男のロマンを前にして、テンションが上がらないオタクがいるか?いねぇよな?
── 一郎が手足の枷を引きずりながら、必死に裏庭で水汲みのノルマをこなしている、その最中。
救護院の薄暗い母屋の中では、カザンとリエンの二人が、静かに言葉を交わしていた。
「……で、あの穀潰しは少しはまともになったかい?」
卓を挟んで向かい合い、カザンは煙管を軽く叩きつけながら、ぶっきらぼうに尋ねた。
問われたリエンは、少しだけ困ったような、それでいてどこか嬉しそうな微笑みを浮かべる。
「そうですね。イチロウさんは、本当に素晴らしい才能の持ち主です。教えたことを吸収する速度が尋常ではありません。……ですが、時折、私の理解が全く追いつかない『奇行』に走るのが、少々よく分かりませんが……」
リエンの脳裏には、先日、手足の枷をガシャガシャ鳴らしながら「アータッタッタ!」と奇妙な怪鳥音を上げて丸太をドツき回していた一郎の姿が浮かんでいた。
「ふん、そいつは諦めな。あれはもう、つける薬のない病気みたいなもんだよ。放っておきゃいいのさ」
「あはは……。病気、ですか……」
カザンのあまりにも直球で酷い言い種に、リエンは苦笑を返すしかなかった。だが、すぐに表情を引き締め、真剣な眼差しで本題を切り出す。
「ですが、イチロウさんはついに、意念を『意図的に扱える段階』まで来ました。現在、私の独断で枷を用いた『強化の訓練方法』を行っているのですが……先日、なんとか形となりました。生身の手刀で、丸太の半分まで通したのです」
「ほう……。ずいぶんと早く型になったもんだね。あんたの教えが良いのかねぇ」
「滅相もありません。カザン様が日々の労働を通じて、彼の肉体に完璧な『下地』を作ってくださっていたお陰です。私などの指導は、その蓋を開けたに過ぎません。まだまだです」
「ふっ、まあ、そう言うことに──ゴホッ! ゲホッ、ゴボッ……!」
「カザン様!?」
突然、カザンの胸の奥から絞り出されるような、深く重い咳が溢れ出た。
リエンが慌てて席を立ち、駆け寄ろうとするが、カザンは荒い息を吐きながら、皺だらけの手をかざしてそれを鋭く制した。大丈夫だ、と。
カザンは口元を拭うと、自らの手のひらを見つめ、ひどく寂しげに、低く声を漏らした。
「……ふん。本当に……弱くなっちまったもんだねぇ」
かつて強靭な肉体を持っていたであろうその体は、見る影もない衰えと体たらくを、静かに嘆くカザン。
リエンは痛ましげに顔を歪め、自身の右手を胸元にぎゅっと握りしめた。
「……申し訳ありません。私は『強化の意念使い』ですが、他者への『回復』の術に関しては……どうしても、苦手で……申し訳ございません」
「良いよ良いよ、気にするんじゃないよ。人なんて、いつかはくたばる身だ。それが少し早くなるか、遅くなるかの違いなだけさね。……それより、あんたの方は良いのかい?」
カザンは鋭い眼光をリエンへと向け、煙管の先で彼女を指した。
「ずいぶんと長く、この救護院に留まっているじゃないか。雲水は雲のように水のように留まらず、民のために動く。いくらあたしが頼んだからと言ってもあんたにあんたの役目がある。違うかい?」
「それは……はい。まだ、大丈夫です。期限には少し余裕がありますから」
リエンは一瞬だけ瞳を揺らしたが、すぐに凛とした表情で首を振った。
「まっ、こっちの老い先短いクソ婆さんのことなんて気にしすぎず、あんたはあんたのやりたいことをやってきな」
「……ありがとうございます」
ぶっきらぼうな中にあるカザンの確かな慈愛を感じ取り、リエンは深く、静かに頭を下げるのだった。
──さて。あの奇跡の丸太半分ぶった斬りから、数日後。
俺はいま、日常生活のあらゆる場面において、普段から『意念』の『強化』を意識的に織り交ぜるようにして過ごしていた。
なぜかって?
決まっている。その方が圧倒的に「楽が出来そう」だからだ。
ついでに言えば、使えば使うほど扱いにも慣れてきて、将来的にさらに大いなる楽ができるようになるはずだからだ。それ以外の理由なんてあるわけがない、何がある!!
しかし──。
この『意念』というやつは、確かにすっごい便利なんだけど、すっごい疲れるのだ。
なぜかって? すっごい集中力がいるからだよ!!
あの時は丸太を半分劈くだけでも、脳みその血管が数本ブチ切れるんじゃないかってレベルの超集中を要したのだ。それを、水汲みだの薪の運搬だのの普段の雑用にまで一々使おうとしたら、そりゃあもう疲れるの何の。
ぶっちゃけ、「……これ、普通に意念使わずに力仕事した方が、結果的に楽なんじゃねえ?」と、本末転倒な疑問が頭をよぎるほどに精神がゴリゴリと削られる。
ただ、それでも使ってしまうのは、発動した瞬間にだけ得られる恩恵が凄まじいからだ。
重い荷物を持った瞬間に、全身に最先端の『パワーアシストスーツ』がバチッと効いたような感じになり、信じられないほど軽々と持ち上がる。便利と言えば、死ぬほど便利。
だから今の俺は、長時間の連続発動は到底無理だけど、「一瞬だけの発動」ならなんとかなる、というレベルを維持していた。──まぁ、発動のために集中を高める時間はそれなりに掛かるんだけどな。
それでも、だ。
何だかんだブツブツ文句を言いながらも、少なからずこの意念の修行を「楽しい」と感じている自分がいることに、俺自身なんとなく気づいていた。
ほら、あれだよ。
よくある「できなかったことができるようになる喜び」……なんていう、お利口さんな成長の感動じゃない。
たとえどれほど中二臭かろうが、痛かろうが、三十五年間の人生で自分が逆立ちしても持ってなかった『異世界の超能力』を、いま、自分のこの手の中に確かに握り締めている──。
あの、脳髄が痺れるような無敵の全能感ってやつ。
この男のロマンを前にして、テンションが上がらないオタクがこの世にいるわけね?いるわけねぇよな?ってやつよ。別に俺、わくわくスッぞでも良いぞ。……あんな戦闘狂ではないけどな、俺は。




