幽体離脱とパノラマの巻狩り
どうしてこうなった。
神(クソ婆さん)という名の悪魔によって、俺の過酷な日常のルーティンに、水汲み、薪割り、薪運びに加え、新しく『狩猟』という名のデスゲーム的カテゴリーが強制追加されてしまった。
何故だ! 俺はただ、誰にも邪魔されずにダラダラと楽をして生きたいだけなのに、なぜこうも次から次へと過酷な運命(労働)を課すのだ! 俺が一体どんな大罪を犯したというんだ……!
「……なぁイチロウ。楽な生活がしたいっていう気持ち自体は、俺も同じ男だし分からんでもないんだがな。なんでだろうな。お前がそれを口にすると、人道的にとても間違った方向へ突き進んでいるように聞こえるのは」
鬱蒼とした森の中、腰を落として隣を歩く魔狩人衆の頭──おっさんが、ひどく遠い目をしながら呟いた。
「そんなことはねぇ! 人間、楽して生きて何が悪いんだよ! 宝くじを一枚だけ買って、汗水流さずに億万長者になるのを夢見るのが、人間の真のロマンってやつだろうが!」
「とりあえずお前が何を言っているのかサッパリ分からんが、そろそろ獲物の気配が来たから静かにしような?」
「俺を幼稚園児扱いするな! 俺は三十五歳の立派なおっさん──」
「あ、もし出てきたのが前みたいなイフガマ(巨熊)だったら、また素手で真っ二つしてくれよな、頼むぞ」
「…………」
俺は途端に黙った。
それこそ、森の老木に生した苔むす石の如く、完全に己の気配を世界の理から全てを消し去り、微動だにせず口を真一文字に結んだ。婆さんに言われた『天』の境地、つまり客観的な集中力の全てを、「熊から秒で隠れるため」だけに極限まで発動させたのだ。
さっきまでの威勢はどこへやら、一瞬で借りてきた猫どころか彫刻のようになった俺を見て、おっさんは深いため息をもらした。
「……なんというか、イチロウという人間の本質が、ようやく分かってきた気がするよ」
おっさんは、ひどく可哀想な、あるいは残念な生き物を見るかのような慈愛に満ちた目で、じっと俺を見つめていた。
よせやい、おっさん。
そんな熱い視線で俺を見つめるなよ。テレるじゃないか。
おっさんに残念な生き物を見る目を向けられつつも、俺はカザン婆さんが言っていた「『天』から俯瞰するようなイメージ」を意識し、意念をじわじわと動かすように心がけてみた。
すると、どうでしょう。
なんと言うか……幽体離脱? のような奇妙な感覚と共に、俺の意識だけがふわリと上空へ浮上していく感覚があるではありませんか。
(うわぁ、なにこれ、ちょっと楽しい)
真下に俺自身の身体がいて、でもその真下の肉体にもちゃんとリアルタイムで意識はあるのだ。上空から「右に動け」と念じれば右に動き、「左」と思えば左に動く。
あ、これあれだ。元の世界のレーシングゲームとかで、自分の車体を斜め後ろの第三者視点で見ながら運転している、あの感覚にソックリだ。
で、そんな超常的なゲーム視点を掴むと、周囲の景色がパノラマのように見えてくる。
俺のすぐ前にはおっさんがいて、さらにその先には、草むらに潜む魔狩人衆の男たちが一人、二人……あそこにもいるから計三人。
そういえば、今やってるのは『巻狩り』とかおっさんが言っていたか。周囲から獲物を追いたてて、こちらに誘い込んで仕留めるやり方らしい。
おっと、そんな分析をしている間に、上空カメラの端っこに何かが映り込んだ。
──おっ、あれは前に見た、なんか妙にゴツい豚だ。ええっと、名前はなんだっけ? 忘れた。ただ、その豚は前に遭遇したやつよりチョイと小型のようだ。
その豚の魔獣が、凄まじい鼻息を散らしながら、一直線にこちらへと猛突進してくる。
「四方、射貫けっ!!」
おっさんの鋭い怒号が響いた。
同時に、周囲を囲んでいた魔狩人衆の男たちが、一斉に弓矢を撃ち放つ。シュバババッ! と鋭い風切り音を立てた矢が何発か豚の分厚い皮膚に突き刺さるが──止まらない! 魔獣特有のタフさで、余計に興奮した様子でさらに加速して突進してくる。
うん。このままの軌道で行けば、確実に俺(の肉体)に正面衝突するな。
よし、逃げようか……。
そう思った瞬間、俺の脳裏に、妙に冷静な「感覚」が割り込んできた。
(……待てよ? あの豚、今なら、普通に蹴っ飛ばせば一撃で倒れそうな気がするな?)
根拠はない。だが、意念によって世界がスローモーションに見える今の俺の感覚が、そう告げていた。
自分の直感を信じた俺は、突進してくる豚の魔獣に対し、軸足を深く踏み込んで右足を大きく後ろへと振り上げ──地を蹴った。
「喰らいやがれッ!! 『タイガーショット』ォォオオオオオッッッ!!!(※掛け声)」
ドッゴォオオオオオンッッッ!!!
猛獣の牙のような鋭い弾道を描き、俺の右足が豚の顔面にクリーンヒットする。
次の瞬間、哀れな豚は突進の慣性を完全に打ち消され、来た道をもの凄いスピードで逆噴射するように直線の軌道でフッ飛んでいった。そのまま後方の巨大な老木へと激突し、メキメキと鈍い音を立ててそのまま白目を剥いて絶命した。
「…………」
周囲の魔狩人衆の時間が、完全に凍りついた。おっさんに至ってはアゴが外れそうなほど口を開けて俺を見ている。
……うん。我が事ながら、またとんでもなく恐ろしいことをしちまった。
手刀で熊を割り、キック一発で豚を弾丸のように吹き飛ばす。
俺、ついに某特撮の『改造人間』レベルの戦闘力になっちまったってことか……!?
あ、うん。確かに、あの理不尽な暴力を振るうクソ婆さんがトップに君臨している救護院は、実質『悪の秘密結社』みたいなもんだな。俺は無理やり改造手術を施された被害者なんだ!
やめろ! 悪の組織め、俺をこれ以上働かせるな!ぶっとばすぞぉおおおおッッッ!!!
悲しき改造人間(元ニート)の心の叫びは、静まり返った森の中に、虚しく響き渡るのだった。
「……とりあえずイチロウ。次からはもう少し手加減してやってくれ。あれじゃ狩った意味が薄い」
おっさんに言われ飛んでった豚を見ると、木にぶつかった拍子に、その体が、ちょっと、その、グロくなった状態になったいた。
「……うん。そうする」
俺は素直に頷いた。だってあんな威力の蹴りを自分が放ったなんて、信じられる、いないの前に恐ろしすぎるから。あれは絶対に人に対して使っちゃならねぇもんだと、俺は密かに戦慄していたのであった。




