がんばれイチロウ、お前の夜明けはまだ遠い
『空』──それは、相手の攻撃する意図を先んじて読み取り、完璧な回避行動をとる技。
『甲』──それは、自身の意念を極限まで圧縮して防御力を上げ、相手の攻撃を無効化する技。
元はと言えば、世紀末覇王エリシアの「感謝の油圧万力スキンシップ」から我が身を守るため、そのどちらかを習得しようと必死のパッチで修行していたはずだった。それなのに、なぜか俺が会得してしまったのは、相手の意図を読み取って攻撃の軌道を強制的に受け流すという、二つの技を足して二で割ったような防御回避技『流』。
いや、まぁ、過程はどうあれ結果オーライだ。技が一段階進化しちまったんだから文句はねぇ。
……ねぇ、ところで婆さん。これさえあれば、あのエリシアの骨折不可避なホラー握手から、俺は無傷で生き延びられる(逃げられる)よね……?
「……まあ、がんばりな」
「なんかめちゃくちゃ投げやりだなぁおいクソ婆さんッッ!?!? いけるよね!? これで俺の繊細なお手々は守られるよね!? ねぇ!!」
すっかり煙管をふかすモードに戻った婆さんに必死にすがりついていると、俺の周囲で「おっさんすげー!」と角材を片手に群がっていたちびっ子共が、やれやれと生意気に肩をすくめてきた。
「つーかさ、おっさんって元々選り好みできるような上等な人間じゃないだろう? あんなメシの旨いのが作れるお姉さんに好かれるだけ、ありがたいと思った方がいいぞ」
「性格は良いんだよ! 性格と料理の腕はマジの聖母なんだよ! だがそれ以外が圧倒的に怖いんだよコンチクショウ!! 命の危険さえなければ、俺だって少々のことは男として我慢はするさ!」
「じゃあ、おっさんが強くなって、お姉さんの力に耐えられるようになれば良いじゃん」
「だから今! ニートな俺が血反吐吐く思いで! そのための修行をしてるんだろうがよぉおおおッッ!!」
俺が涙目で吠えると、一人のガキが「あ」と何かに気がついたように、ぽん、と手を叩いた。
「でもさ、おっさんが修行して強くなったら……それを見たエリシアさんから、さらに『さすがイチロウさん♡』って余計に好かれちゃうんじゃないの?」
「…………」
時が、止まった。
俺の脳細胞が、子供の放ったあまりにも論理的かつ的確すぎる『真実のナイフ』によって、完全に機能停止する。
強くなる = エリシアの愛がさらに重くなる = より強固なスキンシップ(大質量)が飛んでくる = 結局死ぬ。
「……良かったな、おっさん。未来は明るいぞ(他人事)」
「うおぉおおおおおおおおおおおおおっっっッッッ!!! 進んでも地獄! 後戻りしても地獄! 俺の明日はどっちだぁああああああッッッ!!!」
頭を抱えてのたうち回る俺に、子供はトドメの言葉を笑顔で投げつけてくる。
「だからさ、もう諦めて結婚すれば全部丸く収まるんじゃないの?」
「いやぁだぁぁあああああああああああッッッ!!!!(号泣)」
「クスン、クスン……。俺の、俺の輝かしい(はずだった)異世界ライフの未来が、完全なダークマターに確定してしまった……」
いや、だがまだ諦めるな。諦めなければ道は切り開かれる。そう信じ、とりあえず現実逃避のために今日も今日とて怠惰に寝っ転がろうと──
「修行を終えたんなら、さっさと働きな! まったく、どうしてあんたという男は、そう隙あらばすぐサボろうとするんだい!」
それが俺です。三十五歳無職(希望)、鈴木一朗なんです。変えようもありませんし、変えたくもありません。
「そこまで働きたくないってんなら、今すぐエリシアをここに呼んで、あんたの横に四六時中ぴったり付いて回ってもらうように手配してやろうかねえ?」
「これより鈴木一朗、死力を尽くして救護院の任務に入りますッッ!!!」
俺は直立不動で敬礼をキメると、エリシアさんの名前が出た瞬間に最高速度のダッシュでその場を離脱し、一目散に仕事へと向かった。おのれクソ婆、あの覇王を完全に猛獣使いのホイッスル扱いしやがって……!
「……ふん。当分は、あの娘の名前を使えば馬車馬のように働かせそうだねぇ。やれやれ、本当に手間の掛かる……ゴホッ、ゴホッ……! ウッ、ゴホゴホッ……!」
一朗が砂煙を上げて走り去った境内。
急に激しく咳き込み、胸を押さえて苦しそうに顔を歪めるカザン婆さんに、周囲に残っていた子供たちがトコトコと駆け寄ってきた。
「……大丈夫? 院長先生。すごい変な咳してるよ……?」
「……ああ、大丈夫さね」
婆さんは子供たちに心配をかけまいと、いつもの厳しい表情をふっと和らげ、慈愛に満ちた笑みを浮かべてみせる。
「ただのちょっとした風邪だからね。老い先短い老人の体が、少しばかり季節の変わり目にやられただけさ。部屋で寝てりゃあすぐ治るよ」
「……本当? 本当に大丈夫?」
「ああ。だから心配しないで、あんたらも自分の仕事をしっかりするんだよ」
「……うん。わかった!」
子供たちはまだ少し不安そうにしながらも、婆さんの言葉に頷き、それぞれの仕事へと散っていく。
カザン婆さんは、そんな小さくも逞しい子供たちの背中を、どこか愛おしそうに見送りながら、一人弱々しい足取りで静かに母屋へと戻っていくのであった。
「おいテメェら!! お前らが良かれと思ってあの覇王様を俺に紹介してくれたお陰で、俺の輝かしいニート人生が完全なる労働地獄になっちまったじゃねぇか!!」
救護院の仕事を一通り片付けた俺は、その足で魔狩人衆の詰所へと乗り込み、先輩たちに向かって盛大に悪態を吐き散らしていた。だが、帰ってきたのは至極真っ当で冷ややかな正論の数々だった。
「いや……労働することは普通に良いことだと思うぞ、イチロウ」
「そうだよな。働かなきゃおまんま食えないし、まっとうな人間の営みだろ」
「っていうか覇王様って誰のことかと思ったら、エリシアちゃんのことか。ああ、うん。なるほど、覇王様か、納得」
「でもあの子、顔の覇王感はアレだけど、本当に良い子だぞ?」
「性格も申し分ないよな。顔は怖いけど、すごく家庭的だしさ」
「力もちょっと……いや、大分というか、狂気を感じるレベルで力強いけど、いいお嫁さんになるタイプだぞ」
「わかってんだよそんなことはぁあああッッ!!」
俺は机をバンバンと叩いて机上の空論を否定する。
「その数々のメリットを完全に消し飛ばして余りあるほど、身体的デメリット(物理的な死の危険)がデカすぎるのが大問題なんだよ! お前ら、俺にあの覇王を押し付けて処理するために紹介した訳じゃないよな!? 嵌めたな!?」
「人聞きが悪いな、それはないぞ」
魔狩人衆の一人が、呆れたように、しかし真剣に肩をすくめた。
「彼女は真剣に将来の結婚のことを考えていたからな。あの規格外なエリシアちゃんの相手が務まりそうな男が、この町にはイチロウしかいなかったから紹介したまでだ。他に候補がいたら、お前なんか最初から紹介すらしてねぇよ」
「そうそう。どっちかって言うとイチロウの方が色々とアレだしな。むしろエリシアちゃんの方が気の毒というか、ハズレを引かされたまである」
「あー、確かに。イチロウ、その辺の性格を直しといた方が、今後の結婚生活は楽になるぞ?」
「アレアレ言うんじゃねぇよ!! なんで被害者である俺の方が『問題のあるハズレ物件』扱いされてんだよおかしいだろうがッッ!!」
俺が必死に抗議するも、魔狩人衆の面々は互いに顔を見合わせると、
「……だってなぁ」
「……うん」
「……まぁ、イチロウだしな」
「チキショー!! お前らなんて全員大嫌いだぁあああッッッ!!!」
満場一致の「イチロウだから」という結論にブチ切れた俺は、詰所を飛び出し、怒りのままに町の外の森へと歩を進めた。
そんな俺の後ろ姿を、狩猟用の弓を携えた魔狩人たちが、木々の隙間から遠巻きに眺めながらヒソヒソと囁き合う。
「……なぁ。最近のあいつ、森の魔獣を怖がらなくなっただけでもマシかなと思ったんだが」
「……ええ。なんだか、どんどんバケモノじみて行きますね、あの人」
「……囮としては最高に優秀なんですかね? 獣たちが寄って集ってあいつを襲いに行きますが、それら全部、なんか変な大回転とか謎の受け流しで叩き潰してますよ。なんなんですかね、あの動き?」
「……わからん。もう『イチロウだから』としか言えん」
頭の言葉に、ほかの魔狩人衆たちは皆、深く納得したように神妙な顔で深く頷いていた。
そんな彼らの視線の先で、俺は溜まりに溜まったストレスを爆発させるように、襲いかかってくる狂暴な肉食獣の鼻面に、さっき覚えた『流』の意念を乗せた掌底を叩き込んでいた。
「テメェら!! 有象無象の獣どもが、掛かってこいやぁあああッッ!! 俺のこの理不尽なマリッジブルーへのストレス解消の砂袋になりやがれぇえええッッ!!!」
一朗の悲痛と怨嗟と怒りに満ちた叫び声が、不気味に森の中で木霊する。
そしてそのバグった大声のせいで、周囲の縄張りにいたさらに多くの凶悪な獣たちが、「極上の獲物が暴れている」と勘違いして余計に集まってくるのであった。がんばれイチロウ、負けるなイチロウ、お前の夜明けはまだ遠い。




