売られてゆくよ、元ニートが……
「はい? ──なんだって?」
その日。朝飯を食べ終えた直後の居間で、カザン婆さんから告げられたあまりにも不穏な言葉に、俺の耳はどうやらライトノベルでよく見る『難聴系主人公』のようになってしまったらしかった。
「HAHAHA! HAHAHA! いやぁ参ったな、このクソ婆さんは一体朝から何を冗談を言っているんだい? ──おっと、隣の席のリンダ、すまないが僕の頭がイカれてしまう前に、今のセリフを僕にもわかるように翻訳してくれないかい?」
どこかの深夜の外国の通販番組に出てくる、やけに身振りの大きい海外男性のような喋り方で隣にいた子供に話しかけると、
「……おっさん、朝からマジでキモい。飯が不味くなるからこっち向いてしゃべらないでくれる」
と、すっっっっげぇえええええ迷惑そうな、ゴミを見るような目を向けられた。リンダ(仮名)が冷たい。クスン。
「耳を穿り直す必要はないよ、イチロウ。あたしは『お前さんを外に貸し出す』と言ったんだ」
カザン婆さんが、煙管の灰をトントンと叩き落としながら、一切の冗談を排した冷徹な声で事実を重ねてくる。
「昨日、この街の『魔狩人衆』の頭が直々にここへ要望を持ってきてねぇ。こないだまでうちの救護院にはリエンがいただろう? あの娘が街の周囲の強い魔獣を間引いてくれていたお陰で、ずいぶんと楽に狩りが出来たらしいんだよ。で、そのリエンが旅立った穴を埋めるために、先方から『お前さんをうちに貸し出してくれないか』と正式に打診があったのさ」
「なんでぇさぁああああーーーーーッッッ!!!???」
俺の脳内通販番組が一瞬で強制終了し、絶叫が響き渡る。
魔狩人衆!? なんだその響きだけで命の危険を感じるガチの戦闘職集団は!
「いやいやいや、おかしい! おかしいだろ婆さん! 俺、その魔狩人衆の頭なんて人と接点これっぽっちもないよ!? 会ったことも話したことも、顔すら見たことないよ!? 何がどうしてどう転んだら、そんな戦闘のプロ集団から元ニートのおっさんをご指名でレンタルしたいなんて話になるのさ!?」
「ああ、そこかねぇ。リエンの娘があの頭に、『イチロウさんは未熟ながらも、意念使いとして申し分ない使い手です。私に代わって町の戦力になるでしょう』って、ご丁寧に紹介状を残していきやがったらしいよ。で、それを読んだ頭が、昨日町中でお前さんに声をかけて人柄を確かめようとしたらしいんだけどねぇ……」
「…………」
カザン婆さんの言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、昨日荷車を引いている時に声をかけてきた『聞き分けのいいおっさん』の顔がフラッシュバックした。
──『よう、救護院のところのおっさんじゃねえか。ちょっと良いか?』
──『お前が俺に仕事を持ってこない聖人であることを俺は切に願う!』
──『……うん。なんか、悪かった。いいっていいよ』
……昨日のおっさん、魔狩人衆のボスだったんかーーーい(大バカ)!!!
っていうか、よりによってあのタイミングで「俺に仕事を持ってくる奴は全員悪魔だ」とか面と向かって超全力で拒絶しちまったよ!
しかし、それ以上に問題なのは、今この場にいないあの女だ。
(……あの、バトルゴリラ尼僧ォオオオオッッッ!!! 爽やかな顔して旅立っていったと思ったら、裏でとんでもねぇ特大の『要らん置き土産(呪い)』をローカルネットワークに接続していきやがったなぁああああッッッ!!!)
才能があるから努力しろという宿題のレベルを超えて、強制的に「魔獣狩りの前線」に実戦投入されるという最悪のコンサルティングである。
俺は旅の空にいるであろうリエンに向かって、心の中で血の涙を流しながら全力の呪詛を吐き散らすのだった。
「不幸だぁあああああああああああッッッ!!!!!」
俺は、学園都市に住む某右手が光る無能力少年のように、天を仰いで己の運命への嘆きの声を叫ばずにはいられなかった。
だが、俺がどれだけ子供のように床をゴロゴロと転げ回って「イヤイヤ病」を発動させたところで、この救護院の絶対権力者であるクソ婆さんには一ミリのダメージも入らなかった。
むしろ物理的に叩き出されるレベルで襟首を掴まれ、俺は足を引きずりながら街の一角にある『魔狩人衆』の詰め所へと、文字通りズルズルと連行されてしまったのだ。
ガララッ! と乱暴に詰め所の扉が開け放たれ、俺はゴミ袋のように床へ放り込まれる。
「頭。連れてきたから、死なない程度に……いや、なんなら使い潰す勢いで好きに使いな。ああそれとこいつを渡しておくよ」
「おい婆さん!? 『死なない程度に』の後に不穏な言い直しをしたなぁあああ!?」
俺の必死の抗議を完全に無視して、婆さんは煙管をふかしたまま、魔狩人衆の頭に何かを渡し、さっさと救護院へ向けて帰っていった。
残された俺の脳内には、悲しげな子牛のドナドナのドナドナの歌が、哀愁を漂わせながら大音量で流れ始めていた。売られてゆくよ、元ニートが……。
「……なぁ、頭。本当にこの人、使えるんですかい?」
「……リエンの嬢ちゃんの話では、申し分ない意念使いだってことだったんだがなぁ……」
「……でも頭、見てくだせぇよ。目。完全に死んだ魚のような目をしてますが、本当に大丈夫なんですかね?」
「……おーい。おっさん、生きてるか?」
がやがやと、周囲をむっさ苦しい屈強な男どもに囲まれながら、俺は床に倒れ込んだまま、ピクリとも動かずに完全な「放心状態」を維持し続けていた。
男の一人が俺の顔の前で手をひらひらと振っているが、俺の死んだ魚の目は一点を見つめたまま焦点すら合わせない。
(……フハハハ、言わせておけば『死んだ魚の目』だと? 舐めるなよ、これこそが俺の計算され尽くした生存戦略だ……!)
そうなのだ。ここで下手に「いやぁ、リエンさんにみっちりシバかれましてね!」なんて動けるところを見せたら、それこそ明日から魔獣の巣窟へ特攻させられるに決まっている。
だが、今ここで徹底的に「あ、コイツは精神がぶっ壊れた無能の腑抜けだ」と思わせることができれば、先方も「使えねぇから救護院に返品しよう」という結論に至るはずなのだ!
労働から逃れるためなら、初対面の荒くれ者たちにどれだけ無能だと見下されようが知ったことか! 俺は異世界にまで来てプライドなんて高尚なものは持ち合わせていないんだよ!
俺は魔狩人衆のボス──昨日のおっさんからの、哀れみと困惑の混ざった視線を全身に浴びながら、一刻も早い「不良品としての返品」を勝ち取るため、さらに死んだ魚の目のクオリティを上げていくのだった。
周囲のむっさ苦しい男たちが、「おいおい、これマジで使い物にならねぇんじゃねぇか?」「カザン婆さんに言って返品してもらった方がいいぞ」とヒソヒソと話し合っている声が聞こえる。
(フハハハ! 聞こえる、聞こえるぞ! よし、そのまま俺を不良品として救護院のベッドへ送り返すんだ、おっさんども!)
心の中で大勝利のステップを踏みながら、俺は床の上で完璧な肉体の弛緩と、ドブ川の生ゴミのような死んだ目のクオリティを維持し続けていた。何を書いたかは知らんが、あのクソ婆さんが置いていった紹介状ごときで、この俺が三十五年間のニート生活で培ってきた『無能への擬態』を覆せると思うなよ。
だがその時、魔狩人衆のボスである頭のおっさんが、去り際にカザン婆さんから手渡されていた別の紙切れ──おそらく密書か何かの存在に気づき、それを広げた。
「ん? なんだこれは、婆さんからの追伸か……?」
おっさんは手紙に目を落とし、そこに書かれた内容をじっと読んだ。
次の瞬間、おっさんの目が驚愕に大きく見開かれ、手紙の内容と、床で死んでいる俺の姿を、何度も交互に二度見した。その顔には、何やら信じられない怪文書でも読まされているかのような戦慄が浮かんでいる。
「……頭? 何かあったんですかい、その手紙に」
部下の一人が怪訝そうに尋ねると、頭のおっさんは引きつった顔のまま、ぽつりと手紙の内容を読み上げ始めた。
「……ああ、いやな。『このイチロウという男は、働かないようにするためだったら、文字通り命をかけるようなイカれた執念の持ち主だ。だから、いっそのことその命を別のことに掛けさせてやれ』と書いてある」
「……ええっと? それはつまり、俺たちに何をさせろと……?」
「──『囮をやらせろ』って書いてある」
「ふざけんなぁああああああああああッッッ!!! なに考えてんだあのクソ婆はよう!! 俺に死ねってか! ここで死ねってか!?コンチクショウめぇええええーーーッッッ!!!???」
弾かれたように床から飛び起き、マッハの速度でシャキッと直立不動になって吠えた俺に、周囲の魔狩人衆が一斉に素っ頓狂な声を上げた。
「あ、起きた」
「……本当だ。カザン婆の手紙に書いてある通りに『囮にするぞ』って言ったら、一瞬で目にギラギラした生気が戻りやがった」
「なるほどな、扱いやすい奴だ。じゃあ頭、これで作戦行けますか?」
「まあ、そうだな。よぉし野郎ども、じゃあ行くぞ一朗! しっかり囮の役目を果たしてくれよ!」
「行かねぇよコンチクショウッッッ!!! 誰が自ら進んで魔獣の餌になりに行くかってんだよォオオオッッッ!!!」
しかし、俺の魂の叫びは、まるで虚空へ消えるかのごとく全員に完全に無視された。
ガシッ、ガシッ、と両脇を屈強な男たちに固められ、俺の身体は有無を言わさずに詰め所の外へと引きずり出されていく。
チクショウ……! なんだコイツら、出会ってからまだ五分も経ってねぇのに、あのクソ婆さんの取扱説明書のせいで、一瞬にして俺の扱い方を学びやがりやがったな……!!
こうして俺は、擬態を見破られるどころか、自身のクズな本質を逆手に取られるという最悪の形で、魔獣ひしめく戦場への「囮担当」として強制連行されるのだった。助けてくれ。




