三十五歳無職、暇を持て余した神々の遊び
この世界にトリップして、そろそろ四ヶ月が経とうとしていた。
地獄のルーティンを必死にこなしてきた結果、手刀で熊を両断し、キック一発で突進する豚をミンチにするほどのゴリラじみた超パワーを手に入れた俺だが──今、俺の心には圧倒的に、致命的に足りないものがあった。
それは何か!?
惰眠を貪ること? いや、それもめちゃくちゃ大事だし常に求めているが、そうじゃない。
現代人が突然、スマホもネットもテレビもない、完全なる中世風の未開の地に四ヶ月も監禁されたら、確実に欲しくなる『アレ』だ。アレを俺にくれよ。足りねぇんだよ……。脳が飢えて、もう禁断症状が出始めてるんだよぉ……!
「……あんた、一体全体そこで何やってんだい?」
冷ややかな、それこそ言葉通り「奇っ怪な生き物」を見るような目で、俺を上から見下ろしてくる声があった。
声の主は、救護院の絶対権力者である婆さんだ。
「娯楽だよ、娯楽……。この世界には圧倒的に娯楽が足んねぇんだよ……。へへっ、どうだクソ婆さん。ここのコマのオチをこうすれば、もっとシュールで面白くなると思わないか……?」
俺は救護院の裏庭の地面に這いつくばり、鋭利な木の枝を両手で握りしめて、泥のキャンバスに必死の形相で『四コマ漫画』をガリガリと描き殴っていた。
薄い記憶を頼りに、シュール系のギャグ漫画を完全再現しようと全神経を集中させていたのだ。傍から見れば、完全に精神を病んだ不審者である。
「……仕事を与えすぎたせいで、ついに頭がおかしく。いや、元からおかしな男だったねぇ」
婆さんは紫煙をふぅーっと天へ吐き出しながら、哀れみの目を向けた。さすがの悪魔の化身も、泥に漫画を描いてブツブツ言っている三十五歳無職の姿には、一抹の責任(罪悪感)を感じたらしい。
「仕方ないねぇ。あんたのその狂った頭を冷やすためだ。今日は一日、一切の仕事を免除して休みをやるよ。どっか行って、しっかり英気とやらを養っときな」
「マジかよッッ!? 婆さん! あとで『やっぱりあの薪も割っといて』とか、追加の隠しミッションを発動させるのなしだぞ! 絶対に裏切るなよ!」
「無いったら無いよ。さっさと好きなところへ行ってきな」
そう言って、婆さんは懐からポンと小さな革の小袋を放り投げてよこした。
俺が慌ててキャッチすると、中からチリン、と小気味よい金属の擦れ合う音が響いた。
「……少しばかりだがね、小遣いだ。お前が毎日割った薪を売った金の一部さ。無駄遣いするんじゃないよ」
「マジかよおぉおおおッッ!!! ひゃっほーい! カネだ! 待望の不労所得(※労働の対価です)だ!! 豪遊だ! 遊び倒してやるぞぉおおおっ!!」
「……本当に人の話を聞かないバカ男だね、あんたは」
さっきまでのダウナーな禁断症状が嘘のように、現金を手にしてお尻を振りながら狂喜乱舞する俺を見て、婆さんは深いため息を吐いた。そして、呆れたように首を振りながら、静かに母屋へと帰っていった。
「スキップ、スキップ、ランランラ〜ン♪」
何もしなくていい、という絶対権力者(クソ婆さん)からの公式なお墨付きをもらった俺は、小躍りせんばかりの軽快な足取りで、さっそく救護院を飛び出して町へと繰り出した。
さあ、何がある、この異世界の町には!
さすがにゲーセンや書店、ネカフェなんて最高峰の文明利器はないだろう。だが、何かしらの娯楽、例えばちょっとしたダイス賭博ができる酒場だとか、妖しいお姉さんが接待してくれる大人の店だとか、そういうものはあるはずだ。
だって、人間がコミュニティを作って住む以上、娯楽なんていうものは無くてはならない必須栄養素だろう。きっとなにか、俺の乾ききった脳を潤す楽しいエンターテインメントが俺を待っている。
うん。そんな素晴らしい予感が───
「──ちっともありません。なんだよこの町、不毛の地かよッッ!!」
歩き回ること、一時間。俺は町の広場の中心で頭を抱えて絶叫していた。
娯楽のひとつもねぇ。本当に、ただの1ミリも存在しない。
あったのは、地元の連中が普通に飯を食うための素朴な食い物屋が数件と、農具や武器を直すための小汚い金物屋が数件あっただけだ。
おまけに、「魔物がウロウロしてる世界なんだから、ファンタジーの定番である『冒険者ギルド』的な施設があって、荒くれ者たちが昼間から酒を飲んでるはず!」
そして「こんな所にお前のようなおっさんが来るところじゃねぇ」とか言われて、絡まれたりするんだ。と淡い期待を抱いて町中を探し回ってみたが、冒険者の『ぼ』の字も見当たらねぇ。
ホントなんなのこの町。みんなどうやって毎日を生きてるの? 娯楽という名の楽しみなくして、どうして正気を保っていられるの!?
というわけで、限界に達した俺は、「人間はなぜ楽しみなくして生きられるのか」という哲学的な疑問に答えをもらうべく、以前リエンから逃亡しようとした際に見かけた、兵士のおっさんがいる詰所へとやってきた。
「帰れ。こっちは仕事中なんだよ、忙しいんだから相手にしてる暇はないだから」
詰所の前で槍を持って立っている兵士のおっさんは、俺の顔を見るなり、あからさまに嫌そうな顔をして門前払いを食らわせてきた。だが、今の俺は暇を持て余した神々の遊び状態である。簡単に退くわけがない。
「え〜、暇そうじゃんおっさん。ただそこに突っ立ってるだけじゃん。そんなにカチカチに緊張感を張り詰めさせてたら体に悪いよ? 暇してるなら話そうぜ。俺、見ての通り今めちゃくちゃ暇してるからな!」
「だから帰れと言っているだろうが! お前がどれだけ暇だろうが知らんが、俺の方は今、『仕事』をしてるんだからさ!!」
おっさんは青筋を立てて槍の柄で地面を小突き、全力で俺を追い払おうとする。しかし、エンタメに飢えた元ニートの執着心を、真面目な公務員ごときが突破できると思うなよ……!
「なぁ、なぁおっさん。ぶっちゃけ普段なにして暇潰してんの? なんかこの不毛な町でもできる面白いことあるなら、俺にも出し惜しみせず教えてくれよ」
「……俺は、この町を守る兵士だ。目の前の男がどれだけバカだろうが、鬱鬱しかろうが、大切な町の住人に無闇に刃を向けるのは絶対に法で禁じられている。……だから静まれ、俺の右腕ぇええええ……ッッ!!」
おっさんはわなわなと震える右手で、自らの右腕をガシッと掴んで必死に理性を保とうとしている。それを見た俺は、フッと憐れみの薄い笑みを浮かべた。
「なにおっさん、右手押さえて。まさか『俺の右腕に宿る暗黒の破壊衝動が暴走しちまう……!』とか言うんじゃないだろうな? やめとけおっさん、いまの年齢からそのキャラ付けやると、黒歴史どころの騒ぎじゃなくなるぞ。見てるこっちの古傷が痛むからさ」
「もう帰れよ、この野郎ぉおおおおおッッ!!! 俺の理性がギリギリ残っているの内にさっさと失せろよぉおおお!!」
「ちくしょう! なんだってんだ!? 善良な一般市民がちょっと気さくに話しかけてるだけだってのによ! ケッ! わかったよ、帰りますよ、帰ればいいんでしょうが!」
理不尽に無下にされた(※100%俺のせいである)俺は、ぷんすかと怒りながら兵士の詰所を離れることにした。
さあ、次はどこへ行くか。
この不毛の詰所から歩いていける距離にあって、俺の顔見知りがいる場所といえば……あそこかな。
というわけで、次にやってきたのは、いつも大八車で原木を運んでいる『薪売場』だった。
「よぅおっさん、暇してる? 奇遇だな、俺も今めちゃくちゃ暇なんだ。なんかここ最近で一番面白い話してくれよ。あ、ちなみに聞いてみて全然受けなかったら、しっぺの刑な」
「……入ってきて早々、わけのわからんモノを課さないでくれるか? 見ての通りこっちは絶賛仕事中なんだが」
いつも原木を管理している薪売場のおっさんは、俺を見るなり、うんざりした顔で手を止めた。
「うん。おっさんが仕事中なのは分かった。でも、俺は今『休み』で暇してるんだ」
「……だから何だ」
「だからなんか話そうぜ! 退屈で死にそうなんだよ! 脳みそが腐っちゃう!」
「……なら、ちょうどいい。暇ならこっちの仕事(薪の仕分け)を少し手伝わな──」
「なんでせっかくの休みなのに労働しなきゃならねぇんだよッ!! テメェ頭おかしいんじゃねぇか!!?」
「……客観的に見て、頭がおかしいのは絶対にそっちだと思うぞ。とにかく俺は仕事中だ。用がないならとっとと帰ってくれ」
「くそっ、どいつもこいつも俺を邪魔物扱いしやがって! 冷血人間どもめ!」
「いや、実際仕事の邪魔だからな?」
ハッキリと正論を突きつけられ、俺の精神年齢はついに一桁台まで退行した。
「いいよいいよーだ! こんな心の通わない冷たい仕事場、二度と来るかバーカ!」
「いや、でもお前、明日の分の薪を取りに──」
「べーっだ! 二度と来るか! おしりペンペン!!」
本当に三十五歳なのか疑わしい挙動で自らの尻をパチンと叩き、俺はその場から全力のダッシュで逃走した。
「ハァ……ハァ……。ったく、大人げないおっさんどもだぜ。……で、あと残ってる俺の知り合いの場所はどこだ? 魔狩人衆の詰所か……?」
そこで俺は、ハタと重大な事実に気づき、ガガーンと効果音が響くような衝撃を受けて足を止めた。
「ってか、俺の行く先々、おっさんしかいねぇじゃねぇかッッ!! 異世界だぞ!? 花がねぇぞ、瑞々しい美少女の花がぁあああああ!!!」
天を仰いで慟哭する俺だったが、よくよく考えずとも、この世界で俺が作った数少ないコミュニティが「ゴリラ尼僧」「クソ婆さん」「むさ苦しいおっさん達」「救護院の子供」の四択なのだから、自業自得以外の何物でもないのだった。




