能力修行編、スタート(しませんでした)
異世界ファンタジー定番の、華々しい『能力修行編』がスタートする──!
……と、思いきや。
俺が毎日やっていることは、あの呼び出しの日から何も変わっていなかった。
朝早く起きて井戸から水を汲んで運び、質素なメシを食って、気が遠くなるほどの薪を割り、またメシを食って、泥のように寝る。
ただひたすらに、この過酷なローテーションで一日が終わるだけだ。
そんな、何の代わり映えもしなくなってきた日々を何日か過ごしていたある日のこと。
薪割り場で一人、俺の不満はついに限界を迎えていた。
「テメェ! 嘘教えやがったのかクソバ──!?」
ドガァンッ!!!
「──ぶへっ!?」
言い切るより早く、俺の身体は真横に向かって盛大に吹っ飛ばされた。
受け身もクソもなく地面を二、三回バウンドして転がり、容赦なく全身に激痛が走る。
「誰がクソババアだって? まったくこの穀潰しは、口の聞き方を本当に知らないねぇ」
いつの間に背後に立っていたのか、婆さんが拳を軽く握り直しながら、冷ややかな目で見下ろしてきていた。
「……す、すみま……せん。……い、意念が、使えません。どう、して……ですか……?」
地面に這いつくばったまま、俺は消え入りそうな声で、しかし切実に尋ねた。
嘘を吐いていたわけじゃない。あの呼び出しの後、俺は婆さんから一応の『やり方』とやらを教わり、それこそ引きこもる前の、久しく忘れていた『頑張り』というやつを懸命に実践していたのだ。だが、何日経とうが、意念の『いの字』すら発動する気配がなかった。
そんな俺の恨めしげな視線を受け止め、婆さんは呆れたように鼻で笑った。
「言ったろうが。使えるかどうかはあんた次第だと。大体ね、あたしの意念を感知できる(プレッシャーを感じる)だけなら、十人中十人はできるんだよ」
「……へ? いや、でも、俺に才能があるって言ってなかったか……?」
「あんたはその中でも、意念の力を『形(光)』として目で捉えることが出来た。そこだけは少し珍しい。そうさねぇ……百人中、十人はできるくらいかね」
百人中、十人。つまり10%。急にレア度が下がってきた気がする。
不安に駆られる俺に、婆さんはさらに冷酷な現実を突きつけてきた。
「で、そこからさらに、その力を自分の意志で引き出して扱えるようになれる奴は……百人中、一人か二人いれば良い方じゃないかい?」
100分の1の才能かよ。
おいおい、異世界転移の割に確率がやけにリアルだな! クラスに一人いるかいないかレベルの秀才枠じゃねぇか! 俺が求めていたのは、一億人に一人とかの選ばれしチート能力なんだよコンチクショウ!
「だからと言って、才能がある奴だけが使える訳じゃない。あたしだって元は才能なんて欠片もなかった人間の方さ。ただそれを、血の滲むような努力をして手に入れたんだ。努力は人のためならず。努力したその先でしか手に出来ないもんだって、この世には確実にあるんだよ」
またしても、重厚なド正論をかましてくる婆さん。
だが、地面に這いつくばったまま、俺はへらへらとした歪な笑みを浮かべて言い返した。
「それは婆さんの理屈だろ。俺は楽したいんだよ。人生を楽して謳歌して、面白おかしく、何の苦労もなく暮らしたいんだ」
それは俺のブレない本音であり──これ以上傷つきたくないがための、必死の防衛線でもあった。
そんな俺の薄っぺらい言葉を、婆さんはすべて見透かしたような、冷徹な眼差しで射抜く。
「……つくづくクズな男だね、あんたは……。そんな甘ったれた根性だから、親に放り出されたのかい?」
ピキリ、と胸の奥で何かが引き裂かれる音がした。
「……っ」
言葉が、出なかった。
図星、というわけじゃない。俺の親は物心つく頃には亡くなり。爺さん婆さんも十年前だ。放り出されたと言う意味じゃ、元の世界にと言った方が正しいのかはわからんが、生きる気力を失い。引きこもって、誰とも関わらず、ただ部屋の中で無為に過ごしていた時間が脳裏にフラッシュバックする。
俺の瞳に、ほんの僅かに隠しきれない澱のような悲しみが浮かんだ。
だが、その一瞬の揺らぎすらも、この婆さんには完璧に見抜かれていた。
「……いいかい。世の中、自分が一番不幸だなんて思うんじゃないよ。あんたが思ってる不幸なんかよりも、もっと酷い目にあって、それこそどん底のどん底に落ちた──いや、理不尽に落とされた奴だって、あたしは五万と知ってる」
婆さんの声は、怒っているというより、淡々と世界の残酷さを説くようだった。
「自分がかわいい。自分はかわいそうだ、なんて悲劇の主人公を気取ってる内はね、不幸でもなんでもないんだよ。とにかく体を動かしな。泥をすすりながらでも生き汚く、頭を使って考えな。そうやって必死に足掻いて、それでどうにも行かなくなった時に、あんたは初めて『苦労』って本当の意味を知るんだい」
救護院にいる、親も家も奪われた孤児たちを見てみろ、と言わんばかりの重い言葉が、俺の頭上から容赦なく降り注ぐ。
自分が傷つかないために張っていたニートの虚勢が、婆さんの言葉の重圧によって、音を立てて瓦解していくのが分かった。




