いさね。生まれてから死ぬまでの間に、辛いこと、苦しいこと、それこそ死にたくなるようなことだって幾らでもあるだろう。それに対して逃げ出したいことだって、休みたい時だってあるさ。……良いさね、一時ならば。だけど、ずっと逃げ続けるのは駄目だ。そいつはなんの解決にもなってないからね」
婆さんの視線は、俺だけでなく、後ろにいる子供たち全員へも向けられる。子供たちの何人かからは、鼻をすする小さな声が聞こえ始めていた。
「いつかはその現実に向き合わなきゃならない。そんな時にどうすれば良いか。……簡単な話さね。『努力をしな』。辛いことや悲しいことが、向こうから恐れをなして逃げていっちまうくらいに、楽しいことを、幸せなことを、この手で多く作っていきな。そうすれば、多少の事なら乗り越えていけるさね」
「……っ、もし、乗り越えていけなかったらどうするんだよ! 努力したって、どうしようもないことだってあるだろ!」
俺は思わず、縋るように婆さんに問い返した。
「……そん時は諦めな。生きてる間には無理だったってだけさ。人生なんてものはね、都合の良い夢物語じゃない。どうしようもなく辛く厳しい現実なんだよ。……だからと言ってね、戦いもせずに最初から諦めて腐ってる奴を、あたしは死んでも認めないし、大嫌いだね」
「……全員が全員、婆さんみたいに強く生きられる性格じゃないんだぞ」
「だったら、周りに人を作りな。一人が二人、二人が三人となっていけば、そのうちの誰かが肩を貸してくれるかもしれないだろう。あんたみたいな手の焼けるバカな子でも、『ああ、仕方ないねぇ』と言いながら、誰かが手を貸してくれるさね」
「……だからさ、そう言うのが無理だからみんな苦しんでんだよ! なんでもかんでも、婆さんの基準を押し付けんなよ……っ!」
「バカかい。本当に人の話を一言も聞かない子だね、あんたは」
婆さんはフッと、いつものように呆れたように笑った。
「一足飛びに完璧をやろうとするから難しくなるんだ。先ずは一歩だ。それが出来たら、自然と二歩目も出せるようになる。あんたがこの救護院でやってきたようにさね」
「え……」
「ここへ初めて来たときの事を思いだしな。あんたは最初、水汲みすらまともに出来なかったろう? フラフラして、弱音ばかり吐いてさ。それが今やどうだい。カザン婆さんの目を盗んで、時間を作ってサボろうとすることだって一丁前に出来てるじゃないか。……一歩で良いんだよ。最初の一歩を大切にしな。わかったね、イチロウ」
ガツン、と脳天を殴られたような衝撃が走った。
いつもの物理的な陥没じゃない。俺の歪んだニート根性の根底を優しく包み込むような、圧倒的な言葉の重み。
反論したくても、俺の口からはもう、言い訳のための汚い言葉は一言も出てこなかった。
だから、俺は小さく。ただ婆さんに伝わるように、何度も深く頷いた。
それを見た婆さんは、満足そうに、どこまでも優しく微笑み――そして、静かに、ゆっくりと目を閉じた。
「……っ、婆さん……?」
部屋の中に、一気に悲しみが溢れ出す。
俺の目から、溢れた涙が、勝手にボロボロと地面へと零れ落ちていった。
☆★☆★☆
――それから、月日は流れた。
いつの間にか、当初は半年だけと滞在が許されていたはずの救護院に、俺はすっかり居着くようになっていた。
今ではすっかり婆さんから救護院の運営を引き継ぐような形で、ここで職員として働くことが完全に定着している。
相も変わらず、救護院の子供たちからは毎日毎日チクチクと辛辣な言葉が飛び交ってくるが、それでもそれなりに仲良く、騒がしくやっている。
中には、年齢的な節目なのか、あるいは本人の自主的な意思なのかは分からないが、救護院を出て一人独立し、街へ働きに出ていく子供も現れ始めた。
そうして巣立っていく奴らを見送る時、俺はいつも「ここはお前の家でもあるんだから、辛くなったら、いつでも帰ってこい」と伝えるようにしている。
今のところ、たまの休みに帰省みたいな形で顔を見せてくれる奴以外はみんな元気にやっているようだから、きっと外の世界で上手くやれているのだと思う。
それ以外で、俺の周囲の少し変わったことと言えば……あの覇王エリシアが、なぜか救護院に完全に住み着くようになったことだろうか。
……あ、一応言っておくが、結婚はしてない。……まだ。まだ、な。
それから、たまにリエンと同じ雲水の僧たちが救護院を訪ねてくることもある。
俺はその人たちに一宿一飯を提供する代わりに、彼らが持つ独自の『意念の技』を教えてもらったりしているのだが……これがもう、とにかく雑というか、全員がオカルトチックな独自理論を展開するせいで、教え方の共通点なんか一つもありゃしない。ぶっちゃけ、まだ婆さんやリエンのほうが何倍も論理的で丁寧だったと思えるほどだ。
……まっ、それでも。それなりに、めちゃくちゃ楽しくやってる。
生きるということは、都合の良い夢物語じゃない。辛いことも、悲しいことも、理不尽なこともたくさんある。俺の精神的器量じゃ、まだまだあの婆さんの領域には到底達しないけれど、それでもだ。
きっと婆さんも、草葉の陰で俺たちのことを温かく見守って――
ゴッッッッッ!!!!!(鈍器の風切り音)
「人を勝手に殺すんじゃないよッ!! この宿六がァッ!!」
「ぶっふぇあッッ!?!? 痛い痛い痛い骨折れた頭蓋骨陥没したァアアッ!?」
人がせっかく感動的な後日談のモノローグを語ってるところを、後頭部からお馴染みのクソデカお玉(鈍器)でぶん殴るんじゃねぇよ婆さん!! 脳から変な汁出ただろ!!
「人がちょっと風邪こじらせて数日寝込んだだけだったって言うのに、あんたも子供たちも揃いも揃ってお通夜みたいな顔してからに! あたしをそんなに早く墓に埋めたいのかい、ええ!?」
「いや普通はあんな、呼吸してるかどうかも分からんような深い眠り方されたら誰だって逝ったと思うだろ!! 紛らわしいんだよ!!」
「あんたみたいな手のかかるバカな子の相手を数カ月も続けてたんだよ。バカが伝染らないように脳を休めてたら、ちょっと疲れが出ちまっただけさね」
……そうだね。間違いないわ。このクソババア、あと50年は絶対に死にそうにないわ。
「当たり前だよ! ここにいる子供たちだけでなく、あんたみたいな図体のデカい『大人の子供』まで面倒見てるんだい。あたしに死んでる余裕なんて一分一秒あると思ってんかい、まったく! こんなところで油売ってくちゃべってないで、早く仕事に行きな!」
「へいへい。分かりましたよ、いってきますよっ」
頭のタンコブをさすりながら、俺は苦笑交じりに救護院の門をくぐり、いつもの仕事へと向かう。
あの日、婆さんは死んでいなかった。ただの深刻な過労による爆睡だった。
おかげで救護院の連中だけでなく、町の医者や門番のおっさんまで巻き込んで大騒ぎした大お通夜大会は、今では我が救護院の鉄板の笑い話(黒歴史)になっている。
それでも、人間である以上、いつかは本当の「その時」が訪れるのかもしれない。
だけど俺は、青空を見上げながら切に願った。出来るだけ、長く、長く、その大嫌いな現実が来ないようにと。
「まったく、毎日毎日仕事仕事でさぁ……。あーあ、あの誰にも邪魔されなかった引きこもりニート生活が懐かしいぜ、ちくしょう」
そんなくだらない愚痴を口にしながらも、俺の足はしっかりと、明日へ向かって力強く地面を踏みしめていた。
異世界の馬小屋の中で、パンツ一枚の状態から始まった俺の社会復帰物語は――これからも、この騒がしくも愛おしい世界で、どこまでも続いていく。
パンツ一枚から始まる異世界社会復帰物語
~10年引きこもった35歳ニートの私ですが、今はこうして働けるようになりました~(完)




