バトルゴリラ尼僧の、ちょっとそこまで長距離ハンティング
今日で、俺がこの異世界に放り込まれ、あのクソ婆さんの救護院に来てから、だいたい三ヶ月が経ったことになる。
カレンダーも時計もないこの世界で、なぜニートの俺が「三ヶ月」なんて正確な月日を把握できているのかって?
それはね、今朝から救護院の子供達が、朝飯の段階からやけにソワソワと落ち着きなく浮き足立っているのを見たからだ。そう、つまり今日は──待ちに待った、月に一度の『肉の日』なのだ。
「今日は肉の日なんだな?」
「そうだぜ、おっさん! 今日は一体どんな肉が来るか楽しみだなぁ!」
子供の一人が鼻を鳴らしながら嬉しそうに答える。毎回メニューが違うのかよ。第一回がニワトリ(みたいなの)、第二回が豚と来たからには、三度目の正直で次は牛か? いや、あるいは大穴狙いで馬肉とかもありそうだな。……大穴だけに、馬い、なんちゃってな。
「……」
脳内で完璧なギャグを決めて一人でフッとドヤ顔を浮かべていると、目の前子供が、なぜか怪訝そうな顔でじっと俺の身体を見つめてきた。
「……なんだよ? 人の顔見て。そんなに俺のオタクのギークなオーラが眩しいか?」
「んー……。おっさん、大分お腹がへこんだな。前はもっと、こう……ポヨンポヨンだったのに」
そう言って、子供は無遠慮に俺の腹をポンポンと容赦なく叩いてきた。
(おっ、やっぱりそう思う!? 子供の目から見ても分かる!?)
俺は内心でめちゃくちゃガッツポーズを決めた。そう、実はここ最近になって、俺自身も「あれ? なんか最近紐を縛るとき紐が長くなった気がするぞ」とは思っていたのだ。十年間の自堕落な生活で蓄積された余分な脂肪はまだまだ健在だけど、明らかに内側の肉が「締まって」きている。
毎日死に物狂いで荷車を引きずり回し、手足にアホみたいな鉄の枷を嵌められて生活していれば、そりゃあ元肥満児の身体だって強制的にビルドアップされるというものだ。
「へぇー、それってやっぱり、雲水の姉ちゃんがやってる『意念』の修行のお陰なのか?」
子供が目を輝かせ、男の子特有の「超能力への憧れ」を隠しきれない様子で身を乗り出してきた。
だが──俺は一瞬でスン……と真顔に戻ると、己の血と涙にまみれた両手をじっと見つめ、地の底から響くような怨念の籠もった声で呟いた。
「……小僧。お前、今サラッと『修行』って言ったな? ──あんなものはな、そんな生ぬるい、健全な言葉で表していいもんじゃねぇんだよ。あれは、人間の精神と肉体を限界まで破壊し尽くすために構築された、ガチの『拷問(地獄)』だ」
「……っ」
「楽ができると聞いて縋り付いたら、脳みその血管が千切れかけるほどの超集中を毎日毎秒要求されるんだぞ……? 戻れないんだよ、一度あの尼僧の笑顔の檻に入ったら、もう二度とぬるま湯の現世には戻れないんだよぉ……」
「……そっか。が、がんばれよ、おっさん……」
あまりにもガチすぎる怨嗟のオーラと残酷な真実を突きつけられた子供は、完全に恐怖で引きつった顔になり、俺と関わってはいけないと察したように、乾いた応援の言葉だけを残してジリジリと後ずさりしながら去っていった。
「……暗闇(冷暖房)の中で生きる、俺は駄目ニンゲンなのさ。はやくニートに戻りたい! お昼まで泥のように寝て、起きたらネトゲして、ネット掲示板を徘徊するだけの、あの生産性ゼロの日々に帰りたい……!(切実)」
俺は去っていった子供の背中を見送りながら、かつての我が愛すべき暗黒の楽園(実家の自室)を思い出し、まるで「はやく人間になりたい!」と願う往年の妖怪人間のような悲痛さで、天を仰いで切なく呟いていた。俺はニート人間一朗。早く、ただの無職になりたい。
だが、そんな俺のささやかな哀愁は、その直後に救護院の正門から入ってきた『本日の肉』によって、一瞬で木端微塵に吹き飛ばされることになる。
ドーーーーンッッッッ!!!
地響きと共に、救護院の広い庭のど真ん中に、凄まじい質量を持った「何か」が乱暴に叩きつけられた。
「…………は?」
俺の灰色の脳細胞が、目の前の光景を拒絶して完全にフリーズする。
そこに横たわっていたのは、牛でもなければ、大穴の馬でもなかった。硬質な鱗に覆われ、太く強靭な尻尾と、おぞましい牙の並んだ顎を持つ──どう見ても全長数メートルはある、巨大な爬虫類型の生物だった。
「……に、牛でも馬でもねぇ、ガチの恐竜が来やがったァアアアアッッッ!!!???」
戦慄する俺の横で、その怪獣の巨体を片手で引きずってきた張本人──リエンが、額の汗を爽やかに拭いながら、これ以上ないほどに純真な笑顔で言った。
「はい! イチロウさん、今月の肉の日の食材ですよ! 森の奥に『ディラズィラ』が運よく一頭いまして、サクッと打ち取ってきました!」
ちょっと待ってほしい。え? なに!?
ディラズィラ!? なんだその、語感が微妙に某日本の有名怪獣映画に似てる超危険生物は!
っていうか、こんな「ジュラシック・パーク」から脱走してきたような凶悪な恐竜が、俺たちの住むこの街のご近所に生息してるの!? 嘘だろ、俺もう怖すぎて明日から一歩も外に出歩けないんですけど!?
「え? ご近所、と言えばご近所ですかね? ここから私の足で、走って三時間くらいのところにいましたよ」
リエンはお茶目に小首を傾げてみせた。
「それはもうご近所じゃねぇよォオオオオッッッ!!!???」
走って三時間って何キロだよ! 意念の強化をフルスロットルで使ったお前の超人ダッシュで三時間って、いったい何百キロ出してだ!?現代日本なら余裕で東京から別の県まで突き抜けてるわ! どんな長距離ハンティングを「ちょっとスーパーまで」みたいなノリでこなしてんだこのバトルゴリラ尼僧は!!
俺は、死んでもなお圧倒的な威圧感を放ち続けるディラズィラの巨体と、それを狩って満面の笑みを浮かべるリエンを交互に見比べながら、この世界の生態系の狂いっぷりに、ただただガタガタと震え上がるしかなかった。
そんな風に、目の前の恐竜の死体にガタガタと奥歯を震わせている俺の前に、この脳筋ゴリラ姉ちゃんはトコトコと歩み寄ってきた。
一体全体、この女の頭の中はどうなっているんだ。リエンは満面の笑みを浮かべたまま、「さあ」とばかりに俺の背中を押し、ディラズィラの巨体の前に差し出したのだ。
「はい。イチロウさん。お願いしますね」
「…………あのさぁ。何が『お願いしますね』なんですかね?」
俺が凍りついた目で尋ねると、リエンは不思議そうに目を丸くした。
「え? イチロウさんは、このまま丸ごと食べるつもりなんですか? さすがにそれは消化に悪いですし、止めた方がよろしいかと……」
「ちげぇよォオオオッッッ!!! 誰がこの怪獣を丸齧りするかって話だよ! いったい俺に何をさせたいのか意図を聞いてるんだよ、主語を喋れッ!!」
「あ、失礼しました。食べやすいように、お肉の『解体』をお願いします」
「……は? 俺、一人で?」
「はい」
……「はい」じゃねぇよ、このバトルゴリラ尼僧がァ!!
このダンプカー並みにデカい化け物を、元ニートの三十五歳独身男性が一人で捌けるわけねぇだろ!
おい見ろ、周囲に集まってきた子供たちだって、この無茶振りに不安そうな顔をして──。
「ねーちゃん、おっさん一人に任せたら、せっかくの肉が無駄になっちゃうよ!」
「うん、おっさんのせいで肉が食えなくなるのは絶対に嫌だな!」
俺の心配なんざ欠片もしちゃいねぇ!!!
ガキどもの関心は最初から最後まで「今日の肉が美味く食えるかどうか」の一点のみだった。おい、少しは「おっさんの身体がバラバラにされちゃう」とかそういう心配をしろよ!
「まあまあ、そこは私が横からきっちり指示いたしますから、皆さんは楽しみに待っていましょうね」
子供たちに優しげに語りかけるリエン。だが、その言葉の裏にある「私は指示はするが、手伝いは一切しない」という安易なメッセージを、俺のニートの危機察知能力は見逃さなかった。要するに、絶対に俺を労働させる気だ。
「ではイチロウさん。お腹も空きましたし、手早くやっていきましょう」
「……チッ、分かりましたよ。やりゃあいいんだろ、やりゃあ。で、包丁は?」
「包丁?」
「解体用の包丁だよ! この硬そうな鱗の恐竜を、まさか先日の『手刀』でやれなんて言うんじゃないよな!? さすがに人間の手じゃ、どんだけ意念を込めても肉がミンチになる前に俺の指の骨が粉砕するからな!? 出来ねぇぞ!」
「フフ、冗談ですよ。さすがにそこまで鬼ではありません。はい。こちらをお使いください」
そう言ってリエンが差し出してきた代物を見て、俺の顔は完全に引きつった。
笑えねぇ冗談かましやがって……。いや、マジで本当に一ミリも笑えねぇぞ。
「……おい。なんだこの、今すぐ不法投棄のゴミ箱に捨てられててもおかしくない、ボロッぼろの刃物は」
「それは包丁です。ちょっと全体的に錆び付いてたり、刃こぼれが凄くてノコギリみたいになってますけど、まだ使えますよ」
「そういう物理的な事実を聞いてるんじゃないの!! こんな鈍器で、あの恐竜の鋼鉄みたいな鱗が切れるかって言ってんだよ! わかれや!!」
ブチギレる俺に対し、リエンは聖母のような慈愛に満ちた、しかし同時に悪魔のような残酷さを含んだ笑みを深めた。
「大丈夫です。──『意念』を使ってやっていきましょう」
「は……?」
「やり方は、いままで私が教えたことと同じです。ただし、今度は自分の肉体に『強化』を施すのではありません。物体──つまり、その持っている包丁にあなたの意念を流し込み、強化を掛けます。ほら、対象が自分から物に変わっただけで、仕組みは全く同じでしょう?」
ニッコリ。
リエンは実にお気楽な様子でそうのたまった。
俺はね、思わず天を仰いで、親指と人差し指でぎゅっと目頭を押さえたよ。
何度も、心の中で何度も言うよ。
(ダメだこのゴリラ……。ちゃんと人間の言葉を喋ってるし、こっちの言葉も返せるのに、本質的な部分で『言葉が一切通じねえ』よ……!!)
こうして俺は、月に一度のハッピーな肉の日であるはずの今日、ボロ包丁を両手で握り締め、恐竜の死体を前に「意念の武器纏い」という、中二病なら泣いて喜ぶはずの高等技術の強制修得に挑まされるのだった。助けてくれ。




