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現代ニート、リアルな食物連鎖に叩き落とされる





「……ん?」


 その日の朝、俺は救護院の敷地全体が、妙にそわそわとした熱気に包まれていることに気づいた。


 いつもなら朝の雑用を前に気だるい空気を醸し出している子供達が、なぜか今日に限っては、どいつもこいつも朝から目をキラキラと輝かせて妙に殺気立っているのだ。


 「おい、なんかあるのか? 今日は」


 通りがかった子供の一人を呼び止めて訊ねると、そいつは「はぁ?」と信じられないものを見るような目を俺に向けてきた。


 「なに言ってんだよおっさん、今日が何の日か忘れたの? ……あ、そっか、おっさんは来たばかりだから知らないのか。今日は月に一度の『肉の日』なんだぜ!」


 「肉の日……?」


 「そう! 月に一回だけ、みんなでお肉がお腹いっぱい食える特別な日!」


 「へぇ、そうなのか」


 なるほど。確かに毎日毎日、味の薄い雑炊みたいなメシばかりじゃ、育ち盛りの子供たちには物足りないだろう。


 肉か。そういえば俺もこの世界に来てから、まともな動物性タンパク質を口にしていない。もし俺もそのおこぼれ、いやご相伴に預かれるなら、これほどありがたい話は──、


 「いっやぁぁあああああッ!!!!」


 乙女のような、あるいは絹を割くような、三十五歳無職の限界絶叫が救護院の裏庭に響き渡った。


 「なにしてんだよおっさん! 叫んでないで早く手伝えよ! これを早く終わらせなきゃ、肉が食えないだろう!?」


 「無理無理無理無理無理無理無理無理無理ッ!!!!! 絶対無理ッ!!!!」


 必死に作業を促してくる子供の要望に対し、俺は涙目で全力ラッシュのように首を横に振り続けていた。


 いま、俺の目の前で子供たちが何をやっているか。


 ……正直、倫理的にも精神的にも、詳しい描写なんて一文字たりともしたくない。


 「コケェエエエエエーーーッ!!」とこの世の終わりみたいな断末魔の悲鳴をあげる生きた鳥たち。ヤバい。絵面が完全にホラー映画のそれだ。


 さらに、そんな狂乱する鳥たちを迷いのない手つきで押さえつけ、乱雑に、しかし効率的にバサバサと羽をむしり取っていく子供たち。


 そして、小さな手で握られた包丁が、首元に向かって──スパーンッ!!!


 極めつけに、さっきまで生きていたものが、血を抜かれ、次々と逆さに吊るされていく鳥の群れ。


 それを、俺にやれと?


 この、現代日本のスーパーで綺麗にパック詰めされたササミやモモ肉しか見たことがない、温室育ちの元ニートの俺に、このリアルすぎる命の解体ショーに混ざれと!?


 「肉は食いたい! だが作業行程がグロすぎるわ、コンチクショウ!!」


 血みどろまみれの血気盛んな子供たちに囲まれながら、俺はただただ、その凄惨な光景に腰を抜かしてガタガタと震えることしかできなかった。


 震えることしか出来なかった!


 ああそうさ、本当に、心の底からただ震えて見届けるだけで終わらせたかった!


 でもな! 現実は非情だったんだよ!


 あの子供達、いやガキども、腰を抜かしてガタガタ震えている三十五歳のおっさんを見て、完全に面白がりやがった!


 「ほらおっさん、ここをしっかり押さえて!」「早く包丁入れて!」なんて笑顔で囲い込んできやがって……! 人の嫌がることは止めましょうって、元の世界の幼稚園で習わなかったのか!? 習うわけねぇな、ここは異世界だコンチクショウ!!


 ──数時間後。


 血生臭い作業がすべて終わり、俺は井戸の前にへたり込んでいた。


 「……へへっ……。俺の、俺のこの純潔だったニートの手が……真っ赤に汚れちまったよ……」


 落ちねぇ。いくら冷たい井戸水でゴシゴシと洗っても、生々しく手に残るあの感触が、命の灯火が消えるあの独特の重みが、どうしても落ちてくれない。


 何より、包丁を打ち切るまさにその瞬間まで、じっとこちらを恨めしげに見続けていた鳥のつぶらな目が、脳裏から全く離れてくれないのだ。目を閉じれば、いつでもあのコケェエエという断末魔がリフレインする。


 俺の心は完全にボロボロだった。現代社会の闇(引きこもり)から、異世界の闇(リアルな食物連鎖)へと叩き落とされ、今や完全に悲劇の主人公の気分に浸っていると、背後から盛大な肉の焼ける香ばしい匂いと共に、ガキが声をかけてきた。


 「おっさん、何してんの? 早く食堂に行かないと、みんなに肉全部食べ尽くされて無くなっちゃうぞ?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内を支配していた鳥の怨念トラウマは、一瞬で消え去った。


 ガバッ! と音を立てて立ち上がる。


 「食うよ! 食わせていただきますよ!! 誰が残すかチクショウ! 俺があれだけ血反吐を吐く思いをして仕込んだ肉だぞ、一枚たりとも他の奴に渡してなるものかぁああっ!」


 鳥への哀悼の意など、胃袋から湧き上がる強烈な肉への欲望の前には1ミリも通用しなかった。


 己の手の汚れを最後の水洗いでバッと振り払い、俺は獣のような眼付きで、肉の香りが漂う広間へと猛ダッシュを開始した。


 そこで飛び込んだ俺の目に飛び込んできたのは、大皿に山盛りにされた、焼き立ての鳥肉だった。


 ああ……肉だ。


 元の世界を離れてから、本当に、本当に久しぶりの肉だ……っ!


 一切れを箸(のような木の棒)で掴み、豪快に口の中へと放り込む。


 ……正直、元の世界のような丁寧な下処理もされていなければ、塩すらまともに振られていない。血生臭く、ジューシーさのカケラもないパサパサの肉だ。だが、それでも──食堂に飛び込んだ俺の目に飛び込んできたのは、大皿に山盛りにされた、焼き立ての鳥肉だった。


 だが、それでも──。


 (肉だ…… 肉だよー…… Oh〜〜 ♫)


 脳内で、元の世界で誰もが知っているアニソンの、あのやたらと耳に残る高い歌声とメロディが、切なく、そして感動的に鳴り響く。


 初めての肉。この世界に来て、正真正銘、初めての肉だ。


 涙目を浮かべ、旨いのか不味いのかよく分からない複雑な表情のまま、もの凄い勢いで肉を咀嚼そしゃくしていくと、いつの間にかクソ婆さんがドカリと上座で腰を開いた。


 「旨いのか不味いのか、はっきりしない妙な顔をして喰う男だねぇ」


 「うるせぇ! 正直に言うが、うまくはない! 全然うまくはない! ……だがな、俺の今日一日で汚れちまった哀しき魂を癒すのには、どうしてもこの肉(タンパク質)が必要なんだよ!」


 ガツガツと肉に食らいつく俺を、婆さんは深いシワの刻まれた顔でじっと見つめ、呆れたように鼻を鳴らした。


 「……あんたの言うことは相変わらず一ミリも意味が分からないがね。まぁ、それだけ肉が喰いたかったってことだけは分かったよ。フム、なるほどねぇ……」


 婆さんは何かを値踏みするように目を細めると、ニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。


 「そこまで肉に飢えてるってんなら、ちょうどいいさ。あんた、明日から肉を求めて『魔物狩り』にでも───」


 「行かねぇよッ!!! んなおっかないこと、この俺ができるわけねぇだろうがァアアアッッ!!!!考えて物言えやぁああクソババ───」


 婆さんの提案が最後まで終わるより早く、俺は立ち上がって全力の拒絶を叫んでいた。


 生きた鳥一羽さばくのすら発狂しかけた俺に、本物の『魔物』なんて狩れるわけがない。そんな命がいくつあっても足りないデンジャラスな職場、ニートの労働基準(自称)が絶対に許さない。


 念願の肉を頬張りながらも、迫り来るさらなる『過酷な現実(魔物狩り)』の気配に、俺は再び全力で心のシャッターをガシャーンと下ろすのと同時に、俺の意識もガシャーンと落ちていた。









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