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三十五歳おっさん、胃袋と安住の地を同時に失う




 今日は待ちに待った、月に一度の『肉の日』だ。


 普段は緑と茶色がカオスに融合したドロドロの雑炊(ディストピア飯)を啜っている救護院の子供たちにとって、この日ばかりは合法的にご馳走にありつける特別な日であり、朝から全員がそわそわと楽しみにしていた。


 ──にも関わらず。


 お昼時、庭に集まった子供たちの目は、まるでドブ川に三日間放置された死んだ魚のようにドス黒く腐りきっていた。


 「おい、どうしたお前ら。待ちに待った肉の日だろう。もっとこう、わーい肉だ肉だ!って狂喜乱舞したらどうなんだ?」


 「……これ、本当におっさんが獲ってきたのか?」


 「そうだぞ! フッフッ、最近は俺も森の中ではかなり活躍できるようになってきてな。朝飯前の夕御飯よ!」


 俺はふんぞり返って胸を張り、ドヤ顔で子供たちに自慢する。


 しかし、子供たちのテンションはこれっぽっちも上がらない。上がらないどころか、お通夜のような重苦しい沈黙が場を支配している。


 「……ティラズィラ(先月の恐竜のような蜥蜴肉)」


 「……タウボルク(先々月の重戦車のような豚肉)」


 「……イロ・タヤイン(三ヶ月前の鶏のような鳥肉)」

 「……オタ・ダマヤ(今日の肉)。ねえおっさん? なんで今日はティラズィラ級の巨大な獣じゃないの? なんでオタ・ダマヤなの?」


 「……」


 子供たちが何を言いたいのかは、痛いほどよく分かる。


 今しがたあいつらが呪文のように口にしていたのは、過去の肉の日に食卓に上った、脂の乗った極上の魔獣たちの名前だ。


 しかし、今日この俺の手によって目の前のまな板に並べられているのは──どう見ても、その辺でポロッと獲れそうな、ちんまりとした山鳩。しかも、たったの数羽。


 とてもじゃないが、救護院の飢えた子供たちの胃袋を満たせる量ではない。


 「……し、仕方なかったんだよ!! 森に入っても、なぜか獣が一匹も出てこねぇんだから! 魔狩人衆の頭だって『十回に一回は大凶作のハズレ日がある』って言ってたんだぞ! 今日はたまたまその一回だっただけで……そんな冷たい目で俺を見るな! これでもボウズ(収穫ゼロ)じゃなく獲ってきただけマシなんだからな!」


 (※なお、イチロウが先日マリッジブルーの八つ当たりで森の魔獣を全滅に近いレベルで叩き潰し、生態系を一時的に崩壊させたことが原因なのだが、本人はまるで気づいていない)


 落胆しきった子供たちの冷徹な視線が、普段なら「ケッ、ガキが」と受け流せるはずなのに、今日だけは妙にチクチクと胸に痛く刺さる。


 「ふしゅるるるるる……。皆さん、こんにちは。少しお邪魔してもよろしいですか?」


 その時、門の向こうからギチギチと軋ませながら、お馴染みの巨体が姿を現した。


 「え!?エリシア姉ちゃん!?」


 「本当だ! エリシアお姉ちゃんだ!」


 「わーい! 救世主が来たぞーー!!」


 さっきまで絶望のズンドコに沈んでいたガキ共が、エリシアの姿を見た途端、手のひらを爆速で返して目を輝かせ、彼女の元へと一斉に駆け寄っていく。その両手には、ズッシリと重そうな巨大なお重(弁当箱)が抱えられていた。


 「ふしゅるる……え? あら、なんですか? 私が来たことに、そんなに喜んでくださるんですか?」


 「そうだよな! エリシア姉ちゃんは俺たち救護院の救世主だ!」


 「うんうん、お姉ちゃんが来てくれて本当に良かったよ!」


 「えっと、よく分かりませんが、皆さんに喜んでいただけて何よりです。イチロウさんにお裾分けを、と思ってたくさんお肉を料理してきた甲斐がありました」


 ……あの現金なガキんちょどもめ。エリシアが極上の食べ物を無償で提供してくれるから尻尾振って寄って行ってるだけじゃねぇか。


 「まったく、どっかの甲斐性なしのおっさんとは大違いだよなー」


 「そうだね。エリシアお姉ちゃんも、あんな『肉の日にオタ・ダマヤしか獲れない男』とは絶対に結婚しない方がいいよ」


 「ふふ、誰のことかは分かりませんが……私には、今、心に決めている大好きな方がいますので(チラッ♡)」


 清楚な(ただし地響きのような)笑みを浮かべながら、世紀末覇王の視線がピンポイントで俺をロックオンする。


 ウッ……!! 頼むからこっちを見ないでほしい。その熱い視線だけで俺の脆い心臓がバーストしそうなんだ。


 「エリシア姉ちゃん、あっちの広いテーブルに行こうぜ!」


 「こっちでみんなで美味しく食べよう!」


 「はい、分かりました。イチロウさんも、ご一緒にいかがですか?」


 「……ああ、うん。お言葉に甘えて……」


 俺がトボトボと歩き出そうとすると、エリシアの背後に隠れた子供たちの視線が、一斉に鋭いナイフとなって俺に突き刺さった。


 「……役立たず」


 「……甲斐性なし」


 「……ペッ」


 お前ら、いくら何でも扱いが酷くなってないか!? 常識的に考えて、大人の男に向かってリアルに「ペッ」って唾を吐き捨てるのは人道的にどうなんだよぉおおおッッ!!!


 「はい。皆さん、遠慮なさらずにたくさん食べてくださいね」


 「はーいっ! ウサイ・カダイ(肉料理)!」


 「ウサイ・カダイ万歳ーー!!」


 子供たちは一斉に謎の感謝の呪文(※内容:肉への賛辞)を唱えると、エリシアが広げた豪華な重箱へと猛然と群がり、肉を口いっぱいに頬張り始めた。


 「イチロウさんも、よかったらどうぞ。はい、こちらはイチロウさんの分として特別に分けて作ってきたお弁当です」


 「おおお……! かたじけない! ありがたく、いただきま──」


 「エリシア姉ちゃん、エリシア姉ちゃん! こっちのお肉の味付けってどうやってるのー?」


 「はい。なんですか? それはですね……」


 エリシアが子供に呼ばれて、ほんの一瞬、そっぽを向いたその瞬間だった。


 ガタタッッ!!


 「え──?」


 俺が声を上げる暇すらなかった。


 子供たちが一糸乱れぬ完璧な連携コンビネーションを見せ、瞬く間に俺とエリシアの間に肉の壁を作り上げ、周囲からの死角を生み出したのだ。その動き、まるで熟練の暗殺部隊。


 音もなく俺を包囲した『小さき獣たち』が、暗黒街の取り立て屋のような冷徹な目を向けてくる。


 「……ねえ。山鳩おっさん、何をごく自然に食べようとしてるの?」


 「……今日の収穫、山鳩数羽だよね? 稼ぎのない甲斐性なしの人が、こんな贅沢なご飯を食べる権利があると思うの?」


 「……というわけで、それは没収ね」


 「あ……」


 スッ……。


 俺の手から、吸い込まれるようにお弁当箱が消え、空の弁当箱が秒で戻ってきた。


 こ、こえぇえええええええッッッ!!!!


 子供たちが……俺の知っている、生意気だけど可愛い救護院の子供たちはどこにもいねぇえええッッ!!


 そこにいたのは、飢えた凶悪な野生の獣のごとく、冷酷なシステム論で俺の弁当をかっ拐っていった『合法的な略奪集団』だった。お前ら、やってることがマフィアの手口なんだよ!!


 「あら? イチロウさん、もうお食べになってしまわれたのですか? お弁当箱が空っぽですが……」


 子供たちの壁がサッと霧のように散った後、不思議そうにこちらを振り返るエリシアさん。


 俺は魂の抜けたような虚無の表情で、遠い目をして呟いた。


 「……はい。あいつらは、とんでもないものを盗んでいきました」


 「はい? 盗んだ……? 一体何をですか?」


 俺はキリッと無駄にカッコいいポーズを決め、夕日に向かって語りかけるような渋い声で言った。


 「──あなたの、弁当です(※俺の胃袋に入るはずだったやつ)」


 「はぁ……。私の、お弁当……?」


 エリシアは何のことだかさっぱり分からなかったが、イチロウが真剣な顔で言っていることなので、きっと何か深遠でロマンチックな意味があるのだろうと、首を傾げながら健気にウンウンと考え込んでいた。


 たぶん、彼女の脳細胞がどれだけフル回転したところで、その答えが一生出てくることはないと思う。


 エリシアの持ってきてくれた豪華な肉弁当を跡形もなく食い漁り、お腹いっぱいで大満足した子供たち。彼らは、エリシアが「ふしゅるる、それでは皆さんまた」と地鳴りを響かせながら帰っていった直後、おもむろにその辺にあった木製の洗濯桶を拾い上げた。


 そして──ガッ。


 「ぶふぇっ!?」


 抵抗する間もなく、俺の頭にすっぽりと桶が被せられ、視界が真っ暗になる。桶の隙間から、ドスの効いた子供たちの低い声が響いてきた。


 「……今回は、この程度で済ますけど」


 「……次回も、肉の日に同じ『オタ・ダマヤ』とかだったら」


 「……どうなるか、わかるよね?」


 「……」


 ペシペシと叩かれる桶の中で、俺はガタガタと歯を鳴らしながら、涙目で激しく無言の縦に首を振った(ヘドバン)。


 子供たちはその「イエス」の返事で納得したのか、フンと鼻を鳴らし、そのまま蜘蛛の子を散らすように散り散りになって去っていった。


 静まり返った境内に、頭に桶を被ったまま取り残された俺は、ようやく自力でそれを引っこ抜くと、その場にへたり込んで叫んだ。


 「……こわいよぉおおお! 暗いよぉおおお!! 狭いよぉおおお!!!子供たちが完全に極悪非道なダークサイドに堕ちてるよぉおおおッッ!!」


 仲が良いとまでは言わないが! 互いに同じディストピア雑炊を食い合ってきた仲間(仮)なのに、さっきのあいつらの、まるで「屠殺する食材」を見つめるような冷徹な目付きは一体何なんだよ!?


 次回も山鳩だったら、今度は俺を──俺の肉を代わりの食材にするつもりか!?


 「ヒイィイイイイッッ!? カ、カニバリズムぅうううううッッ!? 食人文化の扉を開くなぁあああああッッ!!!」


 限界突破した被害妄想に骨の髄まで恐怖した一朗は、その日の夜、子供たちと同じ屋根の下の部屋で寝る勇気が出ず、一人寂しく外の木の下で膝を抱えて夜を過ごしたという。


 「……あのバカは、外でなにやってんだい?」


 母屋の窓からその哀れな姿を見たカザン婆さんは、またアホなことをやっていると盛大に呆れていたが、少し体調が優れないこともあって「まぁきっと自業自得なんだろうさね」とそのまま放置し、静かに部屋の明かりを消してベッドへと戻っていった。


 シンと静まり返った異世界の夜空を見上げながら、おっさんはガタガタと震えながら涙を流す。


 「……俺の安住の地は、この世界のどこにもないんだ。帰りたいよ~……おうちに帰りたいよぉ、日本のおうちに帰らせてくれよぉおおお……(シクシク)









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